偽信心

 帰り道に伊刈がミハスのいつもの中二階でコーヒーを飲んでいると喜多が寄りこんだ。

 「来ると思ってたよ」珍しく伊刈が先に声をかけた。

 「すいません、今日はどうしてもお話したかったんで」

 「GT-Rのことだろう」

 「はい」

 「何が見えたんだ」

 「なんだと思いますか」

 「車の中では「わ」ナンバーが見えたって言ってたけど、それだけじゃないんだろう」

 「どうしてわかるんですか」

 「なんとなくね。見えたのは女か」

 「サングラスです。それも一瞬だし、気のせいかもしれないですがスモークガラスを透かしてきらりと光る金具があったんです。それでサングラスかなと」

 「またサングラスの女ってことか」

 「女かどうかはわかりませんでした」

 「なんでそんなに動体視力がいいんだ」

 「子供のときからなんです。スポーツ選手向きだって言われていろいろやりましたけど体力がついていかなくって」

 「僕もね、実はGT-Rに乗ってたのは女じゃないかとずっと思ってたんだ」

 「どうしてそう思ったんですか」

 「走り方が乱暴じゃないから」

 「あれがですか」

 「スピードは出してるけど安全運転だなってなんとなく思ったんだ。だから女じゃないかなって」

 「今日の池沼さんはちょっとかわいそうでしたね。どうして水沢を待っていたのか僕には理解できませんでした」

 「水沢にもいいとこあるってことじゃないか」

 「あんなやつのどこがですか」

 「あんなやつって言うなよ。僕は別に嫌いじゃなかった。ほんとに悪いやつなら借金残して会社潰したりしない。ばれるウソしかつけない正直なやつってことじゃないのかな」

 「班長は意外と目線がやさしいですね。でも班長が警視庁にネタ売ってあの会社潰したんですよ」

 「まあそういうことになるかな。それよりやっぱりGT-Rが気になるな。警視庁がガサ入れしたとたんにまた動き出したってことは内偵は空振りだったってことだよな」

 「それにしてもなんでまた同じ車なんですか。警察に挑戦してるんですか」

 「あの車が気に入ってんじゃないのか。やたら加速がいいしまるでチューンしてるみたいだよな。それよりわからないのはどうして潰れた東洋エナジアにGT-Rがまだ関心があるのかってことだ」

 「警視庁はきっと知ってるんですよね。どうして何も教えてくれないんですかね」

 「教えないのが美徳だと思ってんだろう。ほんとはかえってヤクザは喜んでるのにな」

 「班長わかりにくいですよ」

 「そっか。まあ、コーヒーもう一杯飲めよ」伊刈は冷めたコーヒーの残りを飲みほすとママにVサインを出しておかわりを督促した。

 「ヤクザがなくならないのはね、警察の秘密主義のせいなんだと思うよ。警察のマル暴情報を全部公開したらどうなると思う。ここの旅行会社はどこの組の企業舎弟だとか、ここのパチンコ屋は何々組系だとか全部ばらしたらどうなると思う?」

 「それってけっこうやばいですね」

 「秘密を守ってるんじゃなく秘密を守ってやってるんだ。それで暴対なんて笑わせるよ。マフィアが合法的な経済活動をやったり年中行事を仕切ったりしてるのは日本だけだよ。葬式だってお祭りだってヤクザなしじゃできないだろう。全く変な国だよな。正月の門松ってヤクザが作ってるって知ってたか。行政とゼネコンの癒着を叩く前に警察とパチンコ屋の癒着を叩くべきだな」

 「班長はますます警察が嫌いになりましたね。門松って言えばそうだ、聞きたいことがあったんです」

 「何?」

 「東洋エナジアの社長室に入ったとき神棚を拝んでましたよね。班長って無信仰だと思ってましたけど。それにさっきも池沼さんに神棚の水を取り替えたかなんて聞いてたし、もしかして」

 「無神論だよ」伊刈はあっさり答えた。

 「それじゃどうして。GT-Rの謎はともかくこっちの謎解きをしてくださいよ」

 「お水もお神酒も新しくてちゃんと祭られてたから感心しただけ」

 「そんなの理由になってませんよ。無神論なのになんで拝むんですか」

 「パフォーマンスに付き合っただけだよ」

 「長嶋さんのですか」

 「水沢のだよ。水沢だって信仰心なんかほんとはないだろう。宗教はパフォーマンスなんだよ」

 「ますますわからないんですが」

 「ヤクザの事務所にはね、必ず神棚があるだろう。あれって良心の呵責みたいなもんだよな。それからどうもね、産廃業者の社長室には神棚が必ずあるらしいじゃないか。それって面白い符合だなあと思わないか。だからそれに付き合うのもいいかなってとっさに思ったんだ。相手のルールを尊重するのがフィールドワークの基本だろう」

 「フィールドワークってなんですか」

 「現場の仕事って意味じゃないか」

 「とっさに思ったっなんて嘘ですよね」

 「意外と懐疑主義者だな」

 「班長のせいで疑りぶかくなったんです」

 「僕一人ならいかにもわざとらしくて目立ったけど長島さんもいっしょに拝んだから、なんか自然な絵になってよかったじゃないか」

 「長島さんはどうして拝んだんですか」

 「知らないよ。体張って仕事してる人は神様が好きだよな。死は神だからね」

 「なんかやっぱり全然わかりません」

 「ほんとはわかってるんだよ。わかってるから気になったんだ」

 「そんな禅問答みたいなこと言わないでください」

 「水沢どうなると思う?」

 「どうなるんですか」

 「今夜は帰らないな。池沼の女が気になるなら今からでも様子見に行ってあげたら。美人には違いないし、水沢なんかに操立てして心も案外いいみたいじゃないか」

 「ヤクザの女に手を出せなんて冗談でもやめてください」喜多はマジ切れしたように伊刈をにらんだ。

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