第2話 道化師
「んん……」
「やっと起きたか」
白銀の髪を揺らして、少女は寝ぼけまなこをこすりながら辺りを見渡す。
そして、視界に一人の男、我孫子光洋を捉えた瞬間に目を見開いて光洋からサッと距離を取る。
「人間……!」
少女がガルルルと光洋を威嚇する。そんな少女に向けて光洋は両手をあげて敵意がないことを示す。
「安心しろ。俺はお前を殺すつもりはない」
「そんなの嘘! Jじぇいは私たちを見逃すはずがない!」
ちなみにJというのはジョーカーズの略称のようなもので、特にビーストからはよくそのように呼ばれている。
「ほう。よくわかっているじゃないか。まあ考えてもみてくれ」
光洋が立ち上がると、少女はさらに警戒を強める。しかし、光洋は気にする素振りも見せずにキッチンでコーヒーを入れ始める。
「殺すつもりなら昨日の時点で俺はお前を殺せたはずだろう?」
「……確かに」
「まあどうしてお前を助けたのか。正直なところ俺にもよくわかっていない。っと、コーヒーはブラックでもいける口か?」
「……砂糖多めで」
「了解」
少女はいまだに警戒を薄める気配がないものの、光洋の言葉に納得して敵意がないことは信じ始めていた。光洋がカップを少女の目の前に置く。
「ほれ。毒とかそんな物騒なものはこの家にはないから安心してくれ。まあそんなこと言わなくてもビーストのお前ならわかっているのだろうが」
「……」
少女は黙ってコーヒーをちびちび飲む。そして、苦かったのか少し顔をしかめる。
ビーストはかなり五感が鋭い。特に臭覚は飛びぬけており、犬と同じくらい鼻が利く。
「……どうして?」
少女がカップをゆっくりおいて光洋に問いかける。
「あ?」
「……どうして私を助けたの? これは犯罪なのよ?」
人間がビーストを助けたり、匿ったりすることは当然重罪である。
「そんなことはわかってるよ。言っただろ? 俺にもどうしてかわからないんだよ」
ただその後に一言、光洋はぽつりとつぶやく。
「……見捨てられなかったんだよ」
「え……?」
少女が驚いたように目を見開く。
「もういいだろ、この話は。悪いが俺はこれから出かけないといけない。おそらく外にはお前の手配書が出回っているからここから出ない方がいい。何かあったらここに電話をかけろ。いいな?」
光洋は少女の返答を待たずに家を飛び出した。
「……変な人間」
***
「ちわーす」
「おう。安孫子来たか。ってまだ学校の時間じゃないのか?」
光洋に問いかけるスキンヘッドのグラサン男は紅蓮影宗ぐれん かげむね。以前は日本地区一位の最強の戦士だったが、数年前の大規模戦闘で片足を失って以来、裏方として本部で働いている。
「ちょっと事情があって高校をやめることにしました」
「ずいぶん急だな。まあ俺はお前が今まで以上に働いてくれるのなら何も文句は言わないが」
影宗は光洋を高く買っていた。
実はジョーカーズは高校卒業後に約一年の訓練を経て、現場に配置されることが通例となっている。そんな中、高校生年代でありながらすでに現場に出て、しかもB級の地位にいる光洋は異常ともいえるスピード出世なのだ。
それほど能力がある光洋がこれまで以上に現場に出てくれるというのであれば、それは影宗やジョーカーズ全体にとってはこの上ない益をもたらすことは間違いなかった。
「わかってますよ。きちんと成果は出しますから。それともう一ついいですか?」
「お、なんだ? お前から質問とは珍しいな」
「いえ、少し気になったもので。昨日俺が狩ったビーストってもう処分されたんですか?」
「どうだろうか。今ちょうど解剖されているころじゃないのか?」
「そうですか。ありがとうございます」
「見に行くつもりか?」
「ええ。確認したいことがあるので」
それだけ言うと光洋は解剖室へと向かった。
いつもとは明らかに様子が違う光洋に影宗は違和感を覚える。しかし、考えてもわからず、ひとまず目の前に溜まっている書類の山を先に片づけることにした。
***
光洋は解剖室から運び出されようとしていたビーストを見せてもらった。
「……やっぱりそうか」
光洋のつぶやきの意味がわからず、解剖医たちは首をかしげる。
「ありがとうございました。もう結構ですので」
「はあ……。そうですか。それでは」
彼らはビーストの処分へと向かった。解剖を終えたビーストは焼却処分されるのだ。そして、塵一つ残らないほどに燃やし尽くされる。
解剖室から戻る途中にビーストの手配書が張り出されている掲示板に目を移す。
「……バッチリいるじゃねえか」
おそらく昨晩の戦闘の際に残された映像なのだろう。
特徴的な白銀の髪をもつ少女が、手配書の一枚にバッチリ写っていた。そして、その写真の下には名前が記されていた。
「あいつ白雪しらゆきアリスっていうのか」
光洋はビーストを絶滅させたいと思うほど憎くんでいる。いや、そのはずだった。
しかし、昨晩白雪アリスというビーストの少女を見た瞬間から彼の中の何かが変わったのだ。
