私、悪い魔女だもの。
@near
第1話 最悪の出逢い
家も街も、人も、全ては炎の中だった。最早悲鳴も聞こえはしない。誰も生きてなどいないからだ。
ほんの数時間。万年を生きるとも言われる魔女からすれば、ほんの瞬きの間に、人々の命は奪われた。
逃げる間も無く。
悪しき魔女、バレンティーヌ・イランシュの気まぐれによって。
増えすぎた人類は淘汰されるべきだ。悪しき魔女の悪い魔法は、自然災害と同様。人間は、それを甘んじて受け入れるべき、などとのたまうのは悪い魔女の言い分だ。
人間にはそんなことは関係がないし、雷に打たれようと、馬に踏みつけられようと、火山の噴火に巻き込まれようと、人の暴力によって死亡しようと、等しくそれは『死』だ。
悲しむ人間がいる。
絶望する者がいる。
「私たちだって、元を正せばただの人。それがどうして、バレンティーヌには分からないのかしら。……ごめんなさいね、アルバルド皇国皇王陛下。貴方の民を救うには、少し時間が足りなかったらしいわ」
手元の書簡には、少し慌てて書いたような右下がりの字で、「魔女、マアサ・キャンベル殿。アルバルド皇国のはるか東、メサメドの街を救ってほしい。」と書かれていた。
マアサはアルバルドの国を大切に思っている。例え、かつて魔女であることが原因で憎まれ、石を投げられ、化け物だと叫ばれ、追い出されていたとしても。
たったひとり、マアサを愛しキャンベルの姓をくれた女性がいる。だから、マアサはアルバルドの国を捨てられなかったし、未だに愛している。
その女性がいなくなったその後も、この国に何かあれば助けになろうと駆け付けるほどには、愛している。
「あぁ、救えなかったと知ったら、おばあさまは私を怒るかしら。……あら?」
どこかで、微かに、声が聞こえる。獣の鳴き声にも似ているが、人間の泣き声のようにも聞こえる。
「生き残って、いるのかしら……。この、炎の中で?」
人の存命など絶望的な、赤黒い炎。
マアサは悩んだ。生きている者がいるとしたら、助けなければならないだろう。だが、それがその者のためになるか、親しき者や家族がみんな死んだかもしれない中で自身だけが生き残ってしまったという、不幸な状況となるかは、分からない。
「ああでも、おばあさまなら。____救える命は救いなさい、と言うはずね」
生きていれば良いことがある、だなんて詭弁だ。絶望する人間に、希望も与えやしない。
だが、未来が見えないことだけは確実だ。誰にとっても。もちろん、魔女にとっても。
もしかしたら、本当に、良いことがあるかもしれない。そこへいくまでの不幸の方が大きい可能性は高いが。
ひとまず、今聞こえている声の主を探すことに決めて、マアサは歩き出した。徐々に声は弱まってきている。
歩くマアサへと迫る炎を、何の色もない障壁を幾度も出現させることで弾く。
炎そのものを操る力は、マアサにはない。だが、壁を作り、炎の進路を妨げ、曲げることは出来る。障壁の見えない者にとっては、さながら、炎を操っているようにも見えただろう。
やがて、小さな家が見えてきた。否、家だったもの、と表現するのが正しいだろう。
壁が燃え、柱を失ったせいで屋根が崩れ、建物と評するのも難しい物へと成り果てていた。
生き物の気配も感じさせないそこから、未だに微かな声が聞こえていた。
「……本当に誰か、生きてる?」
魔女は魔法が使えるが、個々で使える魔法が異なる。マアサは物を浮かせたり、動かしたりする魔法は一切使えない。
膝が土で汚れることも、白い肌が炎に舐められ火傷の痕を残すことも、崩れた屋根や壁を取り除くために指や手が傷付くことも一切厭わず、声の主を探した。
もう声は聞こえなくなってしまっている。
手遅れかと、手を止めかけた時。
マアサよりもよほど酷い火傷を身体中に負った、小さな体が出てきた。
息は微かにあるかないか。なのに、その瞳は。憎悪に燃えて開かれ、マアサを見つめて口を開いた。
「お、まえ、が……かあ…ん、を……と、さ……っ、まじょめ」
魔女め。お前が父さんと母さんを殺したのか。この街を燃やしたのか。口よりも雄弁に目が語る。
殺してやる。
満足に動かない手で、マアサの腕を擦るように掴み、爪を、食い込ませてくる。
身体中に重度の傷を負ってなお、虫の息でも生き、恨み言を吐き出すこども。この子が生きているのはきっと、死よりも苦しい憎悪のためだ。
マアサは瞬時に理解した。
だから、唇を噛んで、ゆっくり微笑んだ。できる限り、邪悪なものに見えるように。憎悪をもって、マアサを見ることが出来るように。
子供の耳に唇を寄せ、意識も定かでない子に囁く。
「そう。私が殺したの。みんな、燃やしたのよ。だって、人が憎いもの」
炎がマアサと子供を囲んで、飲み込もうと手を伸ばす。それら全て弾いて、マアサの焦げた外套を脱いで子供を包み、立ち上がった。
「私の名はマアサ。マアサ・キャンベル。あなたが殺さなければならない、悪い魔女よ」
頭を撫で、体をきつく抱きしめる。もう意識はないだろう。
どうか死なないで。憎しみのこもったその目には、覚えがある。
かつての自分を見るようだ、とまでは言わないが、それでもこの子供を助けなければと思うほどには覚えのある表情だった。
マアサの使える数少ない魔法。治癒魔法を行使しながら、子供の命を繋ぐ。
いつか、幸せになれたら良い。難しいかもしれないが、いつか、憎しみを薄れさせることができれば良い。
そう願いながら、繊細に術を紡いだ。
魔女の家には、夜明けに着いた。1つしかない小さな寝台に小さな体躯を横たえ、ひたすらに術を注いだ。
出来るだけ自然治癒に混ざるように。あまりに早い回復は、脳が混乱し、跡を残す。傷が消えても、消えない痛みが残る。
だから、魔力を注ぎすぎないように。
けれど、今のこの子は細い細い命の糸を、僅かに繋いでいるだけなので、途切れさせないように注いだ。
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