第27話 新国民“オシムニョン”(6)

 星香と繁子が韓国での生活にすっかり馴染み、また、行動の制限がかなり緩くなったころ、二人を担当している安全院職員がある提案をしてきた。新地民<セトォミン>すなわち大韓民国の新しい国民として生きていかないかということである。

 最近、韓国では脱北者のことを“新地民”と呼ぶようになった。北朝鮮は一応、大韓民国の領域である。そのため本来は北の人々も韓国の国民である。だが、現実は違っているので、このように呼ばれるようになったみたいだ。

 星香たちの場合は、もともと北朝鮮の国民ではないので文字通り“新国民”になる。だが祖国である日本国からは自国民と認めて貰えず、北朝鮮は当然彼女たちの存在など認めていないのだから、二人は無国籍のような状態になってしまった。そんな彼女たちが、現在、身を寄せられるのはもはやこの国しかなかった。考えるまでもなく、二人は職員の提案を受け入れ、手続きを始めた。

 暫くした後、再度、職員がやって来て二人に住民登録証を手渡した。

 星香の登録証には「オシムニョン<五十鈴>」と記されていた。“オシムニョン”は、五十鈴の韓国語読みである。“五”いう姓は韓国人には有り得ないだが、同音の呉〈オ〉という氏はざらにある。日常生活ではハングル文字しか使われない昨今の韓国では、こうした氏でも問題はないだろう。

 繁子は「チョンハッチャ<千鶴子>」である。日本でクラブの雇われママをしていた時使っていた名前である。

 二人とも日本的な名前にしたのは、自分たちが日本人であることをそれとなく示したからである。こうして“新国民”となり、韓国風の名前を名乗っても二人の心は母国である日本にあった。だから、何時の日か誰かに気付いて貰いたいのだ、自分たちが日本人であることを。そして、出来れば“日本人”として日本に帰りたい。恋しい人々に再び会いたい、そうした願いを込めた名前である。

 繁子はともかく、星香は罪を犯した身である。それを許して貰おうとは思っていない。刑に服して償うことを望んでいる。だが、その機会すらも与えられずにいるのである。


 大韓民国の国民となった二人は、そろそろ自立しようと考えた。これまでは公的な援助で暮してきたが、いつまでもそうしてはいられないだろう。

 だが、このような身の上なので就職は難しいだろう。そこで二人は何か商売を始めることにした。

 街に出てあちこちまわりながら何をすべきか、二人はあれこれ考えた。雑貨店、コーヒーショップ、食堂、コンビニ…。どれも今ひとつしっくりこなかった。

 熟考の末下した結論はクラブの経営だった。

繁子は日本で水商売をした経験があり、星香も沖縄で活動していた時はクラブを経営していたので方法は分かっていた。

 店はホステスやボーイ等、従業員たちに任せ自分たちは店に出ず、経営のみに徹した。無理をせず、手堅い経営をするため、利益はそこそこだが、生活していくには十分だった。

 国家安全院の監視は相変わらず続いていたが、特に不自由はなかった。

 ソウルにいても二人は、衛星放送のおかげで今の日本の様子を知ることが出来る。ニュースを始めとして、芸能情報、ヒット曲、ファッション、東京のB級グルメまで分かるのだ。ただ、実際にそこへ行って食べることは出来ないが。

 放送には、時々、拉致関係の番組が流れることもある。先日はドナちゃんの弟・太刀川正希氏が出演していた。また、繁子の妹の鈴木洋子が出たこともあった。小さかった妹も結婚し、子持ちのおばさんになっていた。

妹の旦那さんやその子供たちに会いたい。テレビを見ながら繁子は涙を流していた。

 蒜田監督とはるこさんも出演していた。二人は自分がまだ生きていることを知っているのだ。ずっと待っていてくれるのだ。

 ここから飛行機に乗れば約二時間で、愛しい人々がいる場所に行ける。北朝鮮とは異なり、韓国と日本の間には国交がある。なのにどうして行かれないのだろう…。

 だが、親族に会えないのは自分たちだけではない。ここには大勢の南北離散家族がいる。彼らだって目の前の三七度線を渡れないのだ。また、自分たちと同じ拉致被害者もこの地には多い。脱北者の数も年々増えているそうだ。

 他にもいわゆる“帰国運動”で北朝鮮に行ってしまった在日の人々やその日本人配偶者たちも何十年も親族に会えず、生まれ故郷に行くことが出来ない。

 そうなのだ、自分たちだけが不幸ではないのだ。

 ソウルに来てから、そうしたことにも気が付いた。

 安全院の監視があり、行動も制限されている二人だが、自分たちにも何か出来ることはあるのではないかと、近頃思うようになった。

ただ嘆き悲しむだけでなく、自分たちでも何かをしよう。ただ、じっとしているのではなく、動いてみよう。

 そうすれば、いつの日か願いは叶うのではないか。

 こう考えた時、二人は生きていこう、前向きにと決意するようになった。生きてさえいれば、何とかなる。世の中は常に変わっている。

 とにかく諦めずに生きていこう。

 星香と繁子はこう考えながら異国での日々を送っている。


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