4.胃袋をつかめ
仕事から戻ると、室内の変わりように驚いたターシャは、一度外に出て、家を確認してしまうほどだった。
散乱していた大量の荷物はどこへやら。
部屋の中はスッキリと片付いていた。
ターシャは、ポカンと口を開けながら室内を見渡した。
ここはこんなに広かっただろうか? なんと、床が見える。それどころか、その床もピカピカに光っているではないか。
「嘘でしょ。うちじゃないみたい……」
思わずそう呟くと、キョロキョロとあちこち見回すターシャの後をいそいそとついて回っていたグリードが、自慢げに胸を反らした。
「だろ? そうだろ? もっと褒めていいんだぞ?」
エプロンをつけているので恰好はつかないが、ボロボロだった服もサイズの合った新品を買い、今はとても身綺麗になっていた。
ターシャの家には雑巾も箒もなかったため、それを買うためのお金をグリードに、朝渡していた。そのついでに、服も買うように言ったのだ。勿論、それも家事が対価となる予定だ。
別に、一日だけ家事代行をやってもらって、追い出すこともできたのだが、人狼族の彼がボロボロになってここにやって来たということが気になる。
ターシャの家の前に倒れていたのは偶然かもしれないが、手を差し伸べた以上、キチンと向き合わなければならないと思ったのだ。それもまた、ルーシアの教えだった。それに、ターシャもまた、ルーシアにそんな風に助けられた立場だ。放っておくことなどできなかった。
「食事の用意もできてるぞ」
そうだ。部屋の綺麗さに驚き、感心していたが、先ほどからいい匂いがするのだ。
テーブルには、大きなソーセージが入った煮込み料理が用意されていた。
「どうしたの? これ」
「ヴァンスが安く譲ってくれたんだ」
「ヴァンスが? 会ったの?」
「ああ。気のいい親父だな。服が買える場所も教えてくれた。なぜかターシャの好みの服が売っている店を勧められた」
「え……?」
「それで、なんでもこれはお祝いだから安くしてやるとか、そういうことだそうだ」
丸々としたソーセージは、ヴァンスの牧場の名物だ。
プチっと弾ける皮に、その奥から押し寄せるジューシーな肉汁がたまらない逸品だ。すぐに売り切れるから、なかなか食べることができない代物で、ここに住んで長いターシャですら、なかなか出会うことがない。それを安くしてくれるとは、一体どういう風の吹き回しだろう。しかも、お祝い――一体なんの? と思ったところで、ある事に気が付き、ハッとした。
「……あぁ……。そう……。そうなの……」
ターシャはしゃがみ込んで頭を抱えたい衝動に駆られた。
ヴァンスはなにかを勘違いしている。確実に。
彼の妻は、村一番の情報通でもある。
――つまり、噂好きなのだ。
(きっと、グリードと私の仲を勘違いしてるんだわ。違うのに!)
「それで……その……。グリードはなんと応えたの?」
「ん? 勿論ターシャの好みの店に行くと言ったけど……。親父に、昨日は小汚い恰好だったからか、ベッドから蹴り落とされたと言ったら――」
「そ、そんなこと言ったの? なにしてんの!? 信じられない!」
ルーシアに拾われて以来、真面目一筋で通してきたターシャの全てが、ガラガラと崩れていくようだった。
記憶を失い、家族のなかったターシャを、村の皆も優しく見守ってくれていた。
ルーシアが亡くなってからは、ひとりになったターシャの将来を気にかけて、見合いを持ちかけてくる者もいたが、そんな気にもなれず断っていたのだ。
仕事も軌道にのり、ターシャは漠然と、このままひとりで生きて行くのだろうと思っていたから断ったというのもあるのだが、今ではきっと、周りはそう思わないだろう。グリードの存在があったからこそ、縁談を断り続けたとでも思っているに違いない。
話を聞きつけた村人が、これからはターシャを生暖かい目で見るだろうと思うと、全身がむずがゆい。
(もう! どうしてこうなる事を予想できなかったのかしら)
恥ずかしすぎて、穴に入りたいとはこの事だ。
やっぱり、グリードを追い出してしまおうか。……でも、まずはこの美味しそうな煮込みを食べてからにしよう。
食材を無駄にするわけにはいかない。
大体、これらはターシャのお金で買ったものなのだから。
ターシャはそう自分に言い聞かせる。
