02:茅葺きのない寺
「ねぇ、おじさん。もう百姓をやるのは無理だよ。別の手を考えなきゃあ」
昌子が茂雄を連れて家に戻ると、金作と父が話していた。庭先に出した長椅子の上に腰を下ろし、ヤカンに入った麦茶を交互に飲んでいる。午前中の畑仕事を終えて、休憩中のようだった。
「別の手ってなんだね。屋根
「太郎ちゃんがね、もう屋根も藁で葺くとこなんかねぇって言うんだ」
太郎というのは金作の上の兄で、百姓にしては少し線の細い男だった。本家の跡取りで、学は納めていないが手先が器用で頭も良い。このあたりに申し訳程度に立った電柱は、太郎とその父親が山から切った丸太で作ったものだった。
「太郎が言うなら、間違いねぇわな」
ううん、と唸りながら父親が言う。
「それにこの村じゃ、太郎より上手く屋根が葺ける奴なんかいねぇ。あいつがやめたら皆やめる」
町になっても、未だに大人達は自分たちの住む地区を旧称で呼ぶ。
「太郎ちゃんは、お寺さんのを最後に屋根葺きをやめるとさ。そうすりゃ、住職さんが色々便宜を図ってくれんだろって」
「ああ、それがいい。それがいい。寺はやっぱり藁でねぇと格好がつかねぇ。今のトタンのまんまじゃ、可哀想だ」
「けどね、太郎ちゃんはおじさんの意見を聞いてからにしねぇとって。何しろ、太郎ちゃんに屋根葺き教えたのはおじさんだもの」
「何、もう本家は太郎がいれば安泰だ。宗家と顔つなぎも出来てる。NやUのとこも文句は言わんさ」
父親は団扇で顔を仰ぎながら何度か頷いた。N地区とU地区は少し離れた場所にあり、そこにも親戚が住んでいる。苗字が同じなので、地区の名前を通称としていた。昌子の家のように本家のすぐ近くに建っている分家は、それぞれ本家から見た位置で呼ばれている。川下、田向、裏、二軒。昌子の家は本家の左にあるので、そのまま「左」だった。
「太郎も戦争じゃなけりゃ、上の学校に行けたんだろうになぁ」
「太郎ちゃんは勉強は嫌いだと言ってたよ」
「好き嫌いと向き不向きは別だ」
父親はそこで顔を上げると、昌子に気付いたようだった。
「どこ行ってた」
「橋んとこ。飛行機見てた」
「あぁ、さっき落っこちたやつか」
興味も無さそうな様子で、父親は首を左右に振った。
「飯は食ったのか」
「まだ」
答えたのは昌子ではなく茂雄だった。折からの暑さで額にはびっしりと汗が浮かんでいる。それを見た父親が呆れたような目を昌子へ向けた。
「じゃあ早く中に入って食べろ。こんな暑いのに、いつまで庭に突っ立ってる」
「そうだぞ、まーちゃん。あまり日に当たると、折角の白い肌が台無しだ」
金作がからかうように言ったので、昌子は少し顔を赤らめた。とは言え、熱気のために上気した頬が熱くなっただけで、周りの誰もそれには気付かなかった。
「白くないわ。日焼けしちゃってるもの」
「それでも他の皆よりは白いさ。色の白いのは七難隠すって言うだろ」
よく焼けた肌に笑みを刻みながら金作が言う。昌子も茂雄も生まれつき色素が薄く、髪の色は茶色がかっていたし、肌も白かった。中学生になったあたりから昌子の髪は徐々に黒くなってきたが、それでも周りの友達と並ぶと明るい色に見える。
「七難隠しても、姉ちゃんはあと三つくらい難があるからなぁ」
茂雄がわざとらしい口調で言う。
「きっと明日は五難ぐらいになってるよ」
「生意気なこと言ってるんじゃないわよ、憎たらしいんだから」
昌子は弟を叱責しながら家の中へ入ろうとする。引き戸に手をかけたところで、父親がその背中に声をかけた。
「後で神社に行って、御札貰ってこい」
「七夕祭りの?」
「神主様には頼んである。五つ、貰って来るんだぞ」
父親の言葉に昌子は素直に返事を返す。だが上空を飛ぶ戦闘機が、言葉の大部分を掻き消してしまった。大きな両翼を広げ、緑色の戦闘機は民家のすぐ上を通過していく。だがそれは、此処に住む人間にとっては鳥やコウモリと同じような、よく見る物に過ぎなかった。
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