第3話 天才少女

「んんー」


 目を覚ました光洋が伸びをする。そして、起き上がったところで違和感を覚える。


「……いいにおいだ」


 キッチンの方からおいしそうな香りが漂っていた。さらに、居候に明け渡していたベッドにはその居候の姿がない。


「……おはよう」


「お、おう」


 朝食を準備していたアリスと目が合うが、すぐにプイっと視線を外される。

 二人の間には気まずい雰囲気が流れていた。


「朝飯作ってくれたのか?」


「うん」


「そうか」


「……」


「……」


 会話が続かない。原因はわかっている。しかし、お互いにそれを口に出すことを拒んでいた。


「とりあえず飯食うか。せっかく作ってくれたんだし」


「ん」


 アリスはこくりと頷く。

 それから二人してアリスが作ったみそ汁に目玉焼きという超日本風の朝食を食べる。もちろんその間も二人の間に会話はなかった。

 気まずい空気を破ろうと先に動いたのは光洋だった。 


「これからのことを話そうか」


「これから?」


「アリスが今後どうするのかってこと」


「昨日から思っていたのだけど、どうして私の名前を知っているの?」


 アリスは一度も光洋に名乗った記憶がない。光洋は掲示板で名前を見かけたから何気なく名前を呼んでいた。


「まあお前は今有名人だからな。結構いろんな人間が知っていると思うぞ。よかったな」


「最悪……」


 アリスは自分の手配書が世間に出回っていることに思い至ってげんなりする。


「そういうわけだ。それで世間の人気者になったアリスちゃんはこれからどうやって生きていくつもりなんだい?」


「……私を奴隷にでもするつもり?」


 アリスは光洋の言い回しが気に入らずにらみつけるが、その目にはうっすらと涙をためていて迫力がない。そして、光洋も泣きそうな少女をいじめるほど畜生ではない。


「悪かったよ。そんなに怯えないでくれ。最初にも言ったが、俺はお前を殺すつもりはない」


 それでもアリスは警戒を解く様子はない。


「そうだなあ。そんなに理由がほしいのなら与えてやろう。今後はうちの家事をしてくれ。そうすればアリスも気兼ねなくここで暮らせるだろう」


「あなたにメリットが薄い。それではあなたが犯罪に手を染めてまで私を助ける理由にはならない」


 頑なに理由を求めるアリスの態度に光洋は思わずため息をつく。


「お前本当にめんどくさいのな。厚意には素直に甘えとくもんだぞ? まあ人間の厚意なんて信じられないかもしれないが、なぜかお前には殺意がわかない。もっとわかりやすく言えば、俺はお前に死んでほしくないんだよ。それじゃあダメか?」


 ちらりと光洋がアリスをうかがうように見つめる。

 意見を譲ろうとしない光洋を拒否し続けることにアリスも疲れた。


「……ほんとに変な人間。わかった。いつでも逃げられるようにしながらここで暮らすことにする」


「信用ねえなあ」


 それでも、アリスのその決断は大きな前進だった。


「あなたの名前も教えて。私だけ知らないのは不公平」


「そういえば自己紹介がまだだったか。俺は安孫子光洋だ。よろしく」


「……言いにくい名前」


「それなら好きに読んでくれていいよ」


「じゃあ光洋」


「いきなり呼び捨てかよ……って俺も呼び捨てで呼んでいたんだった。わかった。それでいいよ」


 こうしてビーストと人間の奇妙の同居生活が始まった。


***


「……ついにビーストデビューか」


 光洋が見つめる掲示板には、昨日ジョーカーズ本部を襲った犯人、通称ピエロが手配書のリストに追加されていた。

 ピエロはビーストではない。だが、それを知っているのは光洋とアリスの二人だけである。


「まああの状況だと誰がどう見たってビーストだよな」


 仮面をかぶった自身の姿をしり目に光洋は今日も職務を全うする。

 はずだった。


「やっほー! 来ちゃった♡」


「……」


 パソコンの前で次のターゲットの行動を分析していると、光洋はフロントから客が来ていると呼び出された。そんなわけでフロントに向かうと、眼鏡をかけた三つ編みの少女が広陽に気づいた瞬間にぶんぶんと手を振る。


