第3話

 いた。

 赤茶というか黒というかそんな感じの配色の猫が、今日もぼくの家の脇を通過する。

 猫もぼくを見つけた。黄色の目は、ただすぐに逸らされた。ふいっと。今のはたぶん、猫の記憶には残らないぞと思った。ぼくは見つからなかった。ぼくは見つからなかった。かくれんぼだったら餓死していたところだ。

 猫はぼくとか人間に一定の距離を置く。ぼくをまるで人間扱いする。ぼくも人間に見えているとしたらそれはすごいことだと思った。でもそれはあり得ないから猫はみんないっしょくたにしているのに違いなかった。

 猫の線引きは厳格だった。それより先には絶対に近づかない。確実に正しいルールなのだから、きっと従わない手はないんだと思う。

 追えと言ったのはサボテンだった。なんでと聞いてもサボテンは知らんぷりだった。仕方がないからサボテンに従ってぼくは猫を追いかけた。高架下をずっと真っ直ぐ歩く。猫はたまに鬱陶しそうにぼくを振り返った。でも猫は速度を変えずに、のそのそと短いしっぽとでかい尻を振って歩いた。サボテンはぼくの腕の中で堂々と偉そうだった。

 猫が横っ跳びに跳ねた。土がむき出しの駐車場。一台も車がとまっていない。まるで砂漠みたいだった。

 人間が一人立っていた。猫が近付くと、その人間はしゃがんでその猫を撫でた。猫は寝転がって、お腹を見せて気持ちよさそうにした。

 あれは人間じゃないのかなと、ぼくにはわからなかったからサボテンに聞くのに、サボテンは黙ったままで、何も教えてくれない。

 ぼくは人間と猫に近づいた。猫は煩わしそうにぼくを見上げたけど、体を起こそうとはしなかった。たぶん面倒だったんだろうし、そこまでする必要をぼくに見出せなかったんだろう。ぼくも同感だった。人間もぼくを見上げた。皺だらけの顔だった。笑っているから余計だった。

 人間がポケットをまさぐると、猫は急に高い声で鳴き出した。何度も鳴いて、人間の取り出したビニールに食いつこうとする。それがひっくり返されて、中身がこぼれ出すと、猫は地面に落ちたそれを啄ばみ始めた。魚と、骨をかたどった茶色のビスケット。ぼくもそばに膝をついて、口にくわえ、噛み砕いた。味は、薄いのかないのかのどちらかだった。猫に横目で睨まれながら、ぼくは猫と同じように食事をした。人間は猫の頭を撫で、ぼくの頭も撫でた。小刻みに震える人間の手は、とても冷めたかった。死んでいるんじゃないかと思った。でもこの人が死んでいたらぼくもこの猫もみんな死んでることになるからでもぼくは死んでないからこの皺くちゃな人間も死んでないんだと思った。

 人間は餌がなくなる前に立ち上がって去っていく。猫はぱっと顔を上げてなあなあ言う。人間に向かって鳴く。ぼくも真似してなあなあ鳴いてみた。でも人間は知らんぷりだった。猫は追わなかった。だからぼくも追わなかった。餌がなくなるまで食って、餌のなくなった地面を舐めた。猫はそのまままたどこかへ歩き去って、ぼくは夜になってもそこにいた。寒くなって丸くなっていた。帰ろうかどうしようか考えてサボテンを見るとサボテンは明後日を見ていて何か言う素振りもない。でもずっとここにいたらここで朝を迎えるとしたらそれはぼくの凍死体だからだんまりのサボテンを抱き上げてまた高架下を歩いた。

 とても静かな夜だった。

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