03:焼夷弾を抱いて

 戦争の終わる少し前、この田舎にも焼夷弾が降った。昌子はまだ二歳に足らぬ時だったので記憶にはない。家は村の中でも外れにあったから、避難もしなかったと父親が言っているのを聞いただけである。

 降り注いだ焼夷弾は五千発とも一万発とも言われ、戦時中でも比較的平和であった村々を恐怖に陥れた。亡くなったのは十三人。その数が多いのか少ないのかは昌子にはわからない。ただ、幼い頃に見た墜落事故でそれより多くの人が亡くなったことを思うと、複雑な気持ちになる。

「昌子」

 神社の手前で誰かが昌子を呼び止めた。本家の太郎が、風呂敷包みを抱えて立っていた。いつものように優しい笑みを浮かべているが、その挙動には隙がない。

「御札貰いに来たのか」

「うん」

「じゃあ一緒に行くか」

 太郎は穏やかな目で微笑んだ。三十路を目前にした太郎は、つい先日結婚したばかりである。

 戦時中はそれどころでなく少々婚期を逃してしまった太郎は、周囲の取り計らいで、少し離れた村の比較的裕福な農家の娘を嫁にとった。

 馬車や人力を雇う金もないから、と太郎は真新しいリヤカーを自分で作り、それで花嫁を迎えに行き、自ら家まで引っ張ってきた。

 それを見かけた多くの人が「やァ、嫁入りだ。目出度い目出度い」とリヤカーに野菜やら酒やらを放り込んだものだから、家に着いた時の花嫁は祝いの品に埋もれてニコニコ笑っていた。

 太郎が「ほら、俺の言った通りだろ」と、リヤカーに反対していた親戚達に自慢げにしていたのを、昌子は覚えている。

 貧乏農家の跡取り息子は、自分で拵えたリヤカー一つで豪華な婚礼をしてみせたのだ。

「嗚呼、この木も随分持ったなぁ」

 鳥居をくぐって少し歩いたところで太郎が立ち止まり、そばにある木を見やる。樹齢数十年を超える立派な杉の木の表面には、大きな焦げ跡がついていた。

「こればっかりは、空襲の後にすぐに倒れると思ったんだが」

 それは焼夷弾による燃痕だった。黒く抉れた傷を物ともせずに、その木は真っ直ぐに天に伸びている。昌子がなんとなくそれを見入っていると、太郎が小さく笑った。

「空襲の時には、これよりもっと大きな木も焼けたんだ。生き残ったこいつのほうが強かったってことだな」

「何が強かったの?」

「そんなの俺が知るもんか。生き延びたもんは強い。どんな理屈を並べたって、それは同じさ」

 境内の隣にある社務所の方へ向かった太郎は、開け放たれた引き戸から中へと声をかける。そこは昔から住民の話し合いの場にも使われている場所だった。建物自体は戦後に建てなおされたもので、前のものは空襲で焼けてしまった。

「あぁ、太郎か」

 奥から出てきたのは、還暦を迎えた赤ら顔の神主だった。仕立ての良いシャツを着ているが、それは身体に合っておらず、袖や裾がかなり余っていた。

「丁度いい。今、七夕祭りの飾りを作ってるんだ。手伝ってくれないか」

「いいけど、そのシャツはどうしたんだ。俺はまた、神主さんの背が縮んだのかと思ったよ」

 太郎の言葉に神主は愉快そうに声を上げて笑う。

「まだ背は縮みたくないな。これはR基地の払い下げだよ。どうも向こうの人間は背が高すぎる」

 基地からの払い下げ品は、ここでは貴重な「高級品」だった。

 同じトマト一つとっても、昌子の家で作った小さくて不揃いなものとは違って、大きくて身が詰まっている。

「他にもあるから、持っていくか?」

「飴玉はあるか?」

「あったと思うが」

「よぉし、昌子も手伝え。神主さんが飴玉くれるぞ」

 地下足袋を脱いで中に上がり込む太郎に、神主が苦笑いをする。適わねぇなぁとぼやきながら、嫌がる素振りはない。

 奥の座敷には近所の大人達が集まっていた。二十畳はある部屋の中央には、昌子くらいの大きさの直方体の木組みが置いてある。何故だかその周りに破けた花飾りや切れた短冊が積み上がっていた。

「これは去年のM村の真似か?」

 一目見た太郎がそう言うと、そこにいたうちの一人が頷いた。よく知っている顔であるが、昌子はその名前まで思い出すことは出来なかった。

「去年、あそこが凄いのを作っただろ。氏子の数はこっちが多いのに、これじゃ面目丸つぶれだ。だから真似してみたんだが、木枠が重くてどうにもならん。かと言って細い木材にすると、今度は飾りが耐えられん」

「はぁ、なるほど」

 太郎は木枠の傍にしゃがみこむと、その接続部を見て眉を寄せた。

 この町の七夕祭りは他と比べても歴史が古く、江戸時代から続いている。毎年各地区や学校が大掛かりな七夕飾りを出し合うのが決まりだった。

 紙で出来た大きなくす玉に吹き流しをつけた物が多い中で、去年ある地区が新しい七夕飾りを出してきた。それは四角い木組みに紙を貼り付けて、赤いペンキで大きく商店街の名前を書いたもので、その下には吹き流しではなく、子供たちが新聞紙や折り紙で作った提灯が沢山垂れ下がっていた。他の地区の人間はその出来映えを見て地団駄を踏んで悔しがり、見物客は口々に褒めたたえた。