「何しに来たの? 嫌がらせ?」


「違うってば。何よ。それが愛しの彼女への態度?」


「おい、誰が彼女だ? 俺とお前がいつ恋仲になった?」


「つれないなあ。まあそういうところがこうちゃんのいいところだよね!」


 かなりテンション高めのこの少女は本条沙耶ほんじょう さや。光洋がジョーカーズの職員であることを知る数少ない光洋の知り合いである。


「最近学校来ないから心配になって先生に聞いたら、こうちゃん学校やめたっていうし」


「いろいろ事情があったんだよ。ところで、お前マジで何しに来たの?」


「ん? だからこうちゃんに会いに来たんだってば」


「なんで会いにきたのかを聞いてんの! 本当にめんどくさいやつだな!」


「あははは。それほどでもないって」


「褒めてねえよ!」


 本題になかなか入ろうとしない沙耶に光洋はそろそろイライラし始めていた。


「あのなあ。俺だって暇じゃねえんだ。次のビーストの調査しないといけなくてだな」


「あー、それならこれあげる」


「は?」


 沙耶が背負っていたリュックサックの中からどっさりと大量の資料を光洋に手渡す。


「今こうちゃんが調べてるビーストちゃんの今後一か月分の行動予測をしておいたから。あ、心配しないで。相当な数のデータを解析したから精度はかなり高いと思うよ?」


「誰もそんな心配してねえよ! なんでお前が俺の調査対象を知っているのかってことの方を気にしてんの!」


「え? そんなのハッキングでこうちゃんのパソコン覗いたからに決まっているでしょ?」


 沙耶が平然と犯罪しましたとぶっちゃける。

 実はこの少女は天才ハッカーで、ジョーカーズ本部のサーバーに平気でハッキングを仕掛けてはビーストの最新情報を盗み見ているのだ。

 これ以上人が多いフロントで話すのはまずいと考えた光洋は、沙耶の手を掴んで応接室に向かう。


「やーん! こうちゃん積極的♡」


「うっせえ! 黙ってついてこい!」


「強引なこうちゃんも悪くないね♡」


「……うぜぇ」


 話が通じない相手にげんなりしながらも、光洋は何とか沙耶を応接室まで連れて行くことに成功する。


「それで、マジでお前は何しにきたわけ?」


 向かい合ってソファに座る沙耶を光洋がにらみつける。それでも、沙耶の余裕はまったく崩れる様子がない。


「もう、こうちゃんってばせっかちなんだから」


「まじめに答えろ。いい加減にしないと無視して戻るぞ」


「へえ。こうちゃんってそういうこと言えちゃうんだ?」


「は?」


 沙耶の言っている言葉の意味がわからず、光洋は首をかしげる。

 沙耶はゴソゴソとリュックサックの中を漁り、目的のものを取り出して光洋に見せつけた。


「な!?」


 沙耶が光洋に見せつけたのは、一匹の瀕死状態のビーストを抱きかかえて歩く光洋の姿だった。


「いやあ、暇つぶしに都内の監視カメラ漁っていたら面白いものが出てきてね。これって今指名手配中の白雪ちゃんだよね?」


「……脅す気か?」


「まさか。私は人間の味方でもなければビーストの味方でもない。強いて言うならこうちゃんの味方だからさ。この監視カメラの映像だって私が最初に見つけていなかったらこうちゃん今頃どうなっていたかわからないんだよ?」


 この映像は沙耶の手によって加工され、なかったことになっていた。


「そりゃどうも。それで目的は何? やっぱり金?」


「もう! こうちゃんは私をなんだと思っているのさ!」


 沙耶が頬をあざとく膨らませてぷりぷりと怒る。


「人のプライベートを平気で覗く犯罪者」


「違うでしょ? かわいい同級生の彼女でしょ?」


「だから誰が彼女だ!」


 光洋は沙耶と話していると、いつもこんな具合に沙耶に振り回されてしまう。


「で、本当に何が目的だよ? ハッキングして知っているだろうけど、マジで俺は暇じゃないんだよ。そろそろ要件を言ってくれ」


「はいはい。しょうがないなあ」


 のんきな沙耶に小言を言ってやりたい気持ちを光洋はグッと我慢する。そんな光洋の気も知らずのんきに沙耶が口を開く。


「私もこうちゃんのおうちに住もうかなあって思ってるんだ」


「……は?」


「だから、こうちゃんのおうちに」


「いや、言葉の意味は理解できている。俺が聞きたいのはどうしてお前まで俺の家に来ようとするのかってことだ」


「だって、こうちゃん一人だといつかバレちゃうよ?」


 沙耶は本気で光洋を心配しているようだった。

 そして、光洋も自分一人ではそのうち勘付かれることはなんとなく想像がついていた。


「こうちゃん、昨日も白雪ちゃんを助けるために無茶したんでしょう? でも、どうして? こうちゃんの家族はビーストに殺されたんだよね? それなのに、君がビーストを守ろうとするのはなぜ?」


「それは……」


 光洋の家族は気性の荒い一匹のビーストに襲われて殺された。光洋はその日たまたま修学旅行に行っていたため今も生きているが、その場にいれば間違いなく殺されていた。

 その事件のせいで光洋のビーストへの憎悪は人一倍強いはずだった。その憎しみでビーストを殺し続けたから光洋は今の地位がある。


「まあ別にいいや。こうちゃんの行動に私はケチをつけるつもりはないから。ただ、私はすごく頼りになるよ?」


 タブレットで何やら操作しながら沙耶がニヤリと笑う。

 光洋は考える。もしも、本気で白雪アリスを守ろうと考えるのならば、きっと沙耶の力は彼女自身の言う通りかなり頼りになる。しかし、同時に沙耶にもリスクが生じる。

 そこまで考えた時、光洋は決断ができた。


「よし、それじゃあ頼む。お前なら危ない目に遭っても問題ないだろ」


「決断理由がひどい!?」


「人間性はあれだが、腕は確かだからな。そう簡単に死にはしないだろう?」


 光洋は純粋に沙耶の腕を信頼しているのだ。そんな光洋からの信頼を感じて沙耶も悪い気はしなかった。


「まあね。じゃあさっそく私もこうちゃんの家に……」


「ああ、それなら同じアパートで隣の部屋が空いてるぞ?」


「え?」


 光洋は沙耶を招き入れるつもりはさらさらない。


「やだよ。お前みたいなやつ家に入れたくねえし」


「がーん……」


 こうして光洋に心強い味方が一人増えた。

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ビースト 水木 @KAYABA27

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