気を失っていたのか、はたまた急性アルコール中毒の症状が出たのかは定かではないが、部屋の光景の次の記憶は見覚えのある親戚宅の寝室だった。

 エマはこれまた見た事のある親戚のパジャマを着て、ライトグレーの毛布にくるまっている。


 叔父さん家か……


 彼はすぐそばにあるデジタル時計を手に取って日時を確認する。今日は七月六日か……えっ? 四日じゃねぇのかよ? 寝起きでどこか夢うつつだった気分も、急に焦燥感に駆られて辺りをキョロキョロと見回した。

 学校! と思ったが制服が無い。代わりにハンガーに吊るされているほぼ新品の黒のスーツに気付き、エマは一人どうしたものかと悩み始める。


「叔父さんの服、借りるか……」


 彼が通う高校は私服での通学が認められている。こんなの着るよりまだマシだ、とベッドから出て洋服ダンスを開ける。叔父の蕪木一聖カブラギイッセイは三十代半ばの勤務医で、独身のためか歳の割に若々しくお洒落にも気を配っていた。とは言え十代のエマからするとほぼ親世代の蕪木は十分“オッサン”で、時間的に二時限目が終わる頃なので学校行きは諦めてタンスの引き出しを仕舞う。


「……腹減った」


 いくら眠り続けていたとは言えども、一昨日の夕方のスナック菓子以降何も食べておらず、空腹が痩せ細った体を襲ってくる。何か無ぇのかな? 寝室からダイニングに向かうと、テーブルの上におにぎり三個と紙切れが一枚置かれていた。

 多少気にはなったが空腹に勝てず、紙切れは一旦無視して先におにぎりを頬張る。汁物無ぇのか?ガスコンロの上の鍋に近付き、中を覗くと味噌汁が入っている。

 蕪木は独り暮らしが長いせいかかなりの料理上手で、家に居たくない時は叔父の日勤時を狙ってちょくちょく訪ねていた。二人は何気にウマが合い、相談事も両親にではなく彼に持ち掛ける方が多かった。今のエマにとってはこの世で一番信頼出来る大人、である。

 味噌汁を温め直してお椀に注ぎ入れ、テーブルに戻ってずずっと一口すする。日本人の心と体を癒してくれる味噌の香りが広がってホッと気が抜けていく。

 そうだ、メモ……と二つ折りの紙切れを広げると、これを読んだら部屋に掛けてあるスーツに着替えて、近所の冠婚葬祭を請け負っている会館に行くよう書かれてある。


『七月五日 十九時~通夜。七月六日 十時~告別式』


「通夜? 告別式? 誰のだぁ?」


 どうせならそれも書いとけよ……とぶつくさ言いながらもおにぎり三個と味噌汁を完食し、顔を洗おうと洗面所に向かうと新品の歯ブラシに『これ使え』と付箋紙が貼ってあった。

 んじゃお言葉に甘えて。エマは早速開封して歯を磨き始める。それから洗顔、寝癖直しの順に身支度を進め、水滴で濡れた洗面台をタオルで拭いてから寝室に戻ってスーツに着替えた。

 まだ十六歳のエマにフォーマルスーツは全くと言ってもいい程似合っていなかった。さすがに七五三には見えないが、小柄でヘタをすると小学校高学年に間違えられるほどの童顔で、鏡に映る自分自身に溜め息を吐く。


「制服どこ行ったんだよ……」


 鞄はあるのにさ……彼は鞄の中を漁ってじゃらじゃらと鍵の付いているキーホルダーを掴む。その中の一つにこの家の合鍵も付けてあり、またしても付箋紙が貼ってある。


『原付は駐輪場。制服はクリーニング、八日の朝に仕上がる』


 そういう事ね。制服が消えた理由に納得した事でなぜクリーニングに出したのかに気を回す事無く、鞄の隣に置かれていたヘルメットを持って叔父宅を出て渋々ながらも葬祭会館に向かうことにした。

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