謎のGTーR
「あぶねえ」
突然目の前に黒い車体が現れ長嶋はとっさにハンドルを切った。Xトレールは路肩の藪にボディをこすりつけながら停車した。黒い車体は下り坂を減速もせず風のように走り抜けていった。
「いまの例のわナンバーのGT-Rじゃなかったか?」長嶋がバックミラーを見ながら言った。
「気がつきませんでした」伊刈が答えた。
「品川わ、確かにそう読めた。レンタカーのGT-Rなんてそう見かけるしろものじゃないと思わないか」
「それじゃ安警が報告してた不審なGT-Rだってことですね」喜多が言った。
「追跡しよう」伊刈が言った。
「もうムリすよ。ありゃプロの運転だ。どっちみちエンジンのパワーが違いすぎるからついていくのは難しいですよ」
「先回りしてはどうですか。このへんの道は山裾を回る迷路ですからね」遠鐘が提案した。
「なるほど、でどうすりゃいい」長嶋が遠鐘を見た。
「近道があります。そこを右折してください」
「近道って行き先わかってんのか」
「だって安警がマークしてたGT-Rならゴミがらみの現場か施設にしか行かないでしょう」
「ほうなるほど。言うことがいちいちプロらしくなってきたな」
Xトレールは純農村地帯に突然開けた広域農道に出た。田舎道にオーバースペックと思える両歩道の道路には車影も歩行者の影も一つも見えなかった。
「あれは?」長嶋が言った。畑を縫って進む農道の彼方に一軒家の店舗が見えた。
「アイスクリーム店みたいだな」伊刈が言った。
「イタリアンジェラートです」喜多が答えた。
「そんなしゃれた店があったんだ。アイスクリーム屋でいいのにな」
「全国二位の酪農県なんですからもっとこんな店があってもいいくらいです」妙なことに詳しい喜多か言った。
「産廃業者の看板がありますね。左手に煙突が二本見えるでしょう。あれ東洋エナジアですよ」遠鐘が地図を見ながら言った。
「もしかしたらGT-Rがマークしてるのはそこかも知れませんね」長嶋が応えた。
Xトレールはイタリアンジェラート店「モンテ・ナポレオーネ」の前を通過し、東洋エナジアの煙突を左に見ながら簡易舗装の曲がりくねった農道を進んだ。
「よくこんな調整区域に処分場の開発許可が下りたね」伊刈が言った。
「農業系開発を口実にしたんですよ」遠鐘が答えた。
「あの新エネルギー研究所ってなんのことだ?」伊刈は東洋エナジアの看板に付記された施設名を読みあげた。
「それが農業系ってことなんです」遠鐘が説明を続けた。
「さっぱりわからないな」
「廃プラを乾留して発生する可燃性ガスを熱源に利用してるんです。一応先端業者ですよ」
「どうして廃プラが新エネで、しかも農業系の開発許可が下りるんですか。さっぱりわかりませんよ」喜多が伊刈の代わりに疑問を呈した。
「食品残渣を飼料に加工して地元の畜産農家に還元しているんです。それで農業系なんですよ」
「それがほんとにできるならコンセプトは悪くないんじゃないか」伊刈が言った。
「そうですよ。公的資金も投入されたし、できた当初は視察者が殺到するような模範施設だったんですよ」遠鐘が言った。
「でも社長が代わってからグダグダになったって聞きましたね」長嶋が言った。
「正確にはグダグダになってから社長が交代してさらにグダグダになったんです。初代社長は借金だけ作って逃げてしまったみたいです。一説には国の補助金15億円を社長個人が横領したとも」遠鐘が言った。
「つまり銀行借入金と補助金を重複して資金調達しておいて補助金を使い込みしたのか」
「手口はよくわかりませんが班長の言うような感じなんだと思います」遠鐘が言った。
「普通は補助金が出たら負債は返済するんだよ。金利がかかるからね。多分前社長は補助金が出てもキャッシュで保有して負債を返さなかったんだ。それで結局補助金を使い込んで逃亡。よくある手口だよ。個人の支出に流用したなら横領罪、そうでないとしても背任罪だ」
「そういうことすね」長嶋が頷いた。
「東洋エナジアの親会社が負債ごと会社を転売したんです。いい施設だと思ったのにあんまり時代を先取りしすぎてもいけないんでしょうね。社長が代わってからはさらに評判がよくないようです」遠鐘が言った。
「班長、今の社長ってのは水沢ってヤクザ者です。所轄もマークしてる半端でしてね。産廃は儲かると聞いたんでしょうが、どうなんでしょうねえ」長嶋が言った。
「ヤクザ者だから処分場の経営ができないってことはないだろう。フロントの産廃業者なんていくらでもあるし、経営的に成功してるところも珍しくない」
「この施設は複雑で素人が手を出せる代物じゃないです」遠鐘が言った。
「あっGT-R」喜多が叫んだ。GT-Rの方でもXトレールに気付いたのか急ハンドルで農道をUターンした。
「あっ逃げます」喜多が再び声をあげた。
「こっちを避けましたね。偶然でしょうか。どうもこっちが回ってる場所にGT-Rも出没しているように思えてなりません」長嶋が落ち着いて言った。
