リリィの商才


「おや?知り合いかい?」

 ローデリックに気がついた母親が、リリィに問い掛ける。



(誰だろう? あっ、この前の……)

 誰だろうと思ったが、すぐに前に話した商人の男だと思い出す。



 ローデリックがリリィと初めて会ったのは、前回の商隊でこの町を訪れた半年ほど前の事だ。


 それは、前回の王都への往路で馬車の車輪が壊れた為、ガランの町で足留めをされていた時の事だ。


 商隊の馬車の様子を見ていた少女……リリィの、ふと洩らした一言が、ローデリックの興味を引いたのである。



「証券とかがあれば、もう少し荷物減らせそうなんだけどなぁ」


 リリィは特に深く考えた訳では無いが、往路、復路共に商隊はこの町に滞在するのだが、往路で運んだ荷物が、売れ残ったのか復路でも、積まれたままなのを見ていたのだ。



「証券とはなんだい?」


 この世界では物流の仕組みが整っていない。生産地から消費地に実際の物を馬車などで運ぶしかないのだが、通信手段すら未発達のこの世界では、この輸送に無駄が多いのだ。



「あっ……ごめんなさい」


 リリィは、聞かれると思って居なかったので、ローデリックの問われて驚いた。


「いや、怒っている訳じゃないよ。何か良い案があれば聞かせてくれないかな?」



 ローデリックに聞かれるが、リリィは一瞬躊躇う。

 だが、輸送手段……車やトラックの技術を教える訳では無いので、大きな問題にならないだろうと話し出した。



「商人様は、公都と王都を往復されているんですよね?」


「うん、そうだね。公都で安く買ったものを、王都で高く売って、お金を貰うんだよ」


 相手がまだ4、5歳くらいに思ったローデリックは、商売の仕組みが理解出来るのかなと思いつつ、商売の基本を付け加えながら、少女の質問に応える。



「でも、運んだ物が確実に売れる保証は無いですよね?」


「……そうだね」


 少女の指摘にローデリックの顔が少し真顔になった。



「それに、仕入れた物を置いておく倉庫や、護衛の費用を考えると利益はそんなに出ないと思うんです」


(幼そうに見えるのに、いくつなんだ、この子……)


 明らかに見た目通りの年齢とは思えない発言に、黙って聞き入ってしまう。



「でも、他の商人様と次の取引を先に済ませれれば、馬車の荷物は、必ず買って貰える量に近づけることができます。

 無駄が無くなれば、馬車の数を減らして費用を抑えたり、他の物を積んだりも出来ます」


 少女の見識に目を見張るローデリック。

 少女が言おうとしていたのは、先物取引や信用取引の概念……次回の取引量や価格を決めておくことで、無駄を減らし利益を増やす発想だった。



(実現出来れば利益を増やせるかも……)


 少女の言葉が実現出来ないか考え出すローデリック。

 色々と問題はありそうだが、検討の価値はあると彼は考えたが、少女の説明はまだ終わらなかった。




「あっ!でも、農作物とかも積まれているから、お互いの信用がある事が前提になりますけど……次の収穫で約束した収穫量が得られる保証は無いので」


 続く少女の言葉は、ローデリック自身が検討しようとしていた事そのものだった。



(信用にたる相手と、商品の引き渡しがされなかった場面の取り決めをしっかりすれば……)




「いや、ありがとう。参考になったよ」

 笑顔で少女にお礼を言いながら、内心は子供とも思えない見識や発想を持つ少女に……何か強く惹かれる自分が居た。


(あの子はいつかこの国に大きな影響を与える人物になるかもな)



 その後、ローデリックは王都で何人かの信用出来る相手に、少女から聞いた案を元にした取引を行い、商隊の運用効率を大幅に上げることに成功していた。


 他の商人達にとっても効率良い輸送の仕組みは有難かった為、ローデリックが持ち込んだ手法はあっという間に広がっていった。


 


「うん。前に少し話した事があるの」

 母親にローデリックの事を、少し怪訝そうな顔をしながらリリィが伝える。彼女は少し話をしただけの相手が、わざわざ訪ねて来た理由がわからなかったのだ。



「失礼だけど、どちらさんだい?」

 娘の表情から親しい関係ではないと判断した母親が、ローデリックに尋ねた。



「これは失礼しました。わたくしは、ランバート公爵家の元で商いしておりますローデリック子爵と申します」



「き、貴族様!も、申し訳ありません。貴族様とは思わず……」

 リリィの母親と雑貨屋に来ていた女性は、男の素性に驚いた表情を見せる。


 身なりなどから相手が裕福そうなのは予想していたが、相手が貴族とは思っていなかったのだ。



 貴族と平民には歴然とした身分の差があり、貴族が町中で平民に普通に話し掛ける事は殆ど無い。その為、裕福な平民の商人くらいに考えていたのだ。




(子爵……貴族が私になんの用?

