ちょうどその頃、頼子はエマが起きるのを待ちながら文庫本を読んでいた。最近になってエマは少しずつ過去を思い出すようになってきている。担任の先生も一人思い出した、根気良く続けていけば元のエマに戻ってくれるかも知れないけれど……そうなると今度は嫌な出来事も思い出さなければならなくなる。果たしてそれが本当に良いことなのだろうか?

 正直に言ってしまえば、頼子は脳内五歳児のエマを可愛く思っていた。勿論つい先日まで悪ガキだった頃が嫌だったわけではない、ただ本来心優しい甥っ子が無理矢理不良の型に収まろうとしている風に彼女には写っていて、エマが悪ぶればそうするほど痛々しく見えてしまうのだ。

 その点で言うと今の状態は寧ろ素直な状態なのではないかと思えてくる。純粋に輝く瞳。明らかに増えてきた笑顔。記憶喪失になっているとは言え、子供の頃からの成長記録を見てきている分今のままの方がエマにとって幸せなのではないかと思うこともしばしばある。それが正しいことなのかは勿論別問題なのだが。

 エマはそんな叔母の気持ちに気付くはずも無くスヤスヤと眠っている。頼子は一旦文庫本を置いてからそっと頭を撫でてやると、何故か嬉しそうな表情を見せて彼女の手に頭を寄せてきた。


「まだまだ甘えたいのかな……」


 沖野家でエマが甘える姿を見せたことはほとんど無かった。いつも緊張しているかのように表情を強張らせ、小さい頃は日常的に暴力を振るう義従兄に怯えていた。成長期を迎えた辺りからは倫子を暴力から守ろうと常に目を光らせており、気の休まる時間など無かったのかも知れない。そんな彼が唯一落ち着けるのが蕪木の存在であり、倫子が仕事に出ている間だけ叔父の自宅に“緊急避難”していた。

 蕪木の自宅にいる時のエマは半分くらい眠っていた。倫子や進藤一家が訪ねるとほとんどの確率で起きてはいたが、頼子が一人で訪ねると時折今のような表情で居眠りをしていたことを思い出す。


 きっと疲れてたんだろうな……


 頼子はごくたまに居眠りしているエマと添い寝をして今みたいに頭を撫でていた。そうすると決まって無意識に頭を寄せてくる、その度にエマの心はまだまだ腐っていない……彼女にとってはそう思わせる瞬間だった。


 私たちに出来ることは何だろうか?


 それは今に限らず何度も何度も考えてきた。しかし大したアクションも起こせず従姉夫妻はエマの部屋で命を絶った。


 残酷すぎる……!


 頼子は二人の結末を恨めしく思う。そんなことを思っていると、エマのケータイがブルブルと震え始めた。

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