「やっぱり追跡はムリかな」伊刈が言った。
「こっちがパト車だとばれてるみたいです。そうなるとパワーの違いがありすぎます」長嶋は追跡を諦めてXトレールを停車させた。「それよりここにいましょう。GT-Rが何を目当てにここらに出没してるのか調べててみましょう」
「また戻ってくるかもしれませんしね」喜多が言った。
「あの車素人じゃない。もう今日は来ませんよ。それにしてもほんとに何者でしょうね」長嶋は考え込むように目じりを押さえた。
「六甲建材のランクルといい夜の女王のロードスターといい現場の周辺には怪しい車が出没しますね。やっぱりGT-Rも東洋エナジアの関係車両でしょうか」喜多が言った。
「どうだろうな。安警の報告によるとGT-Rは東洋エナジアっていうより犬咬全域を巡回してるみたいだからな」伊刈が答えた。
「それじゃ犬咬全部を乗っ取るつもりなんでしょうか」喜多が言った。
「そんな連中がわナンバーなんてけちなことやるかな」
「所轄も調べたみたいですよ」長嶋が言った。
「GT-Rのレンタカーなんてそうないでしょうし借主を特定するのは容易ですよね」伊刈が長嶋を見た。
「ところがですね」長嶋は口ごもった。「レンタカー会社は特定できたんですが口が堅いというんです。どうしても借主は言えないと。正面切ってそう言われてしまいますと事件性がなければなかなか調べようがありません。こういう場合かえってレンタカーというのは盲点です。ナンバーさえわかれば所有者を特定するのは簡単なんですが借主は車検や車庫証明じゃわからない」
「なるほど、わナンバーって手口もありか」
「普通は教えてくれるんですけどねえ、よっぽど固く口止めされてるんでしょうね」
「ますます怪しくなってきましたね」遠鐘が興味津々といった顔で言った。
「処分場から四トン車が出てきます」目ざとい喜多が声をひそめて言った。
「ブルーは東洋エナジアのコーポレートカラーですね」遠鐘が冷静に付け加えた。
「GT-Rが逃げたのとは反対の農道に曲がりましたね。こっちの追跡は簡単そうだ。警戒している様子が全然ありませんね」長嶋はXトレールをゆっくりと発進させた。四トン車は荒れた農道を走行し近くの谷津へと降りていった。
「下は田んぼですからここで待ちましょう」長嶋は深追いせずに農作物の出荷用に設けた小さな空地をみつけて車を寄せた。三十分ほど後に四トン車が戻ってきた。
「空荷になってますね。さっきとは走り方が違う」喜多が言った。
「投げたってことか?」伊刈が言った。
「ええ間違いないですね」長嶋は四トン車の進路を塞ぐようにXトレールを停めた。フロントガラスの向こうで運転手が目を丸くしてブレーキを踏んだ。
伊刈はXトレールを降りて四トン車の運転席の脇に立った。「東洋エナジアの車ですね」
「そうすけど」運転手が答えた。二十代後半の小太りの男で肌が敏感なのか顔がにきびだらけだった。叩き上げの運転手にしては青臭い顔をしていた。
「この先に何か棄ててきたのか」
「産廃棄てましたけど」
「それって不法投棄にならないのか」
「専務が大丈夫だって言うから棄てたんすけど」
「免許証あるか」
「あっすいません。近いもので会社に置いたままです」
「名前は」
「水沢です」
「社長と同じ?」
「親父です」
「倅さんか」
「なんかまずいんすか」水沢の倅は他人事のような口ぶりだった。
「棄てた場所まで案内してくれるかな」
「いいすけど」
水沢は谷津の降口までバックし再び坂道を降りた。田んぼの縁に雑木の枝がかぶさり薄暗くじめっとした空き地があった。被せた赤土がマーブル状になっていた。
「臭いね」伊刈がそう言うのと同時に酸っぱい異臭が車内に満ち全員が鼻をつまんだ。
「食品系ですよ」遠鐘が言った。
「やってくれるなあ」
「今埋めたのはこれか?」伊刈が水沢に聞いた。
「ええ」
「土を被せて隠したのか」
「土と混ぜておくと堆肥になるんすよ」
「それまで何年かかる?」
「さあ」
「こんな臭い現場滅多にないよ」
「そうすか? 慣れると気になんないすよ」
「写真撮るからそこに立ってください」喜多が言った。悪臭まで写真に記録できないのが幸いだった。
「後で連絡するから社長に伝えて。これは不法投棄だよ」伊刈が断定するように言った。
「ええいいすよ」水沢は悪びれる様子もなく会社に戻った。
「許可業者が不法投棄したんじゃ洒落にならない。許可取消しですね」喜多が言った。
「昼間から堂々だものな」遠鐘が言った。
「GT-Rの狙いはほんとにここだったのかな。かえって教えてもらったような気がするな」長嶋が言った。
「いったい何者なんだ」伊刈が言った。GT-Rの謎は深まるばかりだった。
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