番外編:幻の遺稿長編は存在しているのか?
第2話(https://kakuyomu.jp/works/1177354054885469885/episodes/1177354054885480376 )でも取り上げた話題ですが、あらためて。
資料を読む限り、当方としては、
A:少なくとも、大阪圭吉の出征前(1943年6月当時)には存在していた。
が妥当と考えます。と言うのも他ならぬ鮎川哲也氏が、著書のインタビューにてこう記しているからです。少し長くなりますが、引用してみます。
戦局がどうにも収拾がつかなくなった頃、大阪家にもあわただしい動きがある。作家生活をいとなむ上で不便を痛感していた氏は、東京移住を決意して十七年七月にひとまず単身上京するのだが、その直前に、左翼関係の書物を風呂の焚き火に入れて焼却している。当時は大阪家と警察とが向かい合っていたと言うから、スリル満点であったろう。
秋に、小石川の借家に妻子を呼び寄せ、ここであたらしい生活が始まる。甲賀三郎氏と親しかった氏は、その推挽で少國民文学報告会に勤務するが、ここは一般のサラリーマンとは違って時間的に余裕があった。圭吉は念願の長編探偵小説をコツコツと書き続けていた。そしてそれが完成したとき、氏は一枚の赤紙に駆り立てられて戦場へ赴くのである。時に十八年六月。ただ残念なことながら、この原稿は所在不明になっている。
鮎川哲也『幻の探偵作家を求めて』(1985年)p50-51、強調筆者
鮎川哲也氏は『人間・大阪圭吉』との文章も記しています(『小説推理』1973年2月号初出、単行本『死の快走船』(2014年)に再録)ので、これは到着次第追って引いてみようと思います。
4月19日追記:
前述『人間・大阪圭吉』(1973年)の『死の快走船』再録版を確認しました。鮎川哲也氏は生前のご夫人を含む遺族を取材しており、その過程で幻の遺稿長編の存在が明らかになっています。
最後に私は意外な話をきかされた。こと探偵小説に関する限り、短編専門の作家だとばかり思っていた大阪圭吉が、なんと出征前に本格長編を書き上げていたというのである。昭和十七、八年の作量が急に減っていることは前にも指摘したけれども、それは長編を書きおろしていたためだろうか。
鮎川哲也『人間・大阪圭吉』、『死の快走船』p544より引用
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