04:白亜の楽園
昌子達の町を見下ろすように、R基地は高台の殆どを埋めていた。朝鮮戦争が終わってから多少縮小されたが、それでも呆れるほどに広かった。
「昨日の飛行機は、落ちたんじゃないんだってさ」
灼熱の照りつける坂道を登りながら昌子に言ったのは、近所に住む幼馴染の誠だった。同い年だが、周りより頭一つ抜き出て大きい誠は、そのくせ運動は駄目だった。
「違うの?」
「不時着だと」
「でも煙が見えたわ」
「あれは飛行機の羽が柿の木にぶつかって、それで燃えたんだとさ」
誠は肩に担いだ大きな画板を、背中を揺らすようにして持ち直す。二枚の画板が擦れ合うのを見て、昌子は思わず口を出した。
「やっぱり私、自分で持つわよ」
「遠慮するなって」
「遠慮なんかしてないわ。誠ちゃんたら、落としそうなんだもの」
「……あのなぁ」
坂の途中で立ち止まった誠は不満そうに眉を寄せる。
「誠ちゃんは止せよ」
「いいじゃないの。呼びやすいんだもん」
「俺はもう十三だぞ。数えなら十五だ」
「私もそうよ」
昌子は立ち止まっている誠を追い越して先に進む。
「金作さんなんか、いつまでも「太郎ちゃん」よ」
「あれは兄弟だろ。俺とまーちゃんは違うじゃないか」
「じゃあ、そっちが先に止めればいいんだわ」
昌子は「まーちゃん」と付け加えて笑った。誠はますます不機嫌な顔で、再び歩き出す。
「あんまし飛ばすと、疲れちゃうわよ」
「このぐらい平気だ。それに、足が疲れたって、絵を描くのには関係ないだろ」
「そうね」
二人は、夏休みの課題を片付けるために山へと向かっていた。提出するのは二枚で、一枚は七夕の絵と決まっていたが、もう一枚は自由題材だった。
何を描こうか悩んでいた昌子に、声をかけたのが誠だった。山に被写体を探しに行くという言葉に昌子はすぐに飛びついた。一人で探すのはどうにも気が進まないが、二人なら話は別だった。それに何より、誠は小学生の時分から絵が抜群に上手かった。
「何かアテはあるの?」
「ひょうたん池のとこに行こうかと思って」
「鳥が沢山いるのよね」
「亀もいる」
生き物を描くのは、昌子は苦手だった。そもそも絵を描くこと自体得意ではない。だが決して嫌いではなかった。誠と出掛ける口実にもなるし、それに絵を描く時に並んで座り込み、ただ黙っている時間が好きだった。
「亀はいいわね。動かないもの」
「亀だっていざって時は速いよ」
他愛もない話をしながら坂を登っていくと、少し離れた場所から電車の音が聞こえた。昌子がそちらに目を向けると、小さな緑色の駅舎が建っていた。
R基地にはいくつかの線路が通っている。そのうちの一つは少し離れたI地区から爆薬や資材を運ぶ用途で使われており、「爆弾線」と呼ばれていた。
「爆弾列車かな」
誠がそう言って、昌子と同じ方向を見る。傾斜のついた屋根に太陽が照りつけていた。
「本当に爆弾を運んでるのかしら」
「そうらしいよ。朝鮮戦争の時には沢山爆薬が運び込まれたって」
駅舎と昌子達の間には、基地の敷地を区切るためのフェンスがあった。
フェンスで囲われた向こう側は、昌子達の住む町の一部であって、一部ではない。地面は緑色の芝生に覆われ、少し離れた場所には白い建物が並んでいる。昌子達の住む家よりも大きくて綺麗な色をしたそれは、アメリカ兵達に与えられた兵舎だった。
「また家が増えたね」
誠がそう言ったが、昌子の目はある家の前に注がれたまま動かなかった。芝生の上に長椅子を出して、一人の女が寝そべっている。花柄のワンピースに包まれた身体は、いつだったか見た裸婦画のように豊満で、赤茶色の髪を短く切っているためにさらけ出された首筋が、白く輝いていた。
昌子は自分の腕に目を落とし、溜息をつく。金作に褒められた白い肌も、その女と比べれば随分と黄色く見えた。
「何を食べたら、あんなに白くなるのかしら」
「まーちゃんは十分白いじゃないか」
「そういうことじゃないのよ」
フェンス一枚隔てた向こう側は、昌子には遠い彼方に見えた。
大人達は、いずれこの基地が日本に返されるだろうと言っている。だが、昌子にはそこが自分たちの町と同じ場所だとはどうしても思えなかった。
日本から切り離されたその場所は、とても遠い物に思えた。
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