世界の管理者達
「隔離状況はどうだ?」
日本の筑波にあるナノマシン研究所で白衣の男が画面に映った金髪の男にたずねる。
「こっちは、隔離作業は完了したよ……今からこの研究所の生命維持機能を停止するつもりだ」
金髪の男は、虚ろな目で答える。
世界各地の128箇所ある研究所を結んでいた壁の画面は、既にその殆どが真っ暗になり何も映していない。既に他の研究所は、それぞれの役目を終えていた。
全ての管理者が、保存した遺伝子情報と共にナノマシンを地中深くに隔離した後に、研究所を守っていた機能を停止させていた。
彼らは死にたかったのだ。惑星規模の災害によって、ようやく彼らは死を選択できたのだ。
残った人類は、筑波ナノマシン研究所の管理者と画面に映る金髪の管理者、ただ二人だけであった。
正面のモニターには地中深くに進む直径50キロの塊………生命の遺伝子情報を中核に抱えたナノマシンの集合体の現在地が示されていた。
「こっちは、あと数時間くらいだな」
白衣の黒髪の男は答える。
「そうか……そっちは、人類の再生命令を入力するから、どうしても最後になるな」
金髪の男がつぶやく。
万能に近いナノマシンだが、活動には目的が必要になる。
その為、黒髪の男は世界各地の研究所の隔離措置が終わると、各管理者から権限を受け取り最後の命令入力の準備が整うのを待っていたのである。
「気にするな……誰かが最後になるしかないし、全ての管理者権限が無ければ、地球規模の再生指示は出せないんだ」
黒髪の男は、軽い口調で金髪の男に言った。
「そうだな。やっと……死ねるのか。悪いな先に行かせてもらうよ」
どこか遠くを見る目をして金髪の男が言った。彼もやっと死ぬ事を許されたのだ。
「ああ」
黒髪の男が答える。
数瞬の沈黙のあと……金髪の男が映っていた画面は真っ黒になった。
《US経済圏の管理者が不在となり、管理者権限が移譲されました。》
管理者はその必要性から、自らの意志で管理者権限を放棄は出来ず、仮に死んだとしても保存された遺伝子情報からクローンが自動的に再生される。
その為、管理者権限の移譲には遺伝子情報やクローン設備を含めての破棄が必要であったが、それらの破壊行為は完全に禁止されていた。
通常では、設備の破棄をしようとしても他の研究所からの相互監視システムによる制限が掛かるが、地球上の全てが高熱のガスで覆われている状態になった為、研究所周辺を通常環境に戻すだけで破棄が可能になっていた。
「俺も、ようやく死ねるが……その前に、最後の仕事を済ませるか」
男は未来を作るべく作業を開始した。
《全ての権限は、マスターが保持しています。指示をお願いします。》
白衣の男は顔を顰めた。
彼は、ナノマシンを憎んでいたのだ。
管理者達には親などは無い。彼等は、最高の知能、身体能力を持つ様にデザインされた遺伝子情報から作られたデザインベイビーが元となっている。
そして、常にクローンは培養され、永遠に続くような部品としてのみ存在させられていたからだ。
「世界の再生を……」
《現状での再生よりも、時間経過による、気温の低下、地震の停止、粉塵による大気状況の安定後の再生活動を推奨します。》
(まぁ、そうだろうな……この環境から再生するより、惑星が安定してからの方が効率がいいだろうな)
ナノマシンの合理性を考えると当然とも言える回答だが、男には合理的な回答が不愉快だった。
《惑星安定後にマスターの再生を行いますか?》
「いや、俺の再生禁止だ」
(もう、永遠に続く時間はうんざりだ……)
地球上の最後の人間とになった彼は、死にたかったのだ。
(このまま終わりを迎えたら人類は終わるのかな……誰も生き残ってもいないし、それも良いかもな)
永遠とも思える人生を繰り返した男は、生きるという事に価値を失っていた。
最後まで地球上の遺伝子情報を集めて、彼に託した他の管理者には悪いが、本来この惑星は滅亡する筈だったのだ。
「……生命維持機能を停止しろ」
