根は正直

 東洋エナジアの水沢社長が自分から突然環境事務所に伊刈を訪ねてきた。「専務が辞表を提出したまま行方不明になっちまったんだよ。あんたらがいじめっからだろう」

 「あっさり仕事を放り投げたんですか」

 「これじゃ決算もできねえよ。悪いのは専務だってわかったろう」

 「動いてたほうのボイラーの調子はどうですか」

 「専務がいないんじゃそっちももう動かねえな」

 「それじゃ入荷を完全ストップしていただかないといけませんね」

 「しばらく自社処分てことで勘弁してもらえねえかな」

 「施設が動いていないのに残渣の自社処分はありえませんよ」

 「そう言うと思ってたよ。実はな専務の代わりによ紹介したいやつを連れてきてんだ」水沢は背後に控えた小太りの男を振り返った。

 「黒田と申します」小太りの男が脂ぎった小さな手で名刺を差し出した。名刺には宝塚興業代表取締役黒田聡と書かれていた。

 「お名前はよく聞いております。伊刈と申します」伊刈は黒田と初めて名刺を交換した。

 「あんたが伊刈さんなんだね。俺もよくあんたの名前を聞くよ」

 「こちらへどうぞ」伊刈は慇懃な言葉で黒田を打ち合わせテーブルに招いた。こういう人物は言葉遣い一つでも気に食わないと難癖をつけ始めるから要注意なのだ。黒田は初めてにもかかわらず場慣れした様子で、むしろ水沢の方が物珍しげにきょろきょろとあたりを見回していた。

 「私はね本業は不動産屋なんですがね、今回は東洋エナジアさんの再建のお手伝いをさせていただきますよ」

 「そもそも水沢さんが東洋エナジアの社長になったのは黒田さんの紹介だとお聞きしましたが」

 「まあそんなところだね」

 「それなら現在の状況はおわかりですね」

 「ああ社長からおおよそ聞いたし現場も見たよ。あの炉はもう動かないね。ありゃだめだ。しかし柴咲町の谷津にはまだまだ入るようだな」

 「許可がないですから入りませんよ。むしろ撤去していただかないといけません」

 「わかってますよ。そこで相談なんですがね、あそこを管理型処分場として許可してもらうわけにはいきませんか。ざっと百万リュウベとして建設資金は百五十億円あればできるでしょう」

 「不法投棄現場ですから処分場の許可はできませんよ。撤去してもらうのが先です」

 「そんなことはないでしょう。不法投棄されてた物を撤去するという約束でどこも許可になってますよ。犬咬には不法投棄のない谷津なんて一つもないですからなあ。いったん掘り出しておいて処分場ができたらまた埋め直せばいいじゃないですか。どっちみち処分場を造るには掘らないといけないんですから」

 「若干の農ビ(農業系ビニール)とかなら片付けることを約束してもらえばいいかもしれないですが、あそこはもともと自社処分場団地があった場所だから埋立物は半端な量じゃないでしょう。不法投棄物の撤去が終わるまで処分場の申請は受付けられません」

 「許可の手続きと同時並行ではだめなんですか」

 「だめです」

 「頭固いんだなあ。処分場を作るのにあんないい土地はありませんよ」

 「それより社長にも申し上げたところでしたが炉が壊れたなら入荷を止めていただかないといけませんよ」

 「入荷を止めたら処分場の建設資金を作れないでしょう」

 「だからといって処理できる見込みのない産廃を受け入れていいとは言えませんよ。明日にもまた検査に伺おうと思いますが、黒田さんも立ち会っていただけますか」

 「ああ現場は社長が対応しますよ。私は今のことじゃなくこれからのことだから」

 「明日来るの?」水沢が他人事のように口を挟んだ。

 「お伺いします」

 「来るのはかまわないけどね来たってもうどうにもなんないよ。黒田さんの案でなんとかならないかね」

 「資金はどうするんですか?」

 「処分場ができるなら用立てるって人がいるんだよ」

 「百万リュウベの処分場なら百五十億円かけても三百億円になりますからね」

 「そうなんだよ、わかってんじゃないの」

 「そんなにうまくはいきませんよ」

 「いやいや黒田さんが言ったとおりなんだよ。どこだって最終処分場てのはもとはみいんな不法投棄現場だったんだよ。ゴミを埋めるのは許可があったってなくったっておんなじことなんだからねえ。伊刈さんならようくわかってんだろう」

