幸せな靴箱【シンデレラ伯爵家】

仲村つばき

第1話

 エデルがうっすらと目を開けると、やわらかな花の匂いが、ふわりとただよってきた。


「お疲れのようですね、奥様」


 ガラスドームの執務室。

 リリーローズが花瓶の花をとりかえている。

 春だ。五月に咲くアネモネは生命にのみずみずしさにあふれている。


「ごめんなさい……最近とても眠くて。いけない、どのくらい眠っていたのか……」

「大丈夫です。さきほどの商談を終えられてから、まだそんなに時間は経っていません。私は工房へ、匂いとり用のサシェを作りに来ていました」


 エデルは改めてリリーローズに目をやった。

 彼女はずいぶん成長して、女らしくなっていた。出会ったときは十歳の女の子だったのに、今年でもう十六歳だ。さめざめとした雰囲気が、彼女をより大人びて見せている。


「ありがとう。新しく始めたサシェの販売、とても好評で。社交界でもガラスドームの匂い袋を持つのが流行になっているんです」


 リリーローズはアネモネの具合をたしかめている。


「お役にたてて光栄です」

「また一緒に、包装について考えてください。私も少し用意していて……」


 エデルが靴箱のデザインや包装紙を一新したいと職人たちに提案すると、みな受け入れてくれた。伝統を大事にするガラスドームでは、思い切った行動だ。

 以前のデザインを大事にしつつ、それでも装いが新たに見えるように――時間をかけて考えたものがいくつか。庭造りを通してきめこまやかな感性を培ったリリーローズの意見は的確で、候補もずいぶんとしぼれてきた。

 ごそごそと机からスケッチブックを取り出して、エデルがページをめくると、リリーローズは淡々と言った。


「差し出がましいようですが、奥様。シーズンの前後だけでも、旦那様に経営を手伝っていただいたほうがよろしいのでは」

「ご、ごめんなさい。私で頼りないのはわかっていますが……」


 夫から店の経営を引き継いでから、初めての春だ。これからの舞踏会シーズンに向け、試作靴のデザインを取り決めなくてはいけない。

 エデルはどうしても、経営者としてひとり立ちしたかったのだ。


「違います。最初のお子さまのときと、なんだか奥様の様子が同じように見えたので。お医者様に診ていただいた方がいいかもしれません」

「え」


 エデルはスケッチブックを取り落とした。リリーローズはそれを拾い上げ、そっと机に置いた。

 そうだ。そういえば、あのときもなんだか眠くて、疲れやすくて……。


「お屋敷に連絡しましょうか」

「いいえ、その……まだそうと決まったわけでは……」

「私も、旦那様からまた記念に庭を造れと言われそうなので、準備をしたいところです」

「ま、まだ待ってください。そうだ先に、ルディアさんにご相談を……」

「以前も先にルディア様に相談されて、旦那様がへそを曲げられていたように記憶しています」


 ああ、そうだった。彼女はよくおぼえている。


「今日はとりあえず、お屋敷に帰って……主治医を呼んでいただきます」

「そうですね、ご一緒しましょう」

「あの……リリーローズ」


 エデルの荷物をてきぱきとまとめる彼女に、エデルはおずおずと口を開いた。


「どうかなさいましたか?」

「その……ディックのことです。私、相談を受けているんです」

「奥様は、よけいなことまでお抱えになる必要はありません」

「あなたに避けられているって――プロポーズ、されたんですよね?」


 今日も彼の接客の予定がいっぱいなのを見計らって、工房に来たに違いない。


「物好きな方ですよね」

「リリーローズは、他に好きな人がいるのですか?」

「私は、一生結婚するつもりはないんです。相手がだれでも同じ。以前そうお伝えしているんです」


 それは……寿命のことを気にしているから? 