人類史……いや、惑星の歴史を自分が止める事に少し躊躇いはあったが、ナノマシンで再生されるのが異常と思った男は全てを終わらせる指示を出した。
《実行する指示が完全に失われる為、受諾出来ません。別の指示をお願いします》
「なっ!」
全てを終わらせようと思った男の命令は、呆気なく拒否される。
(失敗した……最後になるんじゃなかった)
男は自分が最後の管理者になってしまった事を後悔した。最後の一人になったため、彼は死ぬ事を許されなかったのだ。
自分が未だに管理者と言う永遠の呪いから抜け出せない事に気が付いた男は、絶望した。
管理者と呼ばれていた男は考えていた。どうすれば、この終わりのない時間から抜け出せるのかを。
(明確な指示だと、ナノマシンは完了と判断して、次の指示を得るために俺を再生させそうだな)
神にも等しいナノマシンに、完了したと認識させない命令を与える。しかも、それは実行可能でなければ拒否されてしまう。
男は黙り込んで考え込む。
恐らく、これが男が死ぬ事が出来る最後の機会なのだ。
全ての管理者権限を有しており、且つ、地球環境自体が生命の存在を許さない状態。
今なら完了出来ない命令を指示した後で、研究所を維持している機能を停止させれば良い。
だが、次はきっとナノマシンはそれ自体を学び回避する可能性があった。
《(実行は出来るが、完了は出来ない指示……)》
男は思い違いをしていた。
ナノマシンは、管理者の思考すらもモニターしていたのだ。
だが、ナノマシンに必要なのは、従うべき指示そのものだ。自らの存在意義である従うべき命令……それが与えられるのであれば……ナノマシンは、考え込む男の言葉を待った。
ふいに男が口を開く。
「地球の再生は可能か?」
《可能です。大気などの環境再生後に蓄積された遺伝子情報を元に、生物分布や文明も再現可能です》
男は再び考え込む……。
(今の人類を再生して……俺はどうなる?)
男が一番気にしている点の確認をする。
「その場合、管理者はどうなる?」
《現在の人類文明にはナノマシンによる介入が必須となります。その場合には管理者の権限を持つ者が必要になり、マスターの再生が行われます》
ナノマシンからの回答に、やはりなと男は思った。
(なら、ナノマシンが必要な文明は駄目だな)
男はナノマシンにより保たれている今の人類文明の再生を諦める。当然、ナノマシンが必要になった環境汚染や資源枯渇などの状況も駄目だ。
ふと男は思い付いた疑問を投げかけてみる。
「仮に今の人類文明の再生をするとして、歴史などはどうなるんだ?」
《全人類の遺伝子情報に加えて、記憶の元となる脳内のシナプス結合情報も保存されています》
さらりと飛んでもない回答が返って来て、男は唖然とした。
「き、記憶ごと再生する……のか」
《クローンの再生により、既に記憶の再現は問題無く可能と実証されています。
今回の場合は、全人類が対象となる為、記憶の再生可能に制限がありますが、一般知識としての歴史と呼ばれる範囲では再現可能です》
「それは……もう歴史では無いな」
《再生された人類の主観では、認識されません》
全人類の記憶を操作して、歴史すら作ると言っているのだ。
確かに全人類が同じ認識なら、誰も気が付かないだろうが……あまりの何でも有りぶりに男は半ば呆れ返った。
男は、新しく作られる世界は、可能な限り自然であるべきだと思った。
歴史や記憶すら作られた世界……それは、管理者として造られた自分が重なったからかも知れない。
「文明を……いや、人類を発生させない地球環境の再生は可能か?」
《否定します。人類の存続は最優先事項になります》
予想通りの回答を確認して、男は再び考え込む。
ナノマシンは人類が創り出し、人類の生存圏を維持する為に存在しているのだ。
数ヶ月後……人類最後の男は役目を果たし、その生命活動を終えた。
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