GT-Rの正体

 朝一番、仙道が所轄に呼ばれた。一時間ほどで帰ってきた仙道は監視班員を召集した。緊急の事件ではなさそうなのが表情からありありと伺えた。

 「おまえらが追いかけてたGT-Rだけどな、警視庁の内偵車両だったそうだよ」

 「そうでしたか」伊刈は無感動だった。

 「なんだ驚かないのか」

 「うすうすそんな気がしてたんです。わナンバーなのに県警で借主を特定できないっていうから変だなと。県警はとっくに知ってたんですよね」

 「いや警視庁は教えなかったそうだよ」

 「そんなことないでしょう」

 「県警で調べたリース会社がそれらしいことを匂わせたんで、やっと警視庁も認たそうだ」

 「警視庁と鬼ゴッコしてたんなんてムダな時間でしたね」

 「そうでもないだろう。GT-Rを追いかけてて東洋エナジアの不正の証拠をつかんだんだ。向こうさんにすれば捜査妨害だと思っただろうが、こっちはもっけの幸いだったじゃないか」

 「それで警視庁の狙いはなんですか」

 「向こうさんも東洋エナジアを狙ってたそうだ」

 「管轄外じゃないんですか」

 「警視庁は県警と違って広域捜査ができるからな。産廃の出どこが都内ならどこまでだって追っていくだろう」

 「県警にことわりもなくですか。なんだか偉そうですね」

 「その警視庁様がだな、おまえに頼みがあるそうだよ。東洋エナジアの情報がほしいそうだ」

 「天下の警視庁がうちの情報なんかあてにしてるんですか?」

 「いつかおまえも言ってたろう。警察は礼状がなければ立ち入れないが役所なら立入検査証があるからいつでも入れるってな」

 「立入検査証は刑事捜査のためならずじゃないんですか」

 「今度の件は県警本部の生活経済課も了解してるんだ」

 「またそれですか。こちらの情報を全部渡せってことですか」

 「まあ来てみなければわからんがな」

 「いいですよ、なんでも差し上げますよ。役所と警察は不平等条約なんですから」伊刈は憮然として席に戻った。

 翌日さっそく警視庁生活安全部の増岡警部と沖田警部補が伊刈を訪ねてきた。二人とも見上げるような大男で生安というより暴対のイメージだった。

 「私どもの捜査で市のパトロールにご迷惑をおかけしたようですね」増岡が心にもない挨拶をした。

 「お互いさまですよ。そちらもXトレールが役所だとはご存知なかったでしょう」

 「最初はそうでしたね。ですがすぐにわかりましたよ」

 「本題に入りませんか」伊刈はうんざりした口調で言った。

 「東洋エナジアのこれまでの指導経過についてお聞かせいただきたいのです」

 「中間処理残渣の自社処分は不法投棄ではないという口実で受注した産廃をそのまま埋立て処分していました。未処理廃棄物の処分ですから処理残渣の自社処分とは認められないという判断を何度も水沢社長と銀司専務に指導しました。そのうちに専務が辞め、代わって宝塚興業の黒田が指導の窓口になりました。黒田は不法投棄であることを認め撤去計画書を提出しましたが実際には搬出量よりも搬入量のほうが多く、さらに不法投棄現場が拡大してしまいました」

 「法的に厳密に言えば不法投棄ではなく無許可事業範囲変更ですね」

 「ええ、そのとおりです。適用条文が違います」

 「その指導経過を文書で残されていますか」

 「文書は出しています」

 「自社処分を偽装して中間処理の許可しかないのに他社から受託した廃棄物を最終処分したということになるのですね。会社の状況はその後も変わりませんか」

 「専務が辞めてから炉が停止してしまいましたので不法投棄はさらにエスカレートしています。場内は満杯で従業員は全員解雇となり、今は直行便で柴咲町の不法投棄現場へ持っていってるようです」

 「なるほどわかりました。ほかになにか参考になることはあるでしょうか」

 「帳簿の検査を実施したところでは明らかな二重帳簿でしたね」

 「その帳簿は押収されていますか」

 「押収の権限がありません。ですが社長の帳簿の方は一度預かってコピーは取ってあります。社長と専務にそれぞれ専属の事務員がいて別個に帳簿をつけていました。専務が辞めるよりも前に専務の帳簿をつけていた事務員も辞めたと聞きました」

 「それは三嶋由梨のことですね。彼女からはもう聴取が終わっています」

 「名前は知りませんした。いや三嶋さんという名前は聞いたかもしれませんね。彼女の罪状はあるんですか」

 「刑事責任を追及することはありません」

 「社長の方の事務員はどうですか」

 「池沼麗子はですね、まだ聴取はこれからですが彼女の関与はもう少し深いかもしれませんね。でも証拠を隠滅するようなことがなければ大丈夫でしょう」

 「ちょっと安心しました」

 「今のお話を上申書におまとめいただくわけにはいきませんか」

 「市の指導はこのまま続けてもいいですか」

 「もちろんです。それは市の権限ですから」増岡はけちな禁足令など出すつもりはないようだった。

 「GT-Rを最近見かけないところをみると捜査はもう大詰めなんですね」

 「内偵は終わりましたが自社処分にあたるかどうかで検事が迷っておられる。行政が自社処分ではないという指導文書を出した後もまだ搬出を続けていたという上申書を提出していただければ検事も決断されるのではないかと思っています」

