蒼穹を仰ぐ夏
淡島かりす
01:戦闘機が堕ちる町
例年通りの蒸し暑い夏だった。
七夕祭りも近付いた日に、F84はこの田舎町に落ちた。
「あぁ、燃えてる。燃えてるよ、姉ちゃん」
興奮気味に言いながら身を乗り出した弟の少し茶色い頭を見下ろしながら、
「ほら、あんまし身を乗り出すと落ちるわよ。飛行機と一緒になっちゃうじゃない」
家の近くの橋からは、遠くの煙がよく見えた。この町にはA県の中でも二番目に大きな川が流れていて、町の中心にはダムがある。ダムと言っても大きな溜池みたいなものだが、出来た時はちょっとした祭り騒ぎになったものだ。
川を隔てた向こうには、こちらより少し大きな市がある。だから川には橋が多くかかっていて、「どこそこの橋の近く」と言えば、大体の住所は通じるようになっていた。
「ねぇ、
昌子は弟が橋から落ちないように、ズボンをしっかりと掴みながら言った。三つ下の弟は十歳だが、他の同級生と比べて背が少し低い。それを気にしてか、毎日律儀に学校に通っては、不味い脱脂粉乳を飲み干してくる。
「前?」
茂雄が振り返り、昌子を見る。右目だけが二重で、バランスが取れていない。
「前っていつさ」
「K村に飛行機が落っこちた時よ」
「知らないよ」
口を尖らせた茂雄を見て、昌子はそれがもう三年も前だったことに気がついた。それだと茂雄は当時七歳だ。見ていたとして忘れてしまったのかもしれない。
だが昌子はあの時も同じように、この橋から煙を見ていた。ここで遠くに見える火を見て、何やら酷く恐ろしい気持ちになったことを覚えている。
「何が落ちたの、その時は」
茂雄が視線を戻しながら尋ねる。昌子はぼんやりと空を見ながら、ゆっくりと瞬きをした。
「B29よ」
「K村に落っこちたの?」
「そうよ。確か夜だった」
あの時、K村に落ちた飛行機は近くのアメリカ軍の基地から飛び立ったものだった。きっと今日も同じだろう、と昌子は確信していた。
「多分、
近所に住む親類の青年の名前を口にして、昌子は記憶を繋げていく。あれは雪の夜だった。強い風が昌子の家の雨戸に容赦なく雪をぶつけていた。
昌子は父親と一緒に寝ていたが、突然の大きな音で眠りを妨げられた。飛び起きた父親は昌子の手を引いて外に出た。遅れて出てきた母親は、確か茂雄を抱いていたと思うが、昌子はよく覚えていない。
「おじさん、飛行機が落ちたんだよ」
家を出てすぐに話しかけてきたのは、隣りに住む金作だった。昌子より十歳も上で、日焼けした肌に白い手拭いがよく似合う男だったが、その時は夜だったので、野暮ったい寝間着の上にドテラを羽織っていた。
「飛行機? 何処に」
「さぁ、わかんねぇけど。多分R基地の近くだろうって」
家の近くの橋には、近所の人たちが大勢集まっていた。いずれも視線は遠くを向いている。昌子もそちらを向いたが、背が低くて大人の尻ばかりしか見えなかった。
「みえなーい」
不満そうに口にした昌子の言葉を、聞きとめてくれたのは金作だった。「どれどれ」と、がっしりとした両の手を昌子の腕の下に潜らせ、脇を掴むようにして持ち上げた。その時、昌子は充分身長もあったはずだが、まるで赤ん坊のように軽々と宙に浮かび上がり、視線があっという間に大人と一緒になった。
「まーちゃん、見えるか?」
金作の声に我に返った昌子は、慌てて両の目を凝らして夜の中を見た。
橋を渡った先、暗闇の中にぽっかりと赤い火が燃えていた。それは昌子の手のひらで包めそうなほどの小ささで、風が吹く度にゆっくりと形を変えていた。
昌子がそれを見ていたのは、実際には数秒のことだった。だが、暗闇を繰り抜くような火が得体の知れぬ恐怖を少女に与えた。
「見えたか?」
もう一度訊ねた金作に、昌子は首を縦に振るだけで精一杯だった。頬を打つ雪が冷たくて、痛くて仕方なかった。
「姉ちゃん、お腹空いた」
幼い頃の記憶は、弟の無邪気な声で遮られる。昌子は橋の欄干に捕まってこちらを見ている茂雄に、ぎこちない笑みを返した。
「じゃあご飯食べようか」
後から知ったことだが、あの墜落事故では十七人が死んでいた。
幼い頃の昌子が見たのは、人を飲み込んで燃えている最中の火だった。あの時の恐ろしい気持ちは、それを直感的に知っていたせいかもしれない。
昭和三十年。この辺りで戦闘機が落ちることは、決して珍しいことではなかった。
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