それから数日は穏やかに過ぎていった。先日の一件には一切触れず、このところ直子も嫁ぎ先の家に戻っていて病院に顔を出さなくなっている。エマも口止めされているようで何も言ってこない。蕪木と進藤一家は交代制でエマの“実録”を順を追って説明を続ける日々を送っている。


「今日から六年生に入ろうか? やっぱり何と言っても修学旅行だろ」


「しゅうがくりょこう?」


 エマは相変わらず五歳児の反応でこてんと首を傾げている。元々可愛らしい顔付きをしているので知らない人から見れば違和感はさほど覚えないようなのだが、不良少年時代を知っている蕪木にとっては何とも滑稽な表情にしか見えず、何度見ても笑ってしまいそうになる。


「あぁ、二泊三日ほど他の県を旅する学校行事だ」


「そんなのがあるんだ、たのしそうだね」


 エマは他人事のように言っているが、実年齢は十七歳なので小学校以外に中学校でも経験しているイベントだ。蕪木の記憶では修学旅行の思い出は楽しいものだったようだ。家庭事情は既に荒んでいたが友だちは多い方で、当時は学校帰りにひとしきり遊んでから自宅に戻ってくるタイプだった。


「早速当時の写真、見てみようか」


「うん」


 エマは久し振りに楽しそうな表情を見せている。倫子が遺してくれた学級通信や献立表を学年別に分けて見せてもここまでの反応は示してこなかった。それでもほんの少しの効果はあった、学級通信の端っこに書いてあった編集後記を見た時に、三年生の頃の担任教諭を思い出していた。


「あっ、植山ウエヤマせんせい!」


「あぁそうだ、六年生の時も担任をしてくださったんだぞ」


「ホントに?」


 キラキラした表情を見せているエマに蕪木は頷く。この植山と言う男性教諭は当時で既に還暦間近で翌年に定年退職している。基本的には鬼教諭であったそうだが、エマのようなわんぱく小僧にはなぜか人気が高かったと倫子から聞いたことがあった。

 植山は大層筆まめだったと見えて、エマの部屋から今年分までの年賀状が既に見つかっている。五年生の頃に届いた年賀状までは本人にも見せていて、美濃から貰ったボックスケースに大事そうに仕舞われている。


「あっ! ここにもゆうくんうつってる」


「そうだな、グループも同じみたいだぞ」


「えっ? ちがうよ、たこちゃん……このこといっしょだったんだよ」


 エマの隣に写っている男の子を嬉しそうに指差している。蕪木は『たこちゃん』と言う男の子とは面識が無く、詳しいことは分からない。


「たこちゃん? 同じクラスの子か?」


「うんっ!」


「これまでいなかった子だな」


「うん、てんこうしてきたんだよ」


 エマはまた一つ新しい記憶を取り戻した。

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