カブに乗って葬祭会館に到着したエマを一人の女性が待っていた。


「気分はどう? もう平気?」


 母の従妹である進藤頼子シンドウヨリコは普段無いくらいに彼を構う。彼女は三十歳手前の独身女性で、普段は仕事の都合で九州で暮らしている。


「別に普通だけど」


「そお? 顔色は大丈夫そうね。焼香済ませてすぐに帰る?」


「あぁ、てか誰の……?」


 葬式なんだよ? と言おうとしたが、別の弔問客の相手をしなければならない頼子は、エマを会場の中に押し込んで受付へ走って行った。

 まぁ入れば分かるんだけど……看板くらい出てるだろ? と見てみると『沖野家』となっている。

 えっ? ウチじゃん。誰が死んだんだ?じいちゃんばあちゃんはとおに居ないし、クソジジイに兄弟は居ないはず……まぁアイツならせいせいするけどまさかお袋なんて言うんじゃねぇだろうな! エマは駆け足で会場に入り、真っ先に目に飛び込んできた二つの遺影に愕然とする。


 そうだ、俺おやつ食うのに部屋に入ろうとしたらドアが壊されてて……アイツが勝手に中に居るもんだと思って怒りに任せて勢い良く入ったら黒い物体が二つぶら下がってたんだ……後ろ姿だったけどすぐに分かった。両親揃って俺の部屋で首吊りやがったんだ……。

 俺腰抜けて、思考止まって、救急車も警察も呼ぶことすら思い付かなくて、ただただ菓子食って酒飲んでたんだ、二つの死体をぼんやりと見つめたまま。そしたら叔父さんが家に来て……そこから先は覚えてない。


 エマの記憶はそこまで一気に蘇る。

 葬儀の途中になってようやく登場してきた故人の息子に弔問客の注目が集中する。中には親しくしている同級生もいる、全員ではないが歴代の担任もいる、近所の人たちの姿もちらほらと見受けられる。非難の目、同情の目、哀悼の目、ただただ驚いているだけの視線もあり、普通の精神状態であればその視線は痛かったが、彼の脳内は両親の選択に対する怒りで埋め尽くされてそんな視線はもはやどうでも良くなっていた。


「エマ、こっちだ」


 親族席に座っていた長身男性が彼の手を引いて親族席に導いた……がそれを振りほどき、祭壇の前までずんずんと歩いていく。男性は制止させようと引き留めてもことごとく振り払われ、挙げ句香を投げ付けられてしまう。


「エマ! 落ち着けっ!」


「落ち着いてるよ叔父さん、誰の葬儀かくらい先に言えっての」


 エマは祭壇の方に向き直ると香炉を掴んで遺影目掛けて思いっきり投げ付けると、父親の遺影に命中して床に落ちた。それを見て不気味に笑ってから踵を返し、早足で会場をあとにしてしまう。


「エマッ!」


 親族の男性は慌ててエマを追い掛ける。本来なら騒然となってしまった葬儀の収拾を付けなければいけないところなのだろうが、このままあの子を放置できない……彼は妙な胸騒ぎに支配され、受付にいる頼子に声を掛けた。


「ねぇ、中で何があったの?」


「エマが騒ぎを起こした、あとのこと頼むわ」


「えっ! 私たちだけじゃ無理よ!」


 頼子は男性の背中を追おうとしたが、会場の混乱も気になって結局追い掛けるのを諦める。親族席には頼子の両親と既に結婚している妹佐久間直子サクマナオコしかおらず、彼女の嫁ぎ先の法要のため深夜バスで翌日早朝現地に到着する予定になっていた。


「明日法事入ってるのに……」


 頼子は泣きそうになりながらも仕方無く会場に戻り、担当者と共に事態の収拾に追われる羽目となった。

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