エアパト

 黒田は新発明の焼却炉を本気で売り込みたかったのか、東洋エナジアの撤去計画書を提出し撤去工事を始めると約束した。伊刈はうさんくさいと思いながら撤去に立ち会うことにした。柴咲町の現場に行ってみると、ユンボと空のダンプ二台が待機していた。オペは持田だった。

 「それじゃ撤去を始めます」黒田の号令で掘り出された産廃がダンプに積まれた。

 「どこへ出すんですか」

 「すぐ近くの秋吉総業の最終処分場です」

 「マニフェストはありますか」

 「もちろんです」黒田は胸を張って答えた。

 それから毎週、黒田は撤去報告書を提出するため環境事務所にやってきた。しかし現場は一向に片付かなかった。一台撤去したふりをして二台搬入するという手口だったので、現場はむしろ日を追って拡大してしまった。それでも黒田は撤去が順調に進んでいると嘘の報告書を出し続けた。

 「どうします班長」長嶋が増長する現場を見ながら問いかけた。

 「これじゃチームゼロが夜間パトロールを始めるまで持ちこたえられそうにないな」

 「そうっすね。そのころには埋め立てが終わってしまいますね」

 「う~ん」さしもの伊刈も許可業者にここまで開き直られては打つ手がなかった。もちろん許可を取消せばいいのだが、それは本課の判断にゆだねなければならなかった。

 そんなおり、思わぬ朗報が本課からあった。

 「伊刈、本課が来週、エアパトを試行するそうだ。ついちゃあ事務所から二名参加するようにとのお達しだ。おまえと喜多で行ってこい。長嶋と遠鐘には次の機会に回ってもらう。うまくいけば全部で年間六回の予算が取れるそうだ」仙道が朝一番に言った。

 「唐突ですがすごいですね。いつの間に進めていたんですか」こればかりは伊刈も本課の機動力に溜飲を下げた。

 「事務所にいちいち相談するまでもないと思ってるんだろう」

 「要するにヘリコプターのパトロールですよね」喜多が言った。

 「課長がエアパトロールと名づけたそうだ。名前はどうだっていいけどな」

 「これも宮越さんのアイディアですか」遠鐘が聞いた。

 「ヘリ会社から売込みがあったんだとよ」

 「予算はいくらなんですか」喜多が聞いた。

 「一チャーター五十万円らしいな」

 「そんなに高いんですか」

 「それでも値切ったんだってよ。オフシーズン限定ってことで半額になったそうだ。実施はとっくに決まってたんだが、夏の観光シーズンが終わるのを待って九月から飛ぶんだとよ」

 「なるほど、それでチームゼロ発足の直前のこの時期ですか」伊刈が納得したように言った。

 エアパト初飛行の三日前になって本課で搭乗予定者の打ち合わせが行われた。事務所の搭乗者は仙道の指示どおり伊刈と喜多になった。本課から搭乗するのは城戸という若い土木技師が一人だった。現場の土地勘がある方がいいというヘリ会社のアドバイスで、初回は航空写真を見慣れている土木技師一名、現場に明るい事務所二名になったのだ。

 テイクオフ直前、庁内では情報が漏れる恐れがあると、わざわざ市内の喫茶店に場所を移しての打ち合わせが始まった。学生が勉強部屋の代わりに使っているコーヒーチェーン店だった。コーヒー専門店ではブラックしか飲まない伊刈もここではラテを頼んだ。ロブスタ種のえぐみがはっきりとわかる低劣な豆で、とてもブラックで飲める代物ではなかったのだ。このコーヒーチェーンは創業時にはハワイの上等なアラビカ種の豆だけを使っているのが話題だったが、店舗数が増えるにしたがってベトナム産のロブスタ種の比率が多くなってしまったようだ。看板メニューのクレープケーキも最初は創業者がこだわって六本木のケーキ店から仕入れていたが、今は国内トップクラスの製パン会社が味を似せて製造していた。すし屋のトロの品質がだんだん落ちるのと同じだ。

 「問題はターゲットをどう絞り込むかです」若い城戸が本課ということで会議をリードした。

 「それなら事務所は決まってる」伊刈が答えた。

 「どこですか」

 「東洋エナジア」

 「許可業者ですね。不法投棄現場じゃないんですか」

 「そこが不法投棄をやってる」

 「相手がわかってるなら地上の指導でよくないですか」城戸はなかなか正論派のようだった。

 「なるほど。それじゃ改めて聞くけどエアパトの目的って何?」

 「新規不法投棄現場の早期発見です」

 「それって矛盾してない。新規現場を発見するというのとターゲットを絞りこむというのと」伊刈の鋭い指摘に城戸は絶句した。

 「走査飛行をしてはどうですか」喜多が発言した。

 「捜査?」伊刈が聞き返した。

 「その捜査じゃありません。走査顕微鏡の走査です」

 「つまり全域をメッシュに切って飛ぶんですね。航空写真を撮るのと同じだ。だけど問題があります。プロの測量会社が持っているような撮影機材がうちにはありません」城戸が答えた。

