第2話 大阪圭吉の未確認長編を求めて。
先に情報公開すると進展の可能性が、と書く順番を若干考え直しました(挨拶)。
さて、推理小説ファンにはお馴染みの事実ですが、大阪圭吉には現在なお未確認の遺稿長編があります。戦時下、徴兵に際し原稿を恩師・甲賀三郎に渡したものの、恩師の急逝で行方が知れなくなった……これは鮎川哲也氏が著作に記し、流布するに至っている話です。
ところが、話こそ名高いものの、実際に鮎川哲也氏の記述にあたった人はそう居ないようです。そこで、今回は知識流布を目的に、引用&考察を記そうと思います。
・
1991年当時の鮎川哲也氏インタビューでは、遺稿長編の逸失当時が記されています……ただし原稿を託された側、つまり甲賀三郎氏のご遺族へのインタビューにてです。答えておられるのは甲賀三郎のご子息、春田俊郎氏です。
「わたしはまだ世間知らずの学生で、父親が亡くなった途端に収入がゼロになりました。恩給もなければ退職金もない、弔慰金も出ないし本も出版されない。結局、北条秀司先生が親がわりとなって、全部整理して下さったんです」
「父は東京のアパートに住んでいたわけです。そこへ先生が古本屋を呼んで、売れる物はみんな売っちゃう、家族の写真やなんかは整理して送って下さると、そういうことになったんですね」
「わたし自身はタッチしていなかったのでわからないのですが、大阪圭吉さんから預かっていた長編原稿が行方不明になったのも、そうした混乱があったからなんです」
『鮎川哲也と十三の謎’91』p15、強調筆者。
急逝当時の甲賀三郎氏は著名な作家でした。亡くなった住居から「売れる物はみんな売っちゃう」状況下、何がしかの直筆原稿を捨てたとは考えづらい。つまり、
・大阪圭吉の遺稿長編は、直筆の原稿用紙で現存している可能性があります。
なので、
・古い原稿用紙に書かれた小説をお持ちの方は、ひとまず本文を確認してみて下さい。
原稿に記名があるとも、タイトルがあるとも限りません。あるいは断片的にしか残っていないこともあり得ましょう。
それでも。
ひょっとしたらそれは、まだ見ぬ作家の遺稿なのかも知れないのですから。
2019年3月18日:誤字修正(1箇所)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます