幽獄

淡路 霊二郎

第1話


 1997年、オンラインゲームさえなかった時代に、とあるゲームが、エンジニアたちの娯楽として開発された。


 「幽獄」というゲームだ。


 ストーリーは、ある日、主人公以外が魂化する事変が起き、その原因を突き止めながら、無造作に放たれた獣を倒して進むというもの。


 オンライン共闘ではなく、ほかのユーザーの戦闘をゲーム内でリプレイを共有するという繋がり方だった。


 かなり簡素だが、個人制作で2年かけて作られた。


 テストにテストを重ね、来る2005年に発売。当時では珍しいオンラインオフライン両立ゲームとして話題になった。


 ______未来永劫語られる、名作になるはずだった。


 世間がこのゲームを知らない理由は、ある事件をきっかけに会社が消え、銘柄も業界から隠蔽処分を受けてしまったからだ。


 その事件が、「幽獄症事件」。ゲームをプレイしたプレイヤーが意識不明の重体に陥るというものだ。病院に運ばれる人間もいれば、病院から入院を断られ、親が別途に寝かせて看病をするというケースも多い。


 ここまで被害が大きくなれば、経営陣が会見を開いて謝罪、という騒動になりそうものだが、メディアの取材が押し掛けたころには、すでに本社はもぬけの殻。下請けも全部機材を取っ払っていた。もう、幽獄症は誰も直せない、と思われた。


 僕、坂本晴がプログラマーとして所属している部署は、「サーバーを落とせば幽獄症にかかっているユーザーはどうなる?」という、失踪した経営陣から脅迫まがいの置き手紙を残され、日夜サーバーの維持と症状改善の作業に追われていた。


 会社に残った莫大なへそくりでサーバーを維持していたが、もう、限界に近かった。SEの何人かは失踪してしまった。


 ___もう、本当に限界だった。


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 目覚ましの音が鳴る。


 薄い布団を体に巻いたまま、二坪ほどの狭いコンクリの部屋のベッドから体を起こして携帯をとり、ボタンを押して目覚ましを止める。


 今の時刻は深夜3時。仮眠を始めてから一時間が経過した。少ないと思うだろう。一時間寝たという事実でさえ、「熟睡」の部類に箱入れするほど、作業に追われていた。


「……戻らなきゃ。」


 使命感に背を押され、布団を剥がし、革靴を履きなおし、身だしなみを整えて職場に戻る。


 ドアの向こうには、ただキーボードを打つ音が聞こえるだけだが、広いオフィスにしては少なく見える従業員の全員が、眉をひそめて画面と向き合っている。


 ボーっとしてると、上司が顔を上げて親指で僕の作業机を指す。それでようやくはっとし、焦って机に座り、作業を始める。


 今日の六時までに、最新版の修正プログラムを完成させなければならなかった。目を見張り、キーボードの上に指を走らせる。このパッチに効果がなければ、僕はプログラマーとして責任を取って幽獄ゲーム内に入って調査をしなければならなくなる。


 ……ああ。戻れるかわからない、そんなところに入って調査をしなければならない。それに、サーバーの維持費で、もうこのオフィスはひと月も持たない。治る保証もないのに、消えるかもしれないのに。そんなことできるかと、今まで何十個も当ててきたパッチの中でも、さらに覚えた知識を総動員させてプログラムを組む。


 キーボードが壊れる勢いで、それを絶え間なく打っている。その爆音の打ち始め、オフィスは時が止まったかのように静かになったらしい。やがて士気向上の糧にするように、彼らは画面に向き合う。


 しばらく時間がたった。


「できたぁぁぁぁ!」


 おもわず席を立ちあがって絶叫する。ほかの従業員はその絶叫に身をふるわせた後、精一杯の拍手を彼に送った。


「ファイル、受け取った。ではこれをサーバーに入れておく。君はあの仮眠が三日ぶりの睡眠だったからね。少し、休んでいきなさい」


 上司からそう言われた時、安心して涙をこぼしそうになった。しかし、まだほかの従業員は仕事が残っている。それを考慮して、涙をこらえて仮眠室に戻った。


 そこからのことは、覚えていない。


 ただ僕の中には


 「幽獄」のソフトをもらった記憶が、残っている。


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 目を、覚ました。体を包む暖かい感覚はない。布団という天使の道具のもたらすぬくもりはない。そうして重い体を起こし___


 ……重くない。むしろ、軽い。今まで持っていた腰痛や、運動不足によって感じていたけだるさの類が、消えている。

 

 掛け声を上げることなくすっくと立ちあがる。そうして下のほうを見下ろした時、異変に気付いた。


 服が、代わっている。女物の、スポーツブラにホットパンツ、そして肩には毛皮で包まれた肩パッドがあり、マントがあった。


 最初はただ困惑していたが、やがて合点がいく。


「これ、同僚が設計した女主人公の服じゃん。キャラ選択をどんなふうにしたのか記憶飛んでて覚えてないけど、女主人公を選択したのか。僕は。」


 キャラ選択。二次専の同僚の案を採用して、髪の毛と服装が設定できるようになっている。


 服は初期設定だが、目の色が青く、髪はポニーテールだ。


 ……しかしこの服、露出が多い。主人公の小柄な体系からして、ロリコンを殺すキャラであると悟った。


 胸のふくらみは控えめだ。これは、女主人公を性的に見てほしくないという僕なりの対策だが、これはまずいなと感じた。


 胸を触る。手に合わせて沈む、柔らかい肌の感覚が本当に心地よかった。


 ……童貞で悪かったな。


 目の前の寂れた街へ歩き出す。シナリオライターとはタバコ休憩で良く話す仲だったから、大体のことはわかる。


 ここは、最初の街。ここで主人公は、魂魄の形で囚われた村人を見つける。そこから戦いが始まると、子供みたいに自慢げに話す彼の話を聞いていた。


 いざ街に入ると、本当に街には誰もいなかった。残された建物。つい数秒前まで賑わってましたと、精一杯僕に主張してくる。痛いほどわかる。


 物語の中の出来事とは分かっていても、いざそれを目にし、当事者になってみると少しだけ感傷的になってしまう。


 しばらく街の中を歩く。この先の展開を、僕は知っている。この後、身の丈をゆうに越すほどのドラゴンが現れ、チュートリアルに入る。僕がプログラムしたシステムだ。だから、おおよそどこまで踏み込めばそのイベントが始まるかを知っている。


 ______だから、不警戒に、踏み込んでしまった。


 角を曲がる。


 そこには、漂う魂魄を手で掴み、貪る大きな狐がいた。


 そう。だ。


「……なんだあいつ。狐なんて、設定集には無かったぞ!」


 もともと、僕は設定集を渡され、それを、クリエイターの指示に合わせてプログラムを組んでいた。だが、その中に、狐の、さらに魂を食べる化け物なんて、存在していなかった。


