もう一台のGT-R
伊刈はチームの仲間には内緒にして一人でエターナルクリーンに向かった。刑事事件になったのはもともと許可のない六甲建材だけでエターナルクリーンの刑事立件は見送られ、県は許可取消しどころか指導文書一枚すら出さなかった。だがエターナルクリーンは変っていた。かつて荒れ放題だった場内が見違えてきれいに片付いているのは高速道路からもはっきりわかった。冷却水が漏れていた焼却炉も修繕が済んでピカピカによみがえっていた。しかし一番驚いたのは事務所前に停まっていた「わ」ナンバーのGT-Rだった。謎の一端が解けた。後はユキエに会うだけだ。伊刈がカウンターで来訪を告げると趣味のいいライトグレーの制服を着た見知らぬ事務員に二階の社長室へと案内された。事務所内の社員全員が入れ替わっていて壁紙もあかぬけたカラーに貼り替えらていた。会社の看板以外もうかつてのエターナルクリーンではなかった。いかにもヤクザの事務所風だった社長室はデザイナーズブランドのジョルゲッティの調度で統一され、IT企業のVIPルームのように見違えていた。
「お久しぶりです。おかけになってください」伊刈を待っていたのはまさしくあのユキエだった。美貌はそのままだがホワイトレザーのハイバックチェアが少しも不似合いでなかった。組み合わせた長い脚を見ると最後に新宿で会った時の印象がよみがえってきた。
「どういうことですか」さすがの伊刈も落ち着かずに言った。
「伊刈さんがお見えになると聞いたのでわざわざ大阪から来たんですよ」
「どういうお立場かお聞かせいただけますか」伊刈は知らず知らず敬語を使っていた。
「一応代表と思ってもらっていいかしらね」ユキエは名刺を二枚出した。一枚はエターナルクリーンの代表取締役、もう一枚はサンチョーのコンシェルジュと書かれていた。名前はどちらも逢坂小百合となっていた。
「もしかしてシルバーコードを買収した金融業者もサンチョーですか」
「相変わらずお察しがいいことね」
「コンシェルジュとは?」
「最近はやりの言葉だけど意味は特にないわ。まあうちの場合はお得意様担当役員ってところかしら。サンチョーは役員だけで社員はいないの。シルバーコードは安く買うことができてよかったわ。それにしてもあなたとは不思議な因縁だわね。あなたが潰した会社を私が買う。まるでなんて言ったかしら、そうマッチポンプでいいのよね」
「あなたと狂言をやるほど暇ではないですよ」
「残念ねえ。私はいつでも歓迎よ」
「廃墟同然の東洋エナジアを手に入れた目的はなんですか」
「伊刈さんならわかるんじゃないの」
「施設よりも土地ですか」
「やっぱり勘がいいわね。産廃に関心はないの。興味があるのは道路なのよ」
「道路?」
「東洋エナジアの敷地にはね、高速道路のインターチェンジができる計画があるのよ。だからどうしてもほしかったの。シルバーコードにもね国道のバイパス計画があるのよ」
「つまり道路の補償金狙いですか」
「そういうことね。ご存知だと思うけど、道路計画って全部センセがらみなのよ」
「あなたのほんとうのボスはそのセンセイですか」
「あらボスがいるって思うの?」
「あなた一人ではムリでしょう。サンチョーのオーナーの調所がボスですか?」
「まあ調所までご存知とはね」
「登記簿で見ただけですよ」
「焼却炉はもう要らないわ。それより今度はどうしても最終処分場が欲しいのよ。たとえばそうエコポストはどうかな?」ユキエは組み合わせた脚を解いて立ち上がり、ソファの中央にかけている伊刈のすぐ隣に座り直した。マイクロミニの黒いタイトの裾から長すぎる大腿部が斜に伸びた。
「そこは県の管轄ですよ。しかも許可が取消されてますよ」伊刈は目のやり場に困りながらも落ち着いて答えた。ユキエの誘惑がパフォーマンスだということはわかっていた。
「そんな月並みな情報じゃなく伊刈さんの意見はどうなの」
エコポストは隣接地への無許可区域拡張が発覚して許可が取消された後、水処理施設の運転が止まったために汚染水が場外に溢れてしまい県が対応に苦慮している最終処分場だった。跡地はエコポストの再開を狙う有象無象の輩に何度も転売され今は本当の持ち主が誰かもわからなくなっていた。許可取消しでわざわざ作ってしまった負の遺産、それが県の認識だということは、伊刈も知っていた。
「あそこの再開はムリですね」
「それじゃ太陽環境はどう?」ユキエも最初からエコポストは諦めていたのか、あっさりと話題を転じた。太陽環境は犬咬市に建設中の最終処分場だった。施設設置許可をめぐって県が管轄している時代から行政、業者、住民の三つ巴の長い長い紛争が続いており、利権を争奪する右翼と左翼の団体が何度も介入しては撤収していた。疲れきった住民の声も最近は小さくなっており、それを狙って事業者が攻勢を強めていた。ただし最終処分場の許可は本課の所掌で環境事務所の伊刈には審査の権限がなかった。
「住民から起こされた訴訟で市が敗訴したことを承知でおっしゃっているのですか」
「もちろんよ」
「難しいでしょうがエコポストよりはましかもしれませんね」
「伊刈さんにしてははっきりしないわねえ。OKなのNGなの」ユキエはまるで部下を叱るように答えをせまった。
「上訴の行方についてはノーコメントです。どっちみち最終処分場が莫大な利益をあげられた恐竜時代はもう終わろうとしていますよ。これからはいかに細かく分けて最終処分しないかという時代ですからね」
「参考になったわ。でも私のボスは恐竜をほしがっているのよ。絶滅寸前の恐竜が一番大きかったことはご存知でしょう」
「調所が最終処分場を探せと言ってるんですね」
「それはいま言えないわ。でも伊刈さんならきっとボスとも気が合うんじゃないかしら」ユキエはさすがに誘導尋問にかかって調所の指示だとは認めなかった。
「そろそろ失礼します。謎は解けました。いや解けないことがわかりました」
「あらもうゲームセットなの。前回とずいぶん違うのね」
「前回とはいつですか。立入検査のことですか」
「まあいろいろね。今度お会いするときには私の方からお邪魔することにすると思うわ。密会は迷惑そうだから」ユキエは伊刈の心を見透かしたように言うと小顔に一筆で描いたような切れ長の目じりを細めて微笑んだ。
ユキエとの関係が秘密である以上、GT-Rの正体を伊刈は誰にも伝えようがなかった。いや警視庁はもうとっくにGT-Rの正体もユキエが逢坂小百合であることもつかんでいたはずだ。警視庁の捜査を二度までもかわし、堂々とエターナルクリーンと東洋エナジアを乗っ取ったとすれば、ユキエのボスに違いない調所は想像以上の大物ということになる。サンチョーの狙いはほんとうに土地なのか、それともやっぱり産廃の利権なのか。どちらにしても産廃がただに産廃ではなく、もっと大きな構造の中に組み込まれていることを伊刈は初めて垣間見た思いだった。
産廃水滸伝 ~産廃Gメン伝説~ 4 やくざ社長 石渡正佳 @i-method
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