第28話 最終章(1)

「やっぱりインチキでしたか!」

 ノックするのももどかしいように、荷田勲は特定失踪者問題研究会の事務所のドアを開けて入ってきた。

 机と本棚、ファックス兼コピー機そして踏み台を兼ねた椅子しかない狭い事務室内に彼の声は響き渡った。

「おや、荷田先生」

 いつものようにパソコンとにらめっこをしていた細江会長は視線を声のする方に移した。

 荷田は勝手に椅子に座って言葉を継いだ。

「おかしいと思ったのですよ」

 数日前、新聞の片隅に載った記事についてだった。彼がこの記事を目にする前に、蒜田監督のもとに輝田星香の死体が発見されたので来て欲しいとの県警からの連絡が入った。監督はすぐに細江会長と連絡を取って同行を依頼した。監督夫妻及び細江会長は死体が発見された浜辺近くの県警を訪ねた。その際、夫妻は星香のへその緒、かつて娘が通院していた歯科医院のカルテ等を持参した。それらと死体の鑑定結果を付き合わせた結果、死体は赤の他人のものと判明した。だが、その前に特定失踪者・輝田星香の遺体発見の記事がメディアに出てしまったのである。そして、訂正記事は“右翼の業界紙”と揶揄されている総経日報の社会面の片隅にしか掲載されなかった。

 おかげで特定失踪者・輝田星香は死んだことになってしまい、研究会には、連日、批判というより嫌がらせのファックス、メールが届き、ネットには細江を非難する言葉が溢れていた。これまで彼は、拉致問題に消極的だった政府や関係部署を批判し、北に対しもう少し強気に出てもいいのではないか、また北で有事の際は拉致被害者救出のために自衛隊の出動が必要とは言ってきた。被害者家族の身になればどれも当たり前のことだった。そのことが日本の一部の人々の気に障ったようだ。問題が問題だったためこれまで正面きって非難出来なかった人々がここぞとばかり彼を罵った。

―特定失踪者なんてしょせんでっち上げではないか。

―細江は拉致問題や朝鮮を口実に再軍備を狙っている軍国主義者だ、右翼だ、等々…。

 細江は機会あるごとに今回の結果を説明し、輝田星香は生きていると繰り返したが耳を貸す者は少なかった。

 そんななか、荷田は遺体が星香のものではないと知ると大急ぎで彼の元に来て喜んだのだった。

「でも、五十鈴ちゃんはどうなったのでしょうね」

 彼は星香のことを相変わらず五十鈴ちゃんと呼ぶ。

「それは私にも分かりません。ただ生きているのは確実のような気がするのです」

 これは細江の願望かもしれない、荷田も同様の思いだ。

「ところで」

細江は問いかけた。

「輝田星香さんは、そしてあなたも何故拉致されたのでしょう」

「世間で言われているように偶然ではないでしょうね」

 その間、細江は多くの支援者と共に各地の特定失踪者の状況について調査してきた。失踪者の年齢、性別、職業、居住地、失踪時の様子等々。一見ばらばらに見える状況も詳細にみると特徴がある。例えば、時期について見れば、ある年には若い女性が多く、またある年は印刷関係の職業の人間が集中的に“失踪”している。また失踪者の中には日本人の他に在日朝鮮人や台湾人もいた。

「北は目的を持って日本人その他外国人を連れていったのでしょう」

 拉致被害者は日本だけではなく、判明しているものだけでも韓国はもちろんのこと東南アジアや欧米、中近東にも存在する。

「五十鈴ちゃんの場合はその演技力が災いして北の当局に見込まれ工作員にするつもりで攫ったのではないでしょうか?」

荷田が言うと細江も同意した。

「私もそう思います。北にとって都合のいいことに彼女の親族は全て亡くなっていた、それも不幸な形で。そのため、彼女は他の拉致被害者のように家族への思いから日本に戻ることに執着しないと考えたのでしょうかも知れません」

 ここまで言うと細江は机の片隅に置かれたコンビニの袋から缶コーヒー2本を取り出し、一つを荷田に渡した。

「そこなんですが、荷田先生」

細江は声を改めた。

「もしかすると、彼女を攫うために障害となる家族を亡き者にしたのではないかと…」

「まさか!」

「私もまさかとは思いますが…」

 輝田一家殺害事件は犯人の男子高生の自殺によって真相不明のまま終ってしまった。本当に男子高生はストーカーだったのだろうか……。

「この活動に関わってから随分経ちますが、分からないことだらけですよ」

 細江はぼやくように言った。

「そうですね」

被害者である荷田も頷く。

 とにかく、拉致事件については日本側にも分からないことが多すぎる。被害実態、犯行の背景、関係者についてや捜査状況等々、今もってはっきりしない。

というか関係部署が公表しないのである。実際、調査に出かけた際は現地の所轄の警察署にも足を運び、あれこれ聞いてみるのだが、毎回奥歯に物の挟まったような説明しかしてくれない。捜査上、全てを表に出せないことは理解出来るが、何か釈然としない思いである。

「でね、荷田先生。私は時々思うのですよ。もしかすると、この事件が解決する時、何か別の問題が出てくるのではないだろうか。それも日本社会にとってマイナスになるような…」

 荷田は黙ったままだった。

 誰も口にしないが「被害者及びその御家族には申し訳ないが事件に遭ったのは運が悪かったと思って諦めて欲しい」と思っている人が多いのではないのではないだろうか。だが、世界には拉致被害者を取り戻した国も存在する。何よりも帰りを待ち続けている家族や友人知人が大勢いるではないか。

「会長、私たちは諦めてはいけないのですよ」

 細江の胸中を見透かしたように荷田が言った。

「そうですね。私たちが諦めた時、拉致被害者たちは存在しなくなってしまうのですから」

 二人は顔を見合わせ、決意を新たにするのだった。


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