 エデルはそれをたずねることができなかった。彼女の生命の時間を奪ったのは、自分の父親――レイのしたことだ。

 リリーローズは大人になることはできるけれど、年寄りにはなれない。彼はそう言っていた。

 もう年齢的には、リリーローズは大人だった。彼女の寿命がどれくらい残っているのかは、誰にもわからない。

 彼女は年を重ねるごとに、他人とのかかわりあいを極力避けているように思える。エデルは、それが気がかりで仕方がないのだ。




「なっ、なんでだよぉ……うっ、うっ……」


 ディックがくだを巻き始めたので、アランは懐中時計を取り出して舌打ちした。


「もう帰ってもいいか?」

「いてくださいよ! たまにはおれに付き合ってくださいよ!」

「セスを置いていくから、それで我慢しろ」

「ちょっと僕も帰りたいんですけど~。アランさんも久々にこういう集まりに参加したんだから、まだ名残惜しいでしょ?」

「まったく惜しくない。帰って息子に絵本を読んでやらないとな」


 ガラスドームの近くのレストラン。閉店後に職人たちが集まって食事をするのはよくあることだが、元オーナーのアランが顔を出すのはめずらしい。

 最近は店をエデルに任せ、領主の仕事に時間を割いているためだ。

 セスはグラスをかたむけてからたずねた。


「へー。アランさんでもパパみたいなことしてるんですね。どんな絵本読んであげてるんですか?」

「『挿絵入り! 世界の珍獣百選』だ」

「うーわ、頭よくなりそ~」


 セスの物言いに、ジジが肩をふるわせている。


「アランさん、またなんでそんな……個性的な絵本なんて読ませているんだ。まだカラム坊ちゃまは二歳だろう」 

「妻を射止めるには知性も必要だからな。気のきいたたとえでときめかせないといけない。今から英才教育をしているんだ。ジジ、お前のようにふらちな中年にしないためにな。見ろ、叔父がちゃんとした手本を見せてやらないから、ディックがこうして困ったことになっているだろう」


 ディックがごそごそとポケットから小箱を取り出して、テーブルの上に置いた。


「これは?」

「指輪です」


 セスは小箱をあけて、納まった指輪をためつすがめつ眺めた。繊細な銀細工の花びらの中に、小さな石が埋め込まれている。


「おー、意外とちゃんとした店で買ってるじゃない。さすが叔父仕込み。はいはいこの石の細工はオールドマインカット……」

「返せっ、鑑定するなっ! デザインを参考にするな!」


 アランは言葉に詰まった。


「お前……ずいぶんましなものを選べるようになって……俺は関心したぞ」


 以前まで見せられていたひどいデザインボードが次々と思い浮かぶ。人は成長するのだ――。


「それでも、言われたんですよ。これ渡して、結婚してくれって言ったら……『無理です』って。たった一言」


 ずうんと暗い表情になるディックに、周りの面々は深くため息をつく。


「でもさ、ほらこう言っちゃ何だけど、ディックは彼女と恋人同士だったわけじゃないんでしょ? いきなりプロポーズされたら引くっていうか……」

「俺は、エデルに結婚前提のお付き合いをしてくれとプロポーズしたぞ」

「アランさんはちょっと黙ってて」

「黙っているわけにはいかない。俺はリリーローズの後見人だ。つまり保護者だ」


 アランの知らない間に、ディックはリリーローズに懸想していたらしい。

 彼女の生い立ちは複雑で、気がかりではあった。もしディックのような明るい男と結婚するなら、安心はできそうだが――。

(寿命のことを気にしているのか?)

 リリーローズが本当にディックとの結婚に乗り気でないなら、無理強いするわけにいかないが、もし寿命のことを気にしているなら……。彼女は残された人生で、多くの喜びをあきらめなくてはいけなくなる。

 ジジはまあまあ、とワインをかたむける。


「やっぱり互いのことをよく知らないと、女性だって結婚のことまで考えられないだろう。焦ってプロポーズしたのが敗因だよ。甲革師になったら奥さんがほしい!っていう気持ちが前のめりになっていたんじゃないか?」

「知ろうとすると、あっちは逃げるんだよ。誰ともお付き合いするつもりないって。だから結局、デートにも誘えなくって……でもそれで引いたら、おれの恋は終わるじゃないか!」