 「それじゃどんな機材を使うの?」伊刈が聞き返した。

 「望遠レンズのついた一眼レフと家庭用のビデオカメラです」

 「そのビデオを機体の下に固定しておいて走査飛行してはどうですか」喜多が提案した。

 「可能かどうかヘリ会社に聞いてみます。もしも落ちるようなことになると大変ですからダメかもしれません」

 「一応走査コースを作っておいた方がよくないか」伊刈が言った。

 「それは僕にまかせてください。土木事務所で使っている五千分の一の管内図を使えば簡単です」城戸が自信ありげに言った。

 「カメラは事務所でも持っていくから手カメラは二台だ。これで左右の窓から撮影できる」伊刈が言った。

 「了解です。あと搭乗場所なんですが、犬咬にはヘリポートがないということで成田からになります」

 「成田空港ってこと?」伊刈が聞き返した。

 「いえ違うんです。空港よりずっと西なんですが専用のヘリポートがあるそうです」

 「空港の周辺て自由に飛べないんじゃないか」伊刈が言った。

 「そのへんはヘリ会社にお任せするしかないですから。ヘリポートの場所は後でファックスしておきます。現地十二時テイクオフですから三十分前にはお願いします。それから昼食は食べないほうがいいってことです」

 「どうしてですか」喜多が聞いた。

 「長時間の飛行になるので満腹だと気分が悪くなる場合があるそうです。心臓発作とかよほどの重病でないかぎり気持ちが悪い程度じゃ緊急の着陸はできないそうです」

 「わかった。食事もトイレもダメってことだな」伊刈が言った。

 「はい、そのとおりです」

 走査飛行という提案が採用された喜多には大満足の打ち合わせだった。ドクターヘリの導入を主導したことといい、伊刈には何かとヘリの初物に縁があった。

 エアパト決行日は快晴無風の絶好の日和となった。指定された飛行場が、テニスコート程度の大きさしかない、なんにもない空き地にすぎなかったのは、ちょっと予想外だった。ヘリというと垂直降下のイメージがあるのだが、予定時刻になると、低い角度で降りてくる機影が遠くに見えた。空中静止(ホバーリング)からの垂直降下着陸は横風に流されやすいので、飛行機と同じように向かい風を利用して斜めに滑空してくるのが普通なのだ。

 着陸ポイントの5メートル上空に到着したヘリは、ブランコから体操選手がひらりと身をかわして着地するように、機体を傾けてマークのど真ん中に舞い降りた。チヌーク(陸上自衛隊が採用しているタンデムローターの大型ヘリCH-47)のようなすさまじい砂埃こそ巻き上がらなかったが、MD902(巻き込み事故を起こしやすいテールローターのないノーターの中型ヘリ。ドクターヘリにも使われている)の風圧はそれなりだった。パトロール要員三人をピックアップするとヘリはタッチ&ゴーで飛び上がった。乗り込んだ三人はすぐにヘッドセットをつけた。機内の会話はすべてヘッドセットを介して行うことになっていた。キャビン内は狭くとても遊覧気分ではなかった。静粛性の高い双発ジェットヘリだと聞かされていたが、キャビン内のエンジン音は旅客機の比ではなく直接会話しようとしたら耳元で怒鳴らなければならなかった。テレビドラマなどのヘリ搭乗シーンがウソなのがわかった。申し合わせて昼食を抜いたが緊張のために空腹感は全くなかった。空はなんにもない自由な空間のようだが、実は首都圏の空は民間機、自衛隊機、米軍機の飛行航路が縦横に入り組んで立体パズルのようになっている。自衛隊や米軍とは協議することすらできないので、なかなかヘリが長距離を飛ぶルートを決めるのは難しい面があった。優先権のある航路を避けてヘリ運行会社の朝間航空が申請したのは成田空港の真上を越えて犬咬へ向かう航路だった。空港の真上は旅客機が飛ばないので、意外な盲点になっていた。ヘリの巡航速度は時速二百キロ、緊急時の最高速度は二百五十キロと聞いていたが、上空五百メートルから見下ろすと意外なほど遅く感じられた。真下の空港道の追越車線を走行する車は制限速度をオーバーして百五十キロくらいは出しているだろうが、それでもヘリが少しずつ前に出ていた。もっともポルシェやスカイラインが最高速を出したら軍用ヘリでなければついていけない。ヘリが早いのはなんといっても直線で飛べるからである。ヘリポートから十分もしないうちにもう成田空港の上空だった。