そうだ。グリードを、遠方から訪ねてきた占いの客だったと言えば、皆の誤解も解けるに違いない。数日経って体力が戻ったら、出て行ってもらおう。ターシャの家に居座ることに成功し、ヴァンスともあっという間に親しくなった彼だ。元気にさえなれば、ここを出てもうまくやっていけるはずだ。
だが、そう簡単にいくわけがなかったのだ。
「……美味しい!」
グリードの作った煮込み料理は、美味しすぎた。
いつもならしないおかわりも、勧められるがまま食べ、とうとう鍋は空になった。
膨れるおなかに手を当て、ターシャは満足気なため息をつく。それをみてグリードはニヤニヤと笑っていた。
「な、なによ」
「俺を追い出そうと考えていただろう」
「そ、そそそそんなことないわよ」
「言っとくけど、今俺を追い出したら、あの食材たちが全部無駄になるぞ」
グリードが後ろを指差す。
そこにはまだ野菜やキノコ、そして骨付き肉まで置いてある。
「明日の夜はあの骨付き肉を使おうかな。じっくり煮込むと、ナイフなんでいらないくらい、ホロリと骨から離れる、柔らかい肉になるぞ」
「ほ、ほんとう?」
想像し、思わずゴクリと喉を鳴らしたターシャは、別にしばらくこの置いてやってもいいかなと思い直した。
そうだ。部屋も別々なのだし、掃除も料理も得意となれば、ターシャとしても助かる。
家事手伝いを雇ったと思えば、いいのだ。
「わ、わかったわよ。しばらくここにいてもいいわ。でも、まずは同居のルールを決めましょ」
料理につられたと思われないよう、すました顔で言うが、グリードはまだニヤニヤと笑っている。ターシャにはそれがとても悔しかった。
グリードのニヤニヤ顔から視線を外したターシャは、改めて綺麗になった室内を見回した。
ピカピカに掃除された家で、こんな風に誰かと向かい合ってゆっくり晩御飯を食べるなど、いつ振りだろう。
仕事を終え、家で誰かと話をすることも久しぶりだ。だからだろうか。グリードとは出会ったばかりだというのに、この空気感が心地よく感じる。
「……明日の晩御飯、楽しみにしてるわ」
当面の家が確保できたことに、グリードは心底安堵したように、大きく息をついた。
「良かったぁ。俺、ここ追い出されたらどうしようかと思った!」
「なによ、大げさね」
「大げさでもなんでもない。俺は、やっと自由を手に入れたんだから」
自由を――。
その言葉が、ターシャには引っかかった。
人狼族で、なにか起こっているのだろうか?
占ったら、なにか協力できるかもしれない。
そう考えたが、その考えをすぐに打ち消す。ターシャにとって、占いは商売だ。そう簡単に提供していいものではない。
それに、占いという行為自体を嫌う者もいる。他に頼るような行為は、プライドが邪魔をする、という理屈らしい。だから、望まれない占いはしない。勝手に人の生活に土足で踏み込むような真似は、やってはいけない。
生まれ育った場所から、フラフラになってまでやって来たのだ。なにかあったのだろうが、グリードが言わないうちは、聞かない方がいいだろう。
* * *
「なぁ、風呂とか、どうするんだ?」
洗い物を終えたグリードが勢いよく振り返る。
ぼんやりと考え事をしていたターシャは「んぁっ?」と間抜けな声を出してしまった。
「あ、ああ。あのね、村のはずれに、共同浴場があるけど……でも、私は行かないわ。いつも裏の森にある湖で済ませてる」
「湖? 冬は寒いだろう」
「そうなんだけど、森の奥の山が火山だったとかで、滝つぼ近くからお湯が湧き出てるのよ。共同浴場がなかった昔は、皆そこで身体を清めてたんだって。共同浴場も、そこからお湯を引いてるのよ」
ターシャの説明に、なぜかグリードは顔を顰める。
「いつも共同浴場に行かないのか?」
「えー? ルーシアがいた頃は行ってたけど……。湖の方が誰もいない上に、
ターシャはなぜか得意げな顔をし、ちょいちょいっとグリードを手招きすると、声を潜めた。
「それにね、いい場所知ってるのよ。滝の裏側の方にも小さな湖があるの。でもそこまで回り込む人っていないのよ。ルーシアと私の秘密の場所」
「誰も来ないって、そんなこと言い切れないだろ」
グリードのそんな言葉にも、ターシャは一笑に付した。
「来ないわよ。秘密の場所って言ったじゃない。グリードはこれまでどうしてたの?」