「他の子にしといたら~? 脈ないじゃんぜんぜん」

「セスさんだって、ビオレッタ女侯爵に脈なかったけど、あきらめてないじゃんか!」

「僕は年上の女性にぞんざいに扱われるのが好きなんだよ。生半可な覚悟じゃないね」

「おれだって生半可じゃないぞ! リリーローズ以外考えられない!」


 アランは深くため息をついた。


「そこまで言うなら仕方がない。……この本を、他人にくれてやる日がくるとはな」


 そう、これはアランにとってのバイブル。

『これで間違いなし! 初恋攻略大ガイドブック』の既刊シリーズをテーブルに置いた。

 ディックはおそるおそる本に手を伸ばし、ページをめくる。


「『好きな人との将来を思い描き、この欄に書き出しましょう』……うわ、なんだこのページ、黒! 気持ち悪っ」

「そうやって選り好みするから失敗するんだ。俺はこれでエデルを妻に迎え、いまや一児の父親だ。ここにたしかな成功例があるんだぞ」

「お、おう……」

「このテクニックを試せ。リリーローズが誰とも付き合うつもりがないなら、少なくともお前個人が嫌われているわけではないんだろう。その他大勢から突出しろ」


 アランはもう一度懐中時計を確認する。


「すまないが、妻が待っているので失礼させてもらう」


 エデルが経営の仕事ができるようになったのは喜ばしいことだが、一緒に過ごす時間が減ってしまったのは残念である。

 次のガラスドームの定休日には、久々にゆっくり過ごすことにしよう……。



 リリーローズは、サシェをつめた箱を見習いに手渡した。いつもならこれを、自分の手で工房へ持ってゆく。

 工房に行くのを避けているのは、ディックに会わないようにするためだ。

 ガラスドームの中庭を任されているので、靴店に行かないわけにはいかないが、その気になれば職人たちに会わずに仕事を終えることができる。

 最初からそうやって、関わりを避けていればよかったのに――できなかったのはディックのせいだ。

 ここに出入りしたばかりのころから、彼は自分の面倒をよく見てくれた。お菓子をくれたり、一緒にお弁当を食べようと言ってくれたり、こっそり描きかけのデザイン画も見せてくれたりした。どれもひどかったけれど。

 ずっと暗くて重苦しい場所にいたリリーローズは、彼の明るさに救われた。なんだか私、普通の女の子みたい。彼といると、よくそう思った。

 リリーローズは背も伸びて、顔つきも変わった。私はどんどん大人になる。そして、いつかきっと別れがやってくる。


「リリーローズ」


 咲き始めたカルミアの花を見つめていると、声をかけられた。ふりむかなくとも声でわかっている。


「あの……おれの話聞いてくれない?」

「なんでしょう」


 リリーローズが向き直ると、ディックは真剣な顔をしていた。


「お前……いつもクールで落ち着き払ってて……なんか狼みたいだよな!」

「どうも」

「でも、ツンとしてるところ可愛いしさ、なんか首の長い鳥っぽいっつーか……名前ド忘れしたけど……」

「ふざけてるなら帰りますよ」

「あーっ、もうわかったよ! 俺と結婚してくれ!」


 リリーローズはあきれたように言った。


「お断りしたはずですけど」

「ずっと独身でいるって、本当? なんで?」


 これをはぐらかしても、きっと同じことの繰り返しだろう。

 彼のことを想うなら――誠意のある対応をしなくては。


「私、事情があって長生きできない体なんです。結婚するつもりがないのはそのため。これでよろしいですか?」


 ディックはぽかんと口を開けた。


「長生きできないって、もしかして病気とか?」

「そのようなものです」

「働いていて大丈夫なのかよ。どこか痛かったりしないの?」

「平気です。でも寿命は短いんです」

「そうなの……? そう……? なら、なおさら誰かと結婚したほうがよくない?」

「なんでそうなるんですか」


 リリーローズがいらだった声をあげると、ディックはからっと言った。


「だって、突然具合悪くなっちゃうなら、そばに人がいないと」

「……あなた、結構寂しがりでしょう。だからだめなんですよ。先に逝ったら悲しむじゃないですか。私、ひとりは慣れてるし、別に平気です。でももう人を傷つけないって決めて生きてきたんです。だから……」

「うん、俺奥さんに先立たれたら、めっちゃくちゃ悲しいと思う」

「わかりました? じゃあもうこれでこの話は――」

「でも、それを怖がって、好きな人をひとりにさせるほうがもっと嫌だ」

「え……?」

「ずっとひとりでいるつもりかよ。そんなのおれが嫌だっての。別にお前が先に死んだって、そりゃ悲しいけど、傷ついたりしねーし! ちゃんと責任もって見届けてやるよ! ……あ、そんなこと言っておれが転んで頭ぶつけて先に死んだりしたら悪いけど」