 「これから管制塔の直上を通過します」ナビゲータの東海林に教えてもらうまでもなく、どこにいるかは一目瞭然だった。五百メートルの高度を保って空港のど真ん中を通過する気分は最高だった。離着陸するジャンボジェット(現在は国内航空会社から引退したボーイング747-400)を真上から見下ろす体験はそうはできない。着陸に失敗して急上昇してくる旅客機や下手な飛行をする小型自家用機との衝突が万が一にもないとは言えないので、パイロットはやはり緊張しているようだった。成田はいまのところ平行する滑走路が二本だけだが、横風用のC滑走路ができたら真上だって飛べなくなるかもしれない。パイロットと管制官のリアルタイムの交信がヘッドセットから聞こえてきた。英語だが会話の八割はアルファベットと数字の棒読みだった。機体の番号と位置を知らせるたびに管制塔からそのまま進めと指示が来た。パイロットは管制官の指示を鸚鵡返しにして応答していた。鸚鵡返しは指示の聞き漏らしや誤解がないように確実を期すための習慣らしかった。空港を上空を通過すると、左側の窓に河川敷を見下ろしながら一路犬咬に向かった。右側の窓の下にはどこまでも似たような谷津が続いていて、どこを飛んでいるのか全く見当がつかなかった。車なら飛ばしても一時間かかる犬咬に、ヘリは十五分で到着した。

 「最初のポイントに到着しました。これより予定通り、走査飛行に入ります」ナビゲータが告知した。

 旧軍施設を転用した卵形の街路のある住宅団地から不法投棄多発地帯の森井町の近くだということはすぐにわかった。太平洋に突き出た犬咬は本土防衛の要衝とされ、旧軍が航空隊の便宜のために上空からはっきりと目立つランドマークをいくつも残していた。だがそれはB29爆撃機の格好の標的にもなった。近くにはXの形をした旧軍飛行場跡地もあった。激しい空襲に見舞われた滑走路は戦後に工業団地へと転用され、この地域の名産の豚肉を加工する工場が並んでいた。地上から見慣れた不法投棄現場も上空からのイメージはまるで違った。捨て場の輪郭線が樹木の枝振りで消されて見分けがつかず、新しい捨て場の発見どころではなかった。北側から開始した走査飛行はあっという間に時間が経過し太平洋に面した海岸線がきれいに見えてきた。何十キロにも渡って高さ五十メートルの垂直の崖が太平洋に切り立つ扇面ヶ浦の絶景はヘリからの眺めとしては全国随一だといっても大げさではなかった。

 東洋エナジアの柴崎町の現場はあらかじめホバーリングのポイントに指定しておいた。現場上空に来るとパイロットは機体を8の字に旋回させして左右両方の窓から現場を確認させてくれた。

 「ちょうど今ダンプがジャンプ台をバックしていくところです。降下をお願いします」伊刈が言った。

 「了解」ナビゲータの東海林が応答した。ヘリはこの日初めてホバーリングでの降下を試みた。扇面ヶ浦の上空は風が強くホバーリングは難しい操縦となった。伊刈は一眼レフを構え連続シャッターを切り始めた。

 「現在地上から高度二百五十メートルです。どうですか、もっと降下しますか」東海林が問いかけた。

 「限界まで下げてください」

 「了解。高度百五十メートルまで降下します」ヘリは航空法の限界高度まで垂直降下した。これ以上の降下は航空法が適用されない消防ヘリやドクターヘリにしか許されていない。

 「ユンボの運転手が見えます。こっちに気付かないみたいですね。エンジン音しないんでしょうか」喜多が言った。

 「ダンプもバックし続けてますね」城戸が言った。

 「あ、ダンプアウトしますよ」喜多が言った。

 「写真撮れました。ばっちりだ。埃が巻き上がってるとこも撮りましたよ。動かぬ証拠だ」伊刈が満足げに言った。

 「まだ撮られますか?」東海林が言った。

 「OKです。現場から離脱してください」

 「了解、上昇します」ヘリはパワー全開で前傾姿勢となって現場を離れ、五百メートルの巡航高度に達した。

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