第2話 2種類の魔女
人は、マアサのような人から外れた存在を『魔女』と呼んだ。
そこには明確な定義がなく、人よりも長い寿命を持っていたり、魔法が使えたり、呪いができたりすれば、みんな魔女と呼ばれた。
だが、魔女達の間ではしっかりと定義がある。長い寿命を有し、限られた魔法を行使できること。そして何より、人より生まれ出た人ならざる、女児であること。これらから外れれば、それは最早魔女では無かった。
そして、魔女は二種類に分けられた。『良い魔女』と『悪い魔女』だ。
良い魔女は、治癒魔法を主魔法とし、他に飛空魔法と防御魔法しか使えない。
悪い魔女は、攻撃魔法を主魔法とし、他に飛空魔法と呪いしか扱えない。
両者は対極的な存在であり、決して交わることはない。
バレンティーヌ・イランシュは、悪い魔女であり、主魔法とするのは炎の攻撃魔法だった。
マアサ・キャンベルは、良い魔女であり、主魔法とするのは癒やしの治癒魔法だった。
しかし、どれだけ両者が白と黒、裏と表であろうと、魔女を知らない人々からすれば、彼女達は一纏めに魔女なのだ。
7日間目覚めなかった孤独な少年は、虚ろな瞳でマアサを見た。まだ体力が回復していないのだろう、飛び掛ってくるようなことはなかった。
その全身は、まだ治りきっていない傷に覆われていて、包帯が巻かれている。
「目が覚めたのね。気分はどう?」
「……お前が、殺したのか?」
掠れた声で、問いかけてくる。
「そうよ」
戸惑うように、少年の目が揺れる。平凡な栗色の髪と、海より深い青い瞳。少年の前にいる、悪い魔女と名乗る彼女は平凡そうに見えた。魔女にさえ、見えなかった。
「魔女は、赤い瞳だった」
「……そうね。魔法を使う時、魔女の瞳は紅く光るわ」
軽く手を振る。魔力は血の流れに沿う。体内の血が、一瞬沸いた。
瞳が紅く光る。これは、良い魔女も悪い魔女も変わらない。
「……なんで、おれを、生かした」
瞳の赤に憎悪を感じたのだろう。少年の瞳が鋭くなる。
「飽いたの。長く生きていると、何も楽しくないのよ。だから、人間の子供を1人、飼ってみることにしたわ。私を殺しなさい。家の中に信用ならない子供が1人いる。それだけで……スリリングでしょう?」
脳裏に思い描くのは、バレンティーヌの姿。その性格。彼女は面倒を嫌うが、長い生に飽いてもいた。
楽しいことに、飢えてもいた。彼女が人間の子供を飼うとしたら、そんな理由だろう。そういう姿を、想像出来る気がしたが、やっぱり、そんなことは言わない気もした。
訳がわからない、という顔をしている少年と目が合い、マアサは口をへの字に曲げ、うぅん、と考え込む。
「……理解しなくて良いわ。魔女の気まぐれよ」
は?という顔をしていた少年の顔が、ゆっくりと苛立ちを宿す。そうだ、最初からこう言えば良かった。
魔女の気まぐれ。
大抵のことは、これで済むはずだった。
「ところで。あなたの、名前は?」
「誰が、言うか」
「あら、そう。じゃあ、ニア。ニアと呼ぶわ」
ニア。何処かの国の言葉で、近い、という意味だ。私の近くで生きていて。そして、私から離れる時にその名を捨て、本当の名で生きていけば良い。そう思った。
「……勝手にしろ」
舌打ちして、吐き捨てる。
魔女を怒らせ、殺されるという恐怖はないのだろう。彼は、まだ、ふとした拍子に死ぬことを決めてしまいそうだった。
「もう少し寝てなさい。せっかく生かしたんだもの、死んでしまっては勿体無いわ」
魔女らしく酷薄そうに微笑むと、ニアは憎いものを見る目でマアサを見た。気の強い少年なんだろう。
もしかすると、本当にバレンティーヌはニアをわざと生かしたのかもしれない。いや、生かしたというには語弊がある。ただ、積極的に殺そうとはしなかったのだろう。
ニアの体は、まだ回復していない。肩を押し、体を横たえるだけですぐに眠りに就いた。
苦しそうな寝顔を見ながら、マアサはため息を吐いた。
マアサは魔女として、人と関わったことがそう多くはない。治癒魔法は重宝されるが、死んだ者は生き返させることが出来ないし、なにより人間の理解に及ばない力は忌避される。
だから、どう振る舞えばその人間に特定の印象を残すことができるのか、わからなかった。
「いまのうちに、部屋を整えないと」
まさか、子供を飼うと宣言したのに、寝台はニアに提供していました、だなんて、とんでもないお人好し魔女だ。
もう十分怪しいが、より怪しまれる要素は排除しなければ。
こじんまりとしたマアサの家は、寝台を1つ置けば部屋の面積が3分の2は占拠されてしまうような小さな部屋が2つと、リビングが1つ、水場があるだけ。そのうちのひと部屋をニアに与え、今まで物置同然としていた部屋を片付けることにした。
幸い、マアサを実の子供や孫のように可愛がってくれたおばあさまの寝台が残っていて、古いために少しがたつくものの、磨り減った脚の下に布を敷けばある程度はがたつきも抑えられた。
ずっと放置していた布団を干し、シーツは洗った。今日が晴れていて良かったわ、と零しながら、次は湯を用意した。
ニアの火傷がいつ治りきるのか、普通の人間よりも遥かに治癒能力の高いマアサには全く見当がつかない。湯につけ、固く絞った布で丁寧に体を拭きながら、痛ましげに目を細める。
「これは……」
全身を拭き終え、1日数回行う治癒魔法をかけながら、マアサは呻いた。淡いピンク色の真新しい皮膚が出来始めた首元。ニアの首を覆うように、まるで首輪のように、ぐるりと痣がある。
「呪い、よね?あぁ。やっぱり。バレンティーヌは、わざとこの子を生かしたんだわ」
悪い魔女の呪い。
これがあるということは、ニアの首もとに常にバレンティーヌが手をかけているも同然だ。ほんの一捻りで、この少年は死んでしまう。
そのかわり、バレンティーヌが手を掛けなければ、この少年は死なない。死んでも、死ねない。
人はこれを、不死の呪いと呼ぶ。
極端な話、人の形を保てないほどの傷を負っても、死なないのだ。掛けた魔女の許可、或いは死の命令が無ければ。
マアサは彼を救ったことを、今、心の底から良かったと思った。
マアサが救わなくとも、彼は生きた。ただし、全身が焼け爛れた状態で。彼は壊れただろう。肉体的にも、精神的にも。
バレンティーヌは面白がって彼を生かし続けるか、彼のことを忘れて呪いのことも忘れて、生かし続けるだろう。どちらに転がっても、苦痛しかない。
それならば、快癒に向かっている今の状態は、最善といえる。
「よかった。本当に。でも、バレンティーヌは探さなければならないわ」
ニアに清潔な服を着せ、部屋を出てから、決めた。気まぐれな魔女、バレンティーヌを探すことを。そして、ニアの呪いを解かせることを。
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