 「どこの処分場がもともと不法投棄現場だって言ってるんですか」

 「だから全部そうなんだって。今はどこもみんな立派な会社んなってるからね、名前はここじゃ言わないほうがいいだろうけどよ、不法投棄されていない山なんか犬咬には一つもないんだからよ、最終処分場を許可してもらったらきれいさっぱりと片付くじゃないかよ」

 「撤去が先ですよ」

 「そう難しいこと言わずにさ黒田さんの話を聞いてやってくれよ」

 「明日お伺いしてお話しましょう」

 「ああそうだな。じゃあ待ってるよ」

 「今日はこんなところでしょう。お手柔らかに願いますよ」黒田はにやにや笑いながら水沢の肩を抱いて引き下がった。

 翌日、伊刈は通告どおりに東洋エナジアに再び立ち入った。銀司が辞めてから監督者が不在になったせいか僅かな期間のうちに工場内は手がつけられないほど荒れ放題になっていた。

 「操業は完全休止ですか」伊刈は水沢社長に尋ねた。

 「あんたがやめろと言ったんじゃねえか」

 「入荷をストップするようにと言ったんです。炉の運転が止まってるのに入荷を続けたらこうなるに決まってるじゃないですか。従業員はどうしたんですか」

 「あんたらが来てからぽろぽろと歯がかけるように辞めてってたんだがね、今月の給料を払えなくなったとたん、いよいよみいんな辞めちまったよ。現金なもんだな。まだ残ってるのはよ、俺のもとからの子分が二、三人だけだ」

 「専務が辞めた原因もそれですか」

 「おおかた会社の金庫が空になる前に逃げたんだろうよ」

 「少し場内を見せてください」

 「いいよ好きなだけ見なよ」

 梱包を解かれないまま五段に積み上げられたベールが迷路の壁のように通路を塞ぎ通行すらままならなかった。なんとか壁の隙間をくぐりぬけて炉のある建屋に入ってみると、そこもベールで埋め尽くされていた。これでは操業どころではない。建屋の裏に回りこむと腐敗した食品残渣が腐臭を放っていた。まさに水沢が自ら言ったとおりのお化け屋敷と化していた。

 「これは使用済のおむつですよ。どこから来たんですか」伊刈は通路に積まれたベールからはみ出した青白い繊維を指差した。

 「さあどうなのかねえ」

 「老健か老人ホームのものでしょうね。おむつは難燃性だしそもそもし尿なんだから、ここでは処理できませんよ。返品してもらえますか」

 「いまさらどこへ返品しろってんだよ」

 「持ってきた業者はわかるでしょう」

 「わからねえよ。もうマニ伝もねえんだから」

 「ここはもう一杯みたいですけど、まさか柴咲町に持って行ってたりはしませんよね」

 「それはないね」

 「これから柴咲町にいっしょに来てもらえますか」

 「ああいいよ。ここにいたってどうせもう用はないからな」水沢は力なく答えた。

 水沢は旧型のトヨタソアラを自分で運転して犬咬に向かった。もともとは高級車なのだがもはやその面影はなく処分場と同然にバクバクのポンコツだった。柴咲町も様変わりしていた。搬入を中止するどころか毎日産廃を入れていたらしく谷津に向かって埋立物が大量に流し込まれていた。だが山裾町の処分場がぐちゃぐちゃのお化け屋敷になっているのに比べると不法投棄現場の方はびっくりするほど整然としていた。廃棄物の斜面に小段が十段ほどきれいに切られ、一段四メートルとして四十メートルあることが一見してわかった。法面は崩落しないようにしっかり固められていて職人気質すら感じられた。なまじな最終処分場よりも見た目はきれいなほどでそれがなんだかおかしかった。

 「ずいぶん几帳面に埋めてるじゃないですか」

 「山が俺の専門だからな。炉のことはわかんないが掘ったり埋めたりなら自信があるよ」

 「こっちに直行便で産廃を持ってきてたみたいですね」

 「直行便はないよ。それじゃ不法投棄じゃないか」

 「いまさらまだ不法投棄じゃないと言うんですか。いくらで受けてるんですか」

 「最近は一台六万だな」

 「それじゃもうまともな処理はできないでしょう。不法投棄とそんなに変わらない値段じゃないですか」

 「それくらいに下げねえと俺にはもう集めらんねえんだよ」

 「ここを撤去していただかないとほんとに許可が取消しになりますよ」

 「もう許可なんてあってないようなもんだけどな」

 「撤去計画書を出してもらえますか」

 「黒田に作らせるよ」

 「それじゃここが自社処分場じゃないと認めるわけですね」

 「ああ最初からあんなのは専務の茶番だってわかってたよ」水沢は力なく笑った。

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