探偵のターン
探偵のターン①
蝉が遠くで鳴いている。
七月、学生ならば夏休みも間近だろう。探偵助手でBL小説家という休みのないエミリには羨ましい話だ。
そのエミリは男子中学生を尾行している。学校帰りの爽やかな少年を、イメチェンしたとはいえぽっちゃり女子が尾行していたのだった。
彼女の名誉のために言うならば、これは仕事だ。『にいさん』からの試練と言っていい。彼女は腐女子とはいえ男子中学生には興味がないのだ。
電柱に隠れ、エミリは周囲を探る。中学校は三者面談の季節なのだろう。午前の授業のみで、それが終わればほとんどの中学生は下校する。その中の一人、身長160センチの爽やかな少年がターゲットだ。
なんでこんな暑い日に腐対象外の少年を尾行しなきゃいけないのか。しかしこれも兄からの試練だ。やるしかない。
■■■
その試練は新生活に慣れたエミリのため、勇者が用意したものだった。
「そろそろエミリにも探偵のテクニックを教えようと思う」
クーラーの効いた事務所内。パソコンで小説を書いているエミリに勇者は言った。エミリは首をかしげる。
「私、探偵はバイトなのに」
「ああ、マホからうまく仕事を引き継いでくれて助かってるな」
「探偵のテクニック、いらなくない?」
「テクニックは知っておいてほしい。たとえば、ターゲットに尾行や調査がバレた時のはなし。事務所に攻撃されたり暴力を受けたり監禁される可能性もあるらしいんだ」
勇者がさらりと語る内容の重さにエミリの指の動きは止まった。恵まれた環境で浮気調査を簡単にこなしている勇者だが、本来危険と隣合わせの仕事だ。『らしい』というのは勇者はまだ経験がないが、同業者からしてみればよくある話なのだろう。
調査がバレた時、後ろめたい事のある人間は調査員を攻撃すると考えられる。その結果が知られれば困ると調査員が調査できないようにする。例えば暴力などで。
「俺としてもマホやお前はバイトだし危ない事はさせたくはない。けど、悪い奴らにはそんなの関係ない。バイトであろうが関係なく攻撃してくるだろう」
「それは……こわい」
「だから身を守る方法や、危険な事から回避する方法を知ってほしい。まずは尾行だ。これを覚えておけば尾行バレリスクは減るし、尾行のやり方を覚えれば尾行をまくのにも応用できる」
まずは尾行を怪しまれない事。そして尾行する側の心理を知り、尾行をまく事。エミリこそそれを学んだほうがいいと勇者は考えたのだろう。
ネット上で存在を知られたり、なにかと尾行される事は多いエミリは、きっと役立つ知識や技能だろう。
「それ、スキルのない私でもできる?」
「ああ、普通に探偵学校で習うことだからな。別にスキルでもないぞ」
「尾行されない方法なら、知りたい、かも」
エミリは迷いながらも頷いた。勇者に助けられている現在だが、助けられっぱなしという訳にもいかない。そして助けられるような状況になってもいけない。
二人で幸せになると決めたのだ。まずは不幸を回避する方法から学ぶべきだ。よい返事を聞けて勇者は力強くうなずいた
「まずは練習用に調査対象を用意した。エミリはその人を尾行してくれ」
「練習用?」
「俺の従兄弟の子供、陽介君だ。最悪失敗しても構わない。親戚だからな。危ない事もないぞ」
確かに勇者の親戚なら尾行がバレても危険はないし、許してくれるだろう。それにしても練習相手まですぐ用意できるとは、つくづく勇者は恵まれている。
「俺は陽介君に面がわれてるから同行はしない。その代わりにエミリを尾行する」
「えっ?」
「陽介君を尾行しているエミリを尾行しつつアドバイスする。お前がバレそうになったら出ていくから」
エミリがターゲットを尾行して、勇者がエミリを尾行する。数珠つなぎだ。これなら勇者はターゲットにさとられる事なく、エミリの安全も確保して指導できるということだろう。
勇者は携帯を取り出して写真を見せた。そこには爽やかな少年が写っている。今の勇者にほんの少しだけ似ている。
「これが俺の親戚、陽介君」
「ふむふむ、五年後には立派なスパダリ攻めになってきそうな見た目だ」
「……陽介君は中学生だからそういう目で見ないでほしいんだが」
「安心して、中学生にやおらせる趣味はない」
自信満々に言うエミリだが、勇者は少しだけ不安になった。中学生以上ならやおらせるというのか。しかし陽介の耳に入らない限り実害はないので次に進める。
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