「これじゃあいけねぇな」

 太郎は枠組みを掴みあげながら渋い顔で言った。

「木が重いんだ。それに釘をこんな曲げて打ったら、左右で重さが変わっちまう。大体、去年のM村の真似をしたって、勝てるもんか」

「じゃあ何か良い案があるのか?」

 そう尋ねられた太郎は、少しの間考え込んでいたが、突然膝を打って顔を上げた。

「くす玉だ。くす玉を変える」

「でもくす玉なんか、どこも作ってるじゃないか」

 一人が口を尖らせて言ったが、太郎はそちらには見向きもしなかった。

 散らばった色とりどりの紙を寄せ集めながら早口で言う。

「白だ。白一色の、どこよりも大きなくす玉を作る。周りが沢山色を使うなら、白だけのくす玉はよく映える」

 皆が近寄り、掻き集められた色の塊を覗き込む。太郎はそれを待ってから、真っ白な紙を中心に載せた。途端に、その色だけが強く引き立ち、他の彩色を遠ざける。

 昌子はそれを見て、アッと目を見開いたが、他の大人達も同じだった。

「周りの飾りを利用するんだ。絶対に目立つし、皆の印象に残るだろう。どうだ?」

「確かに、そんなのがあったら皆驚くな」

 赤ら顔の神主が感心したように頷いた。

「流石は太郎だ。俺たちじゃ思いつかない」

「物事は真似っ子じゃ駄目だ」

 太郎は自分の額の中心を人差し指で数度突いた。

「色んな見方をしないと、どこかで行き詰まるんだよ」

 その後、太郎は昌子に手伝わせて、くす玉の大きさと必要な紙の量を計算した。昌子は言われるがままに、部屋に置かれた黒板を使って計算していただけで、一体どうしたら頭の中だけでこんな計算を思いつくのか不思議でならなかった。

 一つ一つの計算は昌子でも出来る簡単なものだったが、太郎はそれらを巧妙に組み合わせて、球体の表面の面積を算出してしまった。

 周りの大人は揃って間抜け面で頷くだけで、誰も太郎のやることに口を挟もうとはしなかった。

 ただ、部屋の隅のラジオだけが、呑気に少し前の流行歌を流しているのが響いていた。「街のサンドイッチマン」というその歌は、かつては上流階級だった者が身を持ち崩した様子が歌われている。物悲しさのあるその歌は、しかし元から地位も富もない昌子達にはピンとは来ない。

「そういや、飛行機が落ちたっけ」

 一人の男がふと口を開く。

「何処に落ちたんだ?」

「Iの河川敷の方だよ、ほら平井の畑の一個に」

「じゃあ何か駄目になったのか」

「聞いた話じゃ、ネギが駄目になったんだと」

 見知らぬ男の嘆きの歌よりも、彼らにとっては知り合いの農作物の被害の方が重要だった。所詮、ラジオは娯楽であり、日々の生活の糧になることはない。

「誰か見舞いに行った方がいいな。何しろあの家は、この神社に寄付もしたし」

「じゃあ神主さんに行ってもらおう。その方が向こうも見舞いを受け取りやすい」

 彼らの会話を背中で聞きながら、昌子は蝋石を黒板へ叩きつけるように計算を続ける。蒸せるような熱気の中で、数字だけがただ正直にその身を晒していた。


「あんな簡単なことで、こんなにもらえるんじゃ、もう少し悩んでもよかったかもな」

 飾りを作るための指示を終えた後に、太郎は昌子を連れて社務所を出たが、その両手には払い下げの品や、皆から貰った野菜が抱えられていた。

「昌子の家にも半分やろうな」

「ありがとう」

「お前も働いたんだから当然だ」

 太郎は拝殿の前で立ち止まって、昌子にそう言った。空襲の焦げ跡がくっきりと残る拝殿の屋根が、その頭の後ろに見えた。

「ちゃんと御札は貰ったか?」

 当初の目的を聞かれて、昌子はその手に大事に抱えていた五枚の札を掲げてみせた。七夕祭りに使うそれは、空襲で亡くなった十三人の霊を鎮めるためのものだった。札が揃っているのを確認した太郎は、満足気に一度頷いた。

「それがなきゃ、お祭りも締まらないからな。ちゃんと失くさないように持ってるんだぞ」

 太郎はどこか淋しそうに言った。

 空襲の前日に、太郎は一番下の妹を病気で亡くした。まだ幼い末の妹を、太郎は溺愛していたと、昌子は金作から聞いて知っていた。死んだその妹は、空襲の戦火で焼けてしまったのだ。葬式どころか通夜も待たずに。

「皆も七夕を見せてやらなきゃ可哀想だ」

 太郎はそう言いながら、神社の外に向かって歩き出す。昌子はそれを追いかけながら、一度だけ拝殿を振り返った。焦げた拝殿、焦げた木。そこには昌子の記憶にない空襲の痕跡が、今でもはっきり刻まれていた。

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