無駄足

 伊刈は秩父市の秋川メタルに立入検査を通告した。

関越道のインターチェンジを降りて国道を西へ向かい大きな鉄橋を渡ると国道沿いにプレハブ二階建ての本社事務所がすぐに見つかった。角雪社長は緊張した面持ちで監視チームを出迎えた。中肉中背で目だった特長のない男だった。二世社長にありがちな上品だが影の薄い印象である。初代が不法投棄で儲けた金で高等教育を受けているから小理屈こそひねられるものの、産廃業界の草創期に修羅場を潜り抜けてきた初代とは仕事への覚悟が違うのだ。山間にある処分場の検査は後回しにし、伊刈は挨拶もそこそこに会議室に陣取って書類の点検を始めた。

 「決算書はありますか」例によって伊刈は会計書類の検査から始めた。

 「税理士に預けたままでここにはないね」角雪はまんざら嘘でもなさそうな表情でのほほんどタメ口で答えた。

 「過去のもないんですか? 今年のはともかく去年のはあるでしょう」

 「ここにはないね」

 「税理士さんから取り寄せることはできますか」

 「聞いてみないとわからないね」

 「検査は時間がかかりますから帰るまでに届けてください。決算書がないと検査になりません。必ず今日中にお願いします。FAXでもかまいませんよ」

 「あのどうしてかな」

 「検査時間を節約するためです。事業内容を一つ一つ点検しなくても決算書を見れば集約されている。そのための決算書ですから」

 「なるほどわかった。いやわからんかな。ま、いいよ。税理士に聞いてみる」

 「マニフェストはありますか」

 「先々月までのはある。最近のは工場だね」

 「それでいいですから見せてください。とりあえず半年分お願いします」

 角雪社長は事務員に命じてマニフェスト綴りを持ってこさせた。

 「帰りにもう一度寄りますからこのままにしておいてください」伊刈はざっくりとマニフェスト綴りの所在だけ確認した。「スクラップもやってるんですよね」

 「ああそっちが本業だね」

 「スクラップ業から産廃に転じられたんですか」

 「親父はゴミには触るなって考えだったけどね、親父が死んですぐ始めたんだよ」

 「やってみてどうですか?」

 「スクラップは景気の波で儲かったり損したりだけど産廃はわりと安定してる。仕事さえあれば儲かるね」

 「処分場はここから遠いんでしたね」

 「車で三十分くらいかね」

 「じゃ案内してください。書類は後でもう一度見ますからこのまま積んでおいてください」

 「あんたらもたいへんだね」

 角雪社長自ら運転するトヨタレクサスの先導で処分場に移動した。住宅地を過ぎたとたん道路がどんどん細く寂しくなり、ついに峡谷沿いの苔生した隘路になった。とても都内だとは思われなかった。写真だけ見せられたら大分県の臼杵だと言っても通用しそうだ。突然視界が開けて小さな部落が現れた。平家の落人が拓いたような山村だった。その一番奥に秋川メタルの処分場があった。広い場内には自動車のハードプレスが積まれ、背の高いオレンジ色のクレーンが磁石でスクラップをつり上げでは大型シュレッダーに投入していた。大型のギロチン(一枚刃の裁断機)もあったが稼動していなかった。

 「シュレッダーダストを見せてもらえますか」

 「こっちだよ」角雪社長の案内で裁断したばかりのシュレッダーダストの保管場に回った。遠鐘が森井町の自社処分場団地の一夜城に捨てられたシュレッダーダストのサンプルを広げて比較してみた。

 「どうかな」伊刈が後ろから覗きこんだ。

 「残念ですが同じじゃないみたいですね」

 「そうか」

 「何やってるんだよ」角雪も遠鐘の手元を覗いた。

 「最近不法投棄されたシュレッダーダストがありましてね」伊刈が振り返りざまに説明した。

 「ちょっと見せて」三田には遠鐘が持ってきたシュレッダーダストを拾い上げた。

 「ああこれは家電のシュレッダーだね。うちも家電は受けてるけど手ばらしで捨てるものがないからね。これはうちのじゃない。家電のシュレッダーなんてまだやってるところがあるんだね」

 「ここのシュレッダーはもう黒田さんに出してないんですか」

 「一時期やめてたんだけどまた出してみることにしたよ」

 「もう埋め立てはできませんよ」

 「ゴムの油化を始めたっていうんでね、サンプルにほしいって言うから少し出したよ」

 「うまく行くと思いますか」

 「何が?」

 「油化ですよ」

 「知らないね。うまくいってくれたら助かるけどどうでもいいね」

 「今はシュレッダーダストは管理型(最終処分場)に出してるんですか」

 「いろいろだね。管理型は高いからリサイクルに回したほうがいい。運賃こっち持ちでも管理型よりはいいよ」

 「どんなリサイクルですから」

 「知らんよ。メタルを取ってんだろう。うちでも銅、アルミくらいはやってるけど、ダストからは取れない。スラグにしてから取ってるらしいね」

 ポケットで携帯が鳴動し、簡単な受け答えを終えてから角雪は伊刈を見た。「残念だけど税理士さんは電話に出ないって」

 「どういうことですか?」

 「知らんよ。とにかく今日はムリそうだって。わざとやってんじゃないよ。なんなら自分でかけてみるかい」

 「しょうがないですね」

 「あとどっか見たいとこは」

 「まだこちらの工場にあるマニフェストを点検します」

 「ああそうだったね」

 会計帳簿が入手できなくては伊刈流の検査ができなかった。ここまで遠方だと再検査も難しかった。マニフェストを点検してみたが、金属スクラップは自動車リサイクル法や家電リサイクル法など複数の法律が適用されていてマニフェストだけではオーバーフローのチェックができなかった。伊刈流検査の意外な弱点を露呈した形になってしまったが、一夜城のシュレッダーダストが秋川メタルのものではないことが確認できただけでも収穫だった。

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