「こりゃろくな死に方できねえな」
自分でも真意がわからないまま、憎悪の対象であるはずのビーストを助けてしまった。これほどブレた考え方をしていたのでは、きっといつか痛い目を見る。光洋はそう確信していた。
「ほんとバカだな。俺は」
わかっていながら矛盾した行動を続ける光洋は自嘲するしかなかった。
***
アリスは光洋の忠告を破って外に出ていた。
「……急がないと。大丈夫。絶対に私が取り戻すから」
アリスがたどり着いた先はジョーカーズ本部。いわば完全なる敵地である。
なぜアリスがそんな危険な場所に赴いたのか。その理由は明白だった。
「お父さん、お母さん。絶対に私が取り戻してあげるから」
アリスにはここで死んでも構わないという覚悟すらできていた。
その覚悟を胸に本部に潜入する。
***
ジョーカーズ本部に警報音が鳴り響く。
本部内にはビーストを探知するための特殊な機械が存在する。WI細胞と呼ばれる羽を構成する特殊な細胞がビーストには存在する。それを探知することでビーストであるかそうでないかを判別できるのだ。
そして、この警報音が鳴り響くということは、ビーストが探知されたということに他ならない。
「ったくめんどうなことしてくれる。ていうか堂々と敵地に入ってくるなんてアホなのか?」
光洋は一人愚痴をつぶやきながら武器を手にビーストを探し始める。すでに戦闘員ではない職員は避難を終えており、この建物にいるのは一匹のビーストと手練れの戦闘員のみである。
「早くしねえと」
光洋は確信していた。きっと彼女が建物の中にいると。
『安孫子、聞こえるか?』
「はい」
通信機から影宗の声が聞こえてくる。
『奴は今地下二階にいる。もうすぐ戦闘が始まるはずだ。三人に向かわせているから問題はないと思うが、念のためお前も向かってくれるか?』
「了解しました」
光洋は焦る気持ちをおさえながら、入念に準備をして地下二階に向かった。
***
「っ!」
「このビーストが! 死ね!」
「ぎゃあああああああああああああ!」
甲高い悲鳴が地下の薄暗い通路に響く。ビーストの少女は処分場から遺体を二つ盗み出そうとしていた。 少女と同じ白銀の髪をもつ女のビーストと体格のいい男のビースト。それらは昨晩ジョーカーズによって殺された者たちである。
「ビーストが人間のまねごとかよ。反吐が出るな」
戦闘員の一人がペッと少女に向けて唾を吐く。そんな戦闘員を少女がにらみつけるものの、翼をもがれてしまった少女に打つ手はない。
「……ごめんね、お父さん、お母さん。やっぱり私弱いままだったよ」
少女はそう消え入りそうな声でつぶやくと、あきらめたように目を閉じる。
「ほう。その潔さだけは褒めてやろう。じゃあおとなしく、死ね!」
戦闘員は剣を振りかぶる。少女は自分が死んだと思った。
しかし、少女は開けることができないはずの目を開くことができた。ゆっくりと何が起きたのかを確認する。
「アリス、無事か?」
「どうしてあなたが……?」
少女を守るように金属の棒を持つ一人の少年が立っていた。仮面をつけていて顔はわからないが、少女には声と匂いから少年の正体がすぐにわかった。
「またビーストか……。増援を呼ぶか?」
「そうですね。こいつはかなりの手練れに感じます」
三人の戦闘員たちが少年に向き合ったまま、言葉のみを交わして相談をする。そして、一人の戦闘員が増援を呼ぼうとした瞬間だった。
「させるか!」
「な!?」
少年は銃で通信機を破壊する。
「今時のJは三対一でビーストを一体も倒せないのか?」
少年は仮面の裏で戦闘員たちをあざ笑っていた。少年の安い挑発は戦闘員たちを激昂させるのには十分すぎた。
「このビーストが……! 二体まとめてぶっ殺してやる!」
少年の安易な挑発に乗った戦闘員たちは完全に冷静さを欠いていた。
それこそが少年の狙いであり、冷静さを欠いた戦闘員を相手することは少年ならば簡単だった。〝B級の少年″ならば。
***
「紅蓮さん。こちら安孫子です。現場に到着したのですが」
『そうか。先ほどからお前に通信していたのだが、なぜかつながらなかった。電源切っていたりしたか?』
「いいえ。それよりも現場に負傷者三人がいて、ほかには何も見当たりません」
『……逃げられたか』
影宗の悔しがる声が光洋の耳に届く。
「逃げられた? 映像はどうしたんです?」
『謎のビーストが現れたんだ。そいつは銃を持っていてことごとく監視カメラを破壊していった。だから、俺は三人があのビーストを殺そうとした瞬間までしか見ていない』
「もしかすると最初のビーストは囮だったのかもしれませんね」
『ああ。だが、奴の仮面は覚えている』
それはそうだろうと光洋は思う。絶対に忘れることができないものを光洋は選んだのだから。
『奴の仮面はピエロだった』
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