06:きりこたなびく

 七夕祭りの日、町の上には何処までも青い空が続いていた。

 川沿いの商店街は様々な団体が持ち込んだ七夕飾りで埋め尽くされ、遠目からも彩色鮮やかな景色を作り出している。

 道の両側に丸太で組んだ「矢来やらい」は、例えるなら大きな物干し竿のようなものだった。物干し竿にくす玉などの大きな七夕飾りを並べて、滑車で高く吊り上げる。そうすることで飾りが人々の目に触れるだけでなく、太陽の日差しを遮る役割も満たしていた。

 矢来は等間隔に設置され、それぞれの支柱には七夕ならではの竹飾りも括りつけられている。大きくしなった枝についた短冊や飾りは、通りを明るく彩っていた。どの竹も、一番先の枝には「切子きりこ」と呼ばれる飾りがついている。紙を折って互い違いに鋏を入れたもので、この辺りでは魔除けとして竹飾りの先端につけるのが習わしだった。

「このお祭りの飾りが、どうしてこんなに綺麗なのか知ってる?」

 昌子は自分と揃いの浴衣を着た少女の言葉に、首を左右に振った。一つ年上の文子あやこは八重歯の似合う丸顔で、昌子とは従姉妹同士だった。

「知らない」

「昔ね、とても有名な画家がいたんですって」

 紺地に朝顔を染めた同じ布を使っているのに、昌子と文子ではその浴衣を着た雰囲気が全く違った。文子は昌子より背が高くて、特に首が長かった。制服を着ている時はさほど目立たないそれも、浴衣姿では否が応でも際立つ。それがとても大人びた粋なものに映っていた。

「此処に住んでた人が、その画家さんをお祭りに呼ぼうとしたんだけどね、画家さんは身体が弱かったから、とうとう来れなかったらしいの」

 二人は七夕飾りが並ぶ道を歩きながら会話を続ける。人通りは多く、偶にすれ違う人の浴衣や団扇が身体に当たるほどだった。

「死んじゃったの?」

「そういうのはハッキリ言うものじゃないわよ」

 文子は喉を揺らすようにして笑う。唇の隙間から覗いた八重歯が、その笑みをどうにか子供らしく見せていた。

「でもね、その画家のお弟子さん達が代わりにやってきて、七夕祭りにその画家さんの絵のような、綺麗な飾りを沢山作ってくれたんだって」

「どうして?」

「その画家さんを慕っていたからよ」

 少し強い風が吹いて、昌子達の周りにある七夕飾りが揺れた。色とりどりの吹き流しや短冊が、風に逆らうこと無くなびく。文子の話が本当かどうかはわからないが、飾りが美しいことだけは誰が見ても明らかだった。

「慕う?」

「うぅん、なんて言うのかしら。尊敬してたってことかな。その人たちのお陰で、こんなに綺麗な飾りが作られるようになったのよ」

「でもその人達、余所から来たんでしょう?」

 この町の人間ではない人々がやってきて、この祭りの彩りを作り上げた。そう考えると昌子は少し不愉快な気持ちになった。

 外からやってきた人々が、この町を変えた。

 それはR基地も同じだった。七夕飾りも飛行機も、当たり前のように町の物として昌子達の頭上にある。大人達はそれを受け入れてきたのか、それとも気付いたらそうなってしまったのか。昌子には後者にしか思えなかった。

「余所の人に変えられちゃうなんて、なんだか嫌な気持ちだわ」

 素直な気持ちを吐露すると、文子が驚いたように目を丸くして昌子の顔を覗きこんだ。しかし、すぐに破顔して笑い声を立てる。

「まーちゃんたら、おばあちゃんみたいなこと言ってる。余所者は来るなって言うの?」

「そんなんじゃないわよ」

「綺麗なんだからいいじゃない。もしその画家さんのお弟子さん達がこなかったら、きっと今でも竹に短冊と切子を吊るしてるだけだもの」

 なおもからかうように笑みを深くする文子に、昌子は口を尖らせる。

「私、何かがいつの間にか変わっちゃうのが嫌いなだけよ」

「成る程ね。新しいものが嫌いなんだ」

 違う、と昌子は言い返そうとした。だが、その瞬間に何か眩いものが目に飛び込んできたために言葉を飲み込む。

 道を埋め尽くすように並んだ七夕飾りの中で、一等目立つものがそこにあった。

 竹ひごで作られた大きな球体。それを覆う白い紙花。太さと長さを整えられた吹き流しも真っ白で、そのすべてが太陽の光を浴びて輝いている。吹き流しの一つにだけ赤いインキで「S地区」と書かれているのが潔い。

「うちの地区の飾りだわ」

 文子がそう言ったのが聞こえたが、先程に比べると声が小さかった。空の青を背負った真っ白な飾りに圧倒されているのは明らかだった。

 飾りの周りには人だかりが出来ていて、口々にその出来映えを讃えている。といっても皆、どう言葉にしたら良いのかわからないのか、「すごい」だの「良い」だの、決まった言葉を繰り返しているだけだった。

「あやちゃん、まーちゃん」

 群衆の中で立ち尽くしていた二人を誰かが呼び止める。先に振り返った昌子が見たのは、黒い浴衣を着た金作だった。いつものように腕まくりをして首に手拭いを引っ掛けているが、普段使っている豆絞りではなく、神社の名前が入ったものだった。

「どうだ、凄いだろう。他の飾りなんか目じゃないぞ」

 金作は飾りを示して得意げに言う。

「太郎ちゃんが考えたんだ。まーちゃんも手伝ってくれたんだろう?」

 昌子は思わず頷いたが、実際には太郎に言われるがまま計算をしていただけなので、どうにも歯痒かった。しかし金作はそんな昌子の内面には気付かずに、弾んだ表情で続ける。

「M地区の連中、この飾りを見て悔しがってたよ。他のところもゾロゾロ見に来てさ、Y地区の奴なんて溜息ついてたっけ。見せてやりたかったよ」

「金作兄さん。太郎兄さんはどこ?」

 文子が辺りを見回して尋ねる。人混みの中に、見知った姿はない。

「さっきまでそこで飲んでたんだけど、何処かに行っちゃったよ。他の地区の飾りを見に行っているんだと思うけど」

「河原かもしれないわよ。太郎兄さん、一人で飲むのが好きだもの」

「酔っ払って落ちなきゃなんでもいいさ」

 金作は上機嫌で言った。自分の兄の功績を見るその目は、子供のように澄んでいた。

「戦争中は七夕祭りなんか出来なかったし、こんな目立つもの吊るせなかったからなぁ。平和の証ってやつだよ」

 その語尾を掠め取るように、プロペラ音が近づいてきた。R基地から飛び立ったらしい戦闘機が、七夕会場の上空を通過して西の方へと飛んでいく。鮮やかな祭りの光景と不釣り合いなそれを、誰一人として気に留めはしなかった。

 戦闘機の巻き起こした風が竹飾りを揺らし、魔除けの切子が力なくその身を振るっていた。

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