社長vs専務

 喜多が東洋エナジアに電話をかけた。池沼と名乗る社長秘書の女が電話口に出た。

「社長は不在ですが用件はお伝えします」少し太い声に強く地元のヤンキー訛りが残っていたが、同じ地元の喜多はかえって親しみを感じた。まだ二十代だろう。喜多は一瞬ランクルに乗っていたエターナルクリーンの社長秘書を思い出し、やっぱり社長の愛人なのかと疑った。

 翌日環境事務所に出頭してきたのは水沢社長ではなく専務の銀司だった。小柄な紳士で東洋エナジアの立ち上げ時からかかわってきた技術屋だった。銀司はまっさきに仙道技監の机に向かった。

 「ご無沙汰しております」銀司は仙道と顔見知りであることをわざとアピールするように慣れ慣れしく挨拶した。仙道は銀司の顔を見上げて軽く会釈し差し出された名刺を受け取った。一瞬誰か思い浮かばない様子だったが、すぐに東洋エナジアが県から許可を取得するときに事前協議の調整に県庁にやってきて、国の補助金が内定している最新型のハイブリッド施設(可燃性産廃を熱源として食品廃棄物を乾燥する複合リサイクル施設)で、事前協議なんか必要ないくらいだとさんざん自慢して行ったことを思い出した。

 「おい」仙道が伊刈に目配せした。

 「どうぞこちらへ」伊刈が銀司を面接コーナーのテーブルに誘導した。

「遠鐘さんと喜多さんもお願いします」伊刈に言われて二人も立ち上がった。危険のない人物だと思われたので長嶋は呼ばなかった。

 「初めまして。伊刈さんとは初対面になりますね」銀司は技監の前の慇懃な態度とはうって変わって今度は露骨な上目線で挨拶した。どうやら相手に応じてわざと態度を変えているらしいと伊刈は感じた。

 「社長さんはどうされました? 水沢社長を呼び出したつもりでしたが」伊刈の最初の質問は銀司のプライドを傷つけた。先代社長が経営を放棄した後、会社を一人で背負ってきた銀司には実質的な経営責任者は自分だという自負があったのだ。

 「工場の管理を一切任されておりますので現場のことは私にお聞きください」銀司はわざと丁寧な物言いをした。

 「社長は飾り物ですか」傷に塩を塗るように伊刈は社長が来ないことにこだわった。伊刈の嗅覚が銀司の柔和な物腰には裏があると告げていた。

 「そういうわけではありませんが社長には市庁の敷居が高いようですので代理として参りました。先代社長のころからずっと役所の窓口を任されて参りましたが、私では役不足とおっしゃるのなら出直します」

 「社長よりなんでもお詳しいということですか」

 「僭越ながらそう受け止められても結構でございます」銀司の口ぶりは新社長の水沢を素人としてバカにしているように聞こえた。伊刈と銀司の無意味とも思える前哨戦を遠鐘と喜多がどう加勢をしたらいいものかと戸惑うような顔色で見守っていた。

 「わかりました。とにかくお話をお聞きしましょう」陣取り合戦を放棄したのは伊刈の方だった。

 「そう願えれば幸いです。当社はこれまでも国県市のご指導にはどのようなご指導であれ常に従っております」銀司はあえて市の前に国県を付け加えた。国が補助し県が許可した施設を市の分際で文句を言うなと複線を張ったのだ。

 「これは御社のダンプですね」伊刈は銀司の売り言葉を買わずにいきなり写真を示した。

 「ええ当社の四トンに間違いありません」銀司はろくに写真を見ずに即答した。

 「積荷はなんですか」

 「ちょっと写真からではわかりかねます」

 「こっちはどうですか?」伊刈は四トンダンプが投げた産廃の写真を示した。

 「土が被っているので産廃かどうかはわかりませんが、これは当社が借りている土地のようです」

 「借りている?」

 「ええ残渣の処分場としてです」

 「処分している品目はなんですか」

 「当社が扱っているのは主として汚泥と廃プラです」

 「汚泥とは?」

 「食品系の有機汚泥です」

 「どう見ても生ゴミだったようですが」

 「生ゴミという言い方は産廃ではいたしません」銀司はばかにしたように言った。

 「動植物性残渣と言えばいいですか」伊刈が言い直した。

 「ええ動残(どうざん)でございます。まあ生ゴミでもけっこうですよ。生ゴミといってもいろいろ品質がございまして、当社は一級品は乾燥して飼料に、二級品は発酵させて肥料にリサイクルしております。どちらにもならないものや処理の過程で出ます残渣を自社処分することについては県の時代からずっとご指導ご理解を得ておるつもりでございます」銀司は再び県の許可を強調した。

 「それじゃここは県が自社処分場だと認めたいうことですか」

 「さようでございます」

 「自社処分場だとおしゃるのなら改めて市に届出をして看板を立ててもらう必要がありますよ。県の承認といっても要綱によるものでしょうから、そのままでは市の要綱には承継されません」

 「さようですか、うっかりいたしました」銀司は平然と言った。要綱には法的拘束力がないことを承知していたのだ。

 「食品残渣の自社処分は千平方メートル未満の管理型処分場(改正前の廃棄物処理法では最終処分場設置許可の面積要件があった。安定型の面積要件は三千平方メートル以上、管理型は千平方メートル以上だった)に限定されていましたよね」喜多が発言した。

 「心得ております」

 「ここは管理型の構造(遮水シートと水処理施設。これがないのが安定型)ではないようですが、ほんとうに県の要綱の承認が下りたのですか。なにか文書が出ていますか」

 「それは初耳でございます。これまで管理型の構造でなければいけないとご指導いただいたことはございません。汚泥についてはこれでよろしいのではないでしょうか」銀司は慇懃な態度を崩さずに抗弁した。

 「それは建設汚泥(地下鉄やビルの基礎工事などの現場から出る掘削汚泥。まれに砒素や六価クロムが環境基準を超えることがある)の場合じゃないですか」遠鐘が言った。

 「は?」

 「建設汚泥はただのドロにセメントミルクを混ぜただけですからね」

 「ドロと申しますのは何のことですか」銀司は法律用語以外は聞こえないふりをするつもりらしかった。

 「とにかく銀司さん、ここには動植物性残渣は埋めないでいただけますか。埋めてしまったものの措置は後で指導しますよ」伊刈が決めつけるように言った。

 「はあそうですか。今は市のご指導ですからそういうことならやむをえませんが。県から市に変わったからといってご指導が猫の目のようにくるくる変るのはどうも業者としては納得ができません。県でも市でも法律は同じでございますからね」

 「県の時代の指導内容は確認しておきますよ」

 「そう願えますと幸いでございます」

 「確認がとれるまではとにかく埋め立ては中止ですよ」伊刈は時間的猶予を与えずにきっぱりと中止という言葉を強調した。

 「しょうがないですね。承りました」銀司は苦い顔で事務所を辞した。緒戦は伊刈の優勢のまま終わった。二人の消耗戦が始まったことを勘がいい喜多はうすうす感じ取った。

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