 リリーローズは深くため息をついた。

 彼は悲しむけど、傷ついたりしないと言った。

 ……降参だ。たぶん、これ以上は意地を張れないだろう。

 本当はずっと彼のことが好きだった。

 彼と一緒にいると、私は普通の女の子になれる。

 人生の道筋を誰かと歩けるような、そんな女の子に。


「……足元、気をつけてくださいね。私と結婚するなら」


 ディックはしばらくして、ようやくリリーローズの回答に気がついたようだった。


「え? あっ、ほんと!?」


 あわてたように指輪を取り出し、リリーローズに握らせる。


「あの、こういうのは、指にはめていただくところなんですが」

「おれ、ブライダルシューズ作るから! すっごい、超大作で!」

「聞いてます?」

「あっ、そうだ。えーとこういうときは……」


 ディックはエプロンのポケットから本を取りだして、ぱらぱらとめくっている。


「おまえのこと、豚みたいに、幸せにするよ!」

「な、なんですかそれ」

「アランさんのメモ」

「……忘れてあげてください」


 そういえば、アランはいつもヘンな誉め言葉を妻にあびせている――。本人は喜んでいるようだし、いいのだろうが。


「今日はお祝いだな! 工房に行って、みんなに報告しよう!」


 ディックが力強く手を握ってきて、リリーローズは頬をゆるめた。

 ……今日は、どこもかしこもお祝いだ、きっと。




 息子のカラムを寝かしつけ、ふっくらとした頬を撫でる。

 エデルは笑みをこぼした。息子は、すくすくとよく育っている。

 エデルでもアランでもなく、祖母にあたるヴァイオレットにそっくりな子どもが生まれてくるとは、想像していなかった。

 アランが子ども部屋に入ってくるなり、うれしそうな様子で言った。


「もう良い話は聞いたか? リリーローズとディックが結婚するらしい」

「はい。良かったです。お似合いのふたりになります」


 ひそかに心配していたことだった。リリーローズはきっとディックと幸せになる。エデルは胸をなでおろした。


「カラムは寝てしまったか。仕方ない、珍獣図鑑はまた明日にしよう……」


 寝室に移動し、くつろいだ様子の夫を前に、エデルはおずおずと切り出した。


「あの、私からも良いお知らせが……」

「なんだ?」

「ふたりめが、おなかに……」


 アランはしばし言葉を失ってから、しぼりだすようにして言った。


「本当か?」

「お医者様に診ていただいたので、たしかかと」

「そうか、そうか……」


 アランは寝台のまわりをうろうろとせわしなく歩き回っている。


「あの、あなた」

「そうか、ふたりめ、そうか、そうだ仕事は休め、なにかあったら大変だ、万全を期さないと」

「落ち着いて。でもお仕事は少しだけ、手伝っていただくことになるかもしれません」

「男の子だろうか、女の子だろうか」

「まだわかりませんよ」

「ありがとう、そうか、うれしい、そうか、ありがとう」

「あの……そうか、ばっかりおっしゃっています」

「どうしたらいいかわからないんだ、うれしすぎて」

「私もです」


 アランはゆっくりと寝台に腰を下ろすと、エデルを抱きしめた。


「待ち遠しいな」

「はい……」


 アランの胸に顔をうずめて、エデルは目を閉じた。


「俺たちは確実に――幸せな豚に近づいてるな」

「そ、そうですね。もう十分豚です」

「かかとの低い靴を作らないとな」

「カラムのときに作りましたよ」

「新しいものを作らないと」


 ディセント家の一員になってから、思い出が抱えきれないほどに増えてゆく。きっとリリーローズもそうなるだろう。

 愛しい人と過ごす日々は、かけがえのない出来事の連続なのだ。


「靴箱が、いっぱいになってしまいますね」

「そうしたら、大きい靴箱を作るだけだ」


 人生をかけて、靴箱を思い出の靴でいっぱいにしたい。

 エデルはとろけるような笑顔になって、夫の肩に頬をよせた。

 

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幸せな靴箱【シンデレラ伯爵家】 仲村つばき @tsubaki_nakam

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