 私もマスターも、まだ親と暮らすのが普通の年齢だから、面倒ごとは避けたいのだけど)


 周囲が慌てる中、リリィだけが冷静に男の目的を考えていた。



「そ、それじゃ、私は買い物も済んだし帰るわね……」


 トラブルに巻き込まれたくない客の女性は、そそくさとその場を後にした。

 何か気に入らない事があれば、即座に処断されかねない。この国では、それ程に貴族と平民の格差があったのだ。




「この前、娘さんに商いを教えて頂いてね」


「あ、商い……ですか」

 ローデリックの言葉に母親は戸惑う。頭は多少良いようだが、所詮は自分の……平民の娘だ。貴族に商いを教えるなど、想像も出来なかった。



「娘さんはずいぶんと優秀なようですが、学校には通わせないのですか?」


 リリィの母親は、質問の意味が良く分からなかった。




 ロタール王国では一般的に6歳から学校に通う。

 国の補助もあって6歳から10歳の間は、幼年学校に通うのが殆どだ。


 だが、幼年学校以上は、貴族、商人、冒険者……など、それぞれを専門としか学校しかなく、平民であれば大半は、幼年学校のみが普通であった。


 当然、リリィの母親も幼年学校にだけ、リリィを通わせるつもりだった。




「ま、まだこの子は5歳なので来年から幼年学校に通わせるつもりですが」


「その後は?」

 ローデリックの質問にリリィの母親は、言葉を失う。



 リリィの頭の良さには気が付いていたが、彼女はごく普通の平民だ。

 彼女も彼女の親も、幼年学校しか出ていなかったので、娘のリリィもそうだと思い込んで居た。そして何より、幼年学校以外は、国の援助が受けられない。




(なんだかめんどくさい流れになりそうね)


 リリィはそう思いつつ、周囲から5歳児と思われている事を考えていた口を挟むのを控えていた。




 ローデリックは、チラリとリリィを見る。


(ふむ……よく見ると、ずいぶんと整った顔立ちをしているな)


 リリィの顔立ちは、特に派手な部分は無かったが、ダメな部分も一切無く、何よりバランスが良かった。

 リリィ……いや、ナノマシンは、容姿を決める時に、マスターの生前の好みであったアジア系女性の遺伝子情報を元にしていた。


 結果として見た目の派手さは無いが、欠点もなく、バランスが取れた顔立ちをしているのだ。




(この子を手元に置いておけば、また新しい案が得られるかも知れないし、この顔立ちなら、将来は美人になりそうだな……いい嫁ぎ先もありそうだし……私の妾にするのも悪くないかも知れないな)


 商人として商会を営むローデリックは貴族には珍しく周囲に丁寧な接し方をする人物であったが、その思考は貴族のそれであった。




「幼年学校が終わったら公都の学校に通わせるのはどうだろうか?」


「「えっ?」」

 突然の申し出にリリィと母親の声が重なる



「い、いえいえ、ご覧の通りのただの雑貨屋なので、公都で学校に行かせるお金なんて、とても……」


「費用であれば、援助する事も出来ますが?」


「いや、その……突然、そんな事を言われましても……」

 リリィの母親は既に何の話をしているのかも良く分からなくなっていた。




 突然、貴族の子爵と名乗る男に話しかけられたと思ったら、自分の娘を学校に行かせる援助をすると言われたのだ。


 平民の彼女にとって、貴族とは年に何回か町の領主を遠くから見掛ける位しか無かったのだ。




「いや、申し訳ない。話が突然過ぎましたね。仕事柄、年に数回はこの町を訪れますので、考えておいて下さい」


 そう言い残すとローデリックは、領主の館の方に踵を返し、その後ろの男がどこか訝しんだ顔でリリィとリリィの母親を見たあと、ローデリックに続いた。




 そんな二人の背をリリィは呆れた顔で見ていた


(何を考えているのかしら……マスターの指示で人類への介入が制限されてるから、思考を呼んだり操作したり出来ないのは、こう言う時に困るわね)


 管理者の遺伝子情報を持つものを作る為に、交配を操作しようとして、制限に気がつき、その為に予想以上の時間が掛かる羽目になったのをリリィが思い出していた




(まぁ、わからない以上……考えても仕方がないか)


 だが、彼女は既にマスターとの再会を果たしている。その他のことは、彼女にとって瑣末な事でしかなかった。



「お母さん、アベルの所に遊びに行ってもいい?」



 何事も無かったように、いつも通りの行動をとるリリィの声に現実に引き戻された母親が応えた


「あぁ……行っといで」

(きっと貴族様のきまぐれだろう。貴族様もすぐに言ったことなんて忘れるさ)


 そう思い、ローデリックの話を忘れる事にした母親は、リリィを送り出した。

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