「俺は、家に風呂があったから……」
「なぁんだ。グリードのお家ってお金持ちなの? いいわよ、グリードは共同浴場の方に行けばいいわ」
この辺りでも、自宅に風呂があるのは、村長や大きな商店を営む家くらいだ。
グリードの発言から、彼の家はなかなか裕福な家だったと思われた。
祖母や近所のおばさんたちに育てられたというが、家に他人が出入りして子育てを手伝うという事は、家柄がいいという事ではないだろうか。
両親を亡くしたという境遇はターシャと同じだったが、ターシャが唯一肉親と言えるのは、ルーシアだけだ。周りに手助けしてくれる女性がたくさんいたグリードは、きっと苦労を知らずに育ったのだろう。大体、金も持たずに家出をするあたり、世間知らずとしか思えない。
「見ての通り、うちにお風呂はないの。それをネタに、いつもアジルが家の風呂入りにうちに来たらいい、なんてしつこく言うけど、単なる自慢だわ、あんなの。それがうるさいっていうのもあるわ。だから、ひとりで湖に行きたいのよ」
「アジル?」
名前を聞き返され、ターシャは相手の顔を思い出したかのように、ムスリと頬を膨らませた。
「村長の息子よ。昔からいちいち突っかかってきて、本当にうるさいの」
「……ふぅん」
この話は終わりだと言わんばかりに、ターシャが立ち上がる。グリードも、それ以上話を続けることはしなかった。
ターシャが寝室に向かうのを、グリードはそのまま見送る。
「グリードはまだ寝ないの?」
「ああ。ここを拭いたら休むことにするよ。明日はハムチーズサンドを作るつもりだけど、それでいいか?」
「えっ」
振り返った顔が、嬉しそうに輝く。
「うん! 楽しみにしてる! そうだ。お金、渡しておくね」
エプロンドレスのポケットに手を突っ込むと、チャリチャリと音がした。
嫌な予感に眉を顰めるグリードに、向きも折り方もバラバラの紙幣と、何枚かの硬貨が突き出される。
「これ、今日の売り上げなんだけど……。何日か分にはなるかしら」
「おまえなぁ……もっとちゃんと仕舞っておけって言っただろう。慣れた村の中とはいっても、不用心すぎるって」
「大丈夫よ。じゃあ、これ。二日分でいける?」
ターシャはグリードの忠告もろくに聞かず、手にした金を押し付けた。
「二日分もなにも、一週間は食えるぞ」
「えっ。そうなの?」
その返答に、またしてもグリードが顔を顰めた。
「おまえなぁ……」
この国に来て、今日初めて商店を見たが、グリードは既にこの国の貨幣価値や商品の価格を確認していた。
この村は山間部にあり、肉や野菜、果物は手頃な値段で手に入りやすいが、魚類は干物が少し扱われているだけで、新鮮なものはなかった。その干物でも、野菜などに比べるとかなり高価だ。
ターシャはそういうことも意識していないのだろう。
彼女が今、無造作に渡してきた金額は、贅沢さえしなければ、この村では一週間は暮らせる金額だった。
「まったく……。よくこんなんで、ひとりで生きてきたな」
グリードの呟きを聞く者はいない。
ターシャはとっくにドアの向こうだった。
それにしても……と、ターシャが入っていった寝室のドアを見つめたまま、グリードは考えた。
ターシャは不思議な少女だった。
しっかりしているようで、とても危うい。
渡された金を見ると、ちゃんと働き、報酬を得ているようだ。
金額からして、仕事の評価は高いのだろう。だが、その生活ぶりはとてもではないが、普通とはいえない。
この家を掃除してみて、彼女が決して片付けられない性格だというわけでもないのだと分かった。
食器棚やキッチンも、元々はきちんと整理されていた。そこに追加で増えた物がどんどん溢れていっていたのだ。どうやら、仕事にのめり込みすぎて、家事にまで気力が回らないようだった。
「放っておけないよなぁ……」
こうも人を簡単に信じ、仕事以外は人間関係や身の回りの事さえも面倒だと思っているようなターシャは、とても危なっかしい。
それに、先ほど彼女が口にした、『アジル』という名も気になった。
「こりゃ、明日は仕事場にもついて行った方がいいかな~?」
世話が焼けるなぁ、なんてひとりごちるが、その顔には笑みが浮かんでいた。
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