 「現行ではやらないのですか」

 「やりません。排出元も同時にガサ入れをします」

 「ほかの現場でもGT-Rを確認していますが捜査対象は東洋エナジア以外にもあるんですか」

 「ちょっと今それは言えなくて申し訳ないですがヤマはほかにもあります。ですが東洋エナジアが本命ですよ」

 「ご依頼の上申書は三日でまとめますよ」

 「恐れ入ります」警視庁の刑事らは丁寧にお礼を言って帰っていった。

 伊刈が上申書を提出して間もなく警視庁は東洋エナジアの強制捜査に着手した。秋川メタルと宝塚興業にも同時にガサ入れが入る本格的な捜査だった。伊刈はガサ入れの翌日、東洋エナジアに向かった。

 「ああ伊刈さん」誰もいなくなった事務室に社長秘書の池沼がぽつんと一人で座っていた。やつれた感じはしたが、かえって毒が抜けてきれいに見えた。

 「社長は?」

 「警視庁に呼ばれたままです」

 「逮捕されたの」

 「まだ任意の聴取だそうです」

 「じゃ社長が戻るの待ってるの?」

 「ええ」

 「電気はどうしたの?」事務所内には照明が灯いていなかった。ちょうどエアコンの要らない陽気なのがせめてもの幸いだった。

 「電気も電話も止められました。もう三か月以上引き落としになっていないから。でも水道だけ出ます」

 「そういえば社長室の神棚のお水を取り替えていたのはあなたですか」

 「ええそうですけど」

 「今朝も替えられました?」

 「いいえ」

 「ですよねえ」さすがの伊刈も電気まで止められた会社に池沼がまだ残っていようとは思いがけなかった。

 「黒田はどうしました? 最近は姿を見せないけど」

 「焼却炉の手付金五千万円を持って逃げちゃいましたよ。あのお金で最後のお給料を辞めたみなさんに払うつもりだったのに」

 「社長はこのまま帰ってこないかもな。あんたも家に戻ったほうがいいな」長嶋がぶっきらぼうに言った。

 「いまさらこんなこと言ってもしょうがないですけど、社長はあんなふうに見えて人がいいから騙されたんです」池沼はいくらか反抗的な目で長嶋を見た。

 「誰に?」長嶋が聞き返した。

 「みんなにですよ。狐澤、黒田、銀司…」池沼は知るかぎりの名前を挙げた。「社長だけじゃなく全員を逮捕しなければ不公平です。社長は警察に全部話すって言ってました。そうすればあいつらの逮捕も時間の問題だろうって」

 「余計なことかもしれないけど、あなたはどうして社長を見捨てないんですか」伊刈が聞いた。

 「かわいそうですから。それに社長には恩があるから」

 さすがの伊刈も池沼に処分場の始末の指導をするわけにはいかなかった。

 廃墟同然になった東洋エナジアを後にしたXトレールは思いがけないものに遭遇した。

 「班長あれっ」必要もないのに喜多が声をひそめて言った。視線の先にUターンしていくGT-Rのテールが見えた。

 「なんでいまさら」伊刈も意外だった。

 「どうします班長」長嶋が伊刈を見た。

 「追って」伊刈が静かに命じた。

 「追いつかないですよ」

 「やれるだけやって。これが最後のチャンスかもしれない」

 「はい」長嶋はアクセルをめいっぱい踏み込んだ。Xトレールのエンジンが甲高いうなりをあげた。だがその時にはもうGT-Rは影も形もなかった。

 「埴輪インターに先回りできないかな」伊刈が運転席の長嶋を見た。

 「高速に乗るってことすか」

 「いちかばちかだよ」

 「それなら近道があります。GT-Rがスピードを緩めてくれれば追いつけるかもしれません」長嶋は国道とは逆方向に折れた。T字路を何度も曲がる複雑な抜け道を使って長嶋は高速のわき道に出た。そのままインターに入り走行車線を西に向かって流した。

 「班長、後ろにGT-Rです」バックミラー見ながら長嶋が言った。「やりましたね」

 「スピードを上げて」

 長嶋はフルスロットルで加速した。しかし追越車線をGT-Rがなんなくすり抜けていった。

 「すごい。二百五十キロは出てましたね」遠鐘が感動したように言った。「あれじゃ追いつけっこない」

 「スモークガラスだし、何も見えませんでしたね」長嶋がアクセルを緩めながら言った。

 「僕にはちょっとだけ見えましたよ」喜多が複雑な表情で伊刈を見た。

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