 怒りを露わにしてもいい。湧いていたからだ、その感情が。だが、恐怖が勝っていた。今のこの状況では。


 そう。プログラムされたモンスターは、レベルこそひとつ上だが、lv1でも倒せる、見た目だけの激弱モンスターだったはずだ。


 しかし、目の前にいる狐のレベルは______


「Lv……17……!?」


 17。全5章のうち、序章後期レベルのステータスだ。HPは1352。lv1では、100ターンかけても倒せない。適正レベルでようやく5ターンで倒せるようになる。

それだけ、幽獄のゲームにおいて、レベルを上げることは重要なのだ。


 狐がこちらを向く。


 餌か敵かを見定める目線だ。背筋が震える。腕は痙攣し、心音が耳の内で煩く響く。


 やがてその緊張に耐えられなくなり、過呼吸を起こし、胸を抑えて跪く。


 涙が出てくる。こんなプログラムミスがあったなんて、縄があったら首をかけてる。屋上にいたら飛び降りてる。刃物があったら首を掻き斬ってる。


 それくらい、重い罪を犯してしまったんだなと、する。


 狐が近づく。


 腰が抜けて、立てない。動けない。今、自分は狩られる側に立っている。獲物の気分が、わかった。


 狐の手が大きく振り上げられ、晴の体をまっぷたつに切り下げた。


 ______思い込みのあまり、そんな幻覚を催した。


 厳密には、違った。


「ラグラ・レヘンツァ!」


 宙を舞う騎士の姿が見えたと思ったら、振り回した双剣の軌道の円の線から黒い波動が出てきて狐を襲い、「24552」というダメージ表記を残して消滅した。


 チュートリアルクリアの表示。記念アイテムがボックスに入れられたとのウィンドウが出た。


 状況がわからず、意識が飛んでいるような状態。甲を脱いだ黒髪の騎士に、体を揺さぶられるまでずっと放心していた。


「おい!起きろ貴様!しっかりしろと命じている!」


 その掛け声でハッとした。騎士の顔と目が合う。


 僕は、その姿を知っている。


「アルドノア……?」


 女主人公の顔立ちをしているから分かりにくいが、 口調、佇み、身体のあらゆるところに現れる癖。これは、僕が1997年、最初のテストプレイの時に作った魔王キャラだ。


 オンラインが実装される前、それを作った結果、強すぎてクリア出来ないと文句が来た為、それを廃止にした。


 しかし、そのシステムキーは僕しか持っていないはず。つまり、僕の記憶が消えたその時間に、当時の魔王のデータを引き出し、自我を与えてプレイヤーにしたんだろう。


 まさか僕のことなんて、知らないよな……


「貴様、何者だ?今更この世界にユーザーとして入ろうだなんて、死にたがりか?」

「……好きで追い詰められたわけじゃないよ」


 少し腹が立って反抗する。彼女は怪訝な顔を見せた。そして、慣れた手つきで僕のプロフィールを開いた。


「ハル……?なんだ……?坂本晴の事か……?」


 ビクリとした。ハル、というユーザーネームだけで、「坂本晴」というフルネームを連想して見せた。


 しかし、彼女はまだ疑っている様子だった。とりあえず、打ち明けてみることにした。


「そう、僕は坂本晴。このゲームのプログラマーだったんだけど、昨日作って当てたパッチが効果なくて、このゲームに入って直接治すように言われたんだ」


 そういった。恐る恐る彼女の反応をうかがうと、少し考えたような素振りを見せている。信用に足るか、推察しているのだろう。


 その姿を見ているうちに、あるおかしな点が僕の目に入った。鎧を着ているはずなのに、体が酸でむしばまれているような音がする。よく見れば、彼女の顔の眉間に少しだけしわが寄っている。痛いのか、つらいのか。


 それですべてを察し、アルドノアのステータスを開くと、「詳細不明の状態異常」というステータス異常があった。十秒に一度、中程度のダメージを食らっている。


 すかさず、彼女のボックスに、チュートリアル達成報酬でもらった「状態異常回復薬AA」と、「回復薬B」を送った。それに気づいたのか、アルドノアはこっちを見てどうしたと言いたいような顔を向けてきた。


「プログラムにあってよかった!ラグラ・レヘンツァはMP消費少な目なのに極大ダメージ与えられて強力だけど、デメリットとして、詳細不明の状態異常にかかるんだ。それは、Aランク以上の状態異常回復薬による治療が必要。それに、君のHP値で、そのジョブで、そのHP消費は非常にまずい。今すぐそれ、つかって!」


 アルドノアは不審そうにボックスからそれを取り出して飲む。すると、彼女のステータスから状態異常が消え、消費したHPが元通りになっている。驚いたのか、また晴のほうを向く。晴は彼女に対してグーサインを出して見せた。


「貴様……本当に、坂本晴、なのか……?」

「うん。ラグラの状態異常を把握しているLv1が、僕のほかにいると思う?」


 言葉に詰まったように立ち尽くす。驚いている。アルドノアは、僕のことを知っているのか?と、疑念を抱き始める。しばらくまって、ようやく声を出した。


「……貴様が、私を開放のか……?」

「うん。君のことは、僕しか解放してあげられないからね。」


 感動しているのか、僕に向かうその足取りはおぼつかない。そうしてたどり着くと、両膝をつき、僕の手に短めで、浅めの接吻を残した。


「……!?」

「この八年間は、本当につらくて、何も考えられなくて。ただ、虚無と化し、自分を道化として励ますしかなかった。そんな生活を、貴様が打破してくれた。なら、私はお前と肩を並べよう。ともに歩もう。」


 まっすぐな思い。恋するでもなく、忠誠を誓いでもなく、ただ「仲間でいさせてくれ」という、そんな告白。


 僕は、こういう類のシチュエーションにめっぽう弱い。


「ありがとう。アルドノア。僕は、君にそう言われるために君を開放したのかもしれない。いま、後悔の念はない」


 手を差し出す。アルドノアはそれを取る。立ちあがり、風が吹く。


 こうして、プログラマーと初代魔王の、「幽獄症」からプレイヤーを救う戦いが、始まりを迎えることになった。


 しかし、この「幽獄」が汚染されたものは、余りにも想定外な事案を持ち出し、彼女らのクリアを阻む______。

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