ま
緩和ケア病棟の多目的ルームに集まった患者たちが思い思いに過ごしている中、エマを含めたボランティアたちがお菓子と飲み物を振る舞っていた。その中に独り窓際に佇んて外の景色を眺めていた女性に、エマが紅茶とクッキーを運びに行く。
「お一ついかがですか?」
「ありがとう、頂くわ」
綺麗に化粧を施してセンスの良い服を纏った女性がうっすらと微笑み返してきた。年の頃は七十代と言ったところか。既に白髪の方が多く皺も深くなっているが、座っている姿勢はとても美しく気品が漂っている。エマはその姿にほんの少し見惚れていた。
ボランティア仲間の話によると、その女性は半世紀ほど前は誰もが認める人気女優で今は演劇を中心に活躍しているらしい。類稀なる美貌で多くの男性との浮名を流し、八十歳をとおに超えた今でも見舞いに来る男性が後を絶たないそうだ。
「○○の会長がお見舞いに来られててびっくりしたわ」
「今でも現役なのは尊敬しちゃうわ、独身らしいからその辺は自由だしね」
やっぱり普通のお婆ちゃんじゃなかったんだ……部屋着一つ取ってもお洒落でセンスも良く、毎日綺麗に化粧をしてほんの少し香水を使用しているようだった。エマはほんの合間にチラッと女性の姿を確認すると、いつしか彼女の周りのは多くの男性が取り囲んでいた。
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数日後、エマは心療内科での検診で病院にやって来ていた。このところ何かを思い出したということは特に無く、何時何があったかを雑談のように色々と話しただけだった。初めのうちはそれこそ催眠療法を使ったりして記憶を取り戻そうという試みも行われてきたのだが、それが元なのか一時期頻発する頭痛に悩まされるようになり、これ以上の治療はエマの負担になると現状をつぶさに見守る形に切り替えている。
彼が事故を起こして七年になる。両親の七回忌を過ぎても当時の記憶は戻っておらず、亡くなっていること自体どこか他人事のように感じている風に瀬戸山には見えていた。
今更記憶を取り戻していいものなのか?
医師としては本人にとって記憶が穴ボコなのは決して良いことではないと思う。しかし両親の自殺現場を目の当たりにし、葬儀をぶち壊しにした挙句自殺未遂……これから先生きていく上でその記憶が必要かと言われるとそうとも思えない。
このまま新しい人格で生きていった方が案外幸せかも知れないな……
瀬戸山は自身の無力さを嘆きそうになった。
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