第20話 天才女優“金輝星”番外編1
その消息は突然、もたらされた。
蒜田監督夫妻の養女・星香が行方不明になってから五年くらい経った頃のことである。
ある朝、蒜田家の電話が鳴った。妻のはるこ夫人が大急ぎで受話器を取った。この日は家政婦さんが休みだったが、彼女の出勤日でも電話は必ずはるこ夫人か監督自身が取ることになっていた。娘からではないかと思うからである。
海辺で姿を消した娘の遺体は未だに発見されていない。そのため、夫妻は娘は生きているのではないか、記憶を失くしたまま、日本の何処かで暮らしているのではないかと考えている。記憶が戻った時、娘はきっと自宅に電話を掛けて寄越すだろうと確信している。「今、駅に着きました」
二人は娘のこの言葉を待ち続けている。
「もしもし、はるこさん」
受話器から聴こえた声は残念ながら娘の声ではなかった。
「まあ、ケンちゃん。久し振りね」
声の主は二人の大学時代の後輩・九東健吾(くとうけんご)、通称クトケンだった。
「本当ですね。監督も御在宅ですか?」
「ええ。今日は高校の演劇部の指導もないので家にいるわ」
「ああ良かった。これからお宅に伺います。午後からお出かけの予定なんて無いですよね」
「無いけど。随分、急なお出ましね」
夫人は冗談めかして応える
「はい、どうしてもすぐにお見せしたいものを入手したのです。では、後ほど」
こう締めくくってクトケンは電話を切った。
間もなく、蒜田家のチャイムがなった。
はるこはすぐにドアを開けた。
そこにはスーツを着て大きめのショルダーバックを担いだクトケンの姿があった。
「お久し振りです」
青年が頭を下げると
「何か急ぎの用事みたいね。とにかく入って頂戴」
とはるこ夫人は彼を室内に通した。
「クトケンか、元気だったか」
居間に入ると監督が寛いでいた。後輩の九東は気を使う相手ではないので応接室ではなく居間に通されたのだ。
「はい、先輩」
と応えながらクトケンはバックから何かを出そうとしていた。
「この部屋にはビデオデッキがありましたね。ちょうどいい」
彼が取り出したのは三本のビデオテープだった。
「先輩、とにかく見て下さい」
後輩は慌ただしくテープをデッキに入れて再生ボタンを押した。
「はるこさんも座って」
ビデオの前に座った三人は画面に注視した。
画面には、まずハングル文字があらわれた。映画かドラマのタイトルのようである。続いて白い朝鮮の民族服をきた少年が登場した。彼の顔がアップになった時、夫妻は叫んだ。
「星ちゃん」
「星香!」
二人の反応を見たクトケンは
「そうですよね。この子は星香ちゃんですよね」
と確認するように言うのだった。
「いったい、君はどこでこれを手に入れたんだ?!」
監督の口調は詰問調になった。
「平壌ですよ」
クトケンは、ビデオテープの入手経路を話し始めた。
2週間前、彼は北朝鮮に行った。数ヶ月前、知人に北朝鮮への訪問団が定員割れしているので、ゼヒ参加して欲しいと頼まれたからである。この時期はちょうど仕事が入っていなかったので参加してもいいと思ったのだ。有り難い事に費用は全て先方持ちということも参加の理由の一つだった。
クトケン自身は北朝鮮について特に関心もなく知識も無かった。団体の観光旅行のつもりで旅立ったのである。
日本から北京を経由して平壌に到着した彼は、その瞬間から驚いた。
まず空港で記念撮影をさせられた後、招請団体の出迎えを受け、彼らの案内で市内観光をした。夜は歓迎宴会に参席して、その後は滞在するホテルに行った。
翌日からバスに乗せられて、あちこちの名所、旧跡巡りをしたのだが、修学旅行以上の慌ただしさで連れまわされたため、ほとんど印象に残らなかった。その間にイベントらしきものにも参席させられ、何か体よく利用されている感じもした。ただ、日本ではほとんど食べられない朝鮮の高級料理を食べられたのは良かったといえるだろう。
そうこうしている内に最終日の前日となった。その日の夜はショーを見ながらの夕食会が行なわれた。場所は市内の迎賓館のようなところだった。
舞台ではマジックや舞踊等、さまざまなショーが行われていた。そのうち女性歌手のステージになり、日本語の歌が聞こえてきた。その声には聞き覚えがあった。
クトケンは小型録画機を隠し持って舞台に近付いた。歌手の顔を見て驚くと同時にやはりそうかとも思った。
「星香ちゃん!」
内心でこう叫んだ彼は、こっそりとビデオを回した。そしてより舞台に近付こうとして係員に制止された。
「あの歌手に会いたい」
彼は日本語と片言の英単語を並べて係員に言ったが拒絶された。
諦めきれない彼は、彼女のステージが終った後、すぐに楽屋を訪ね、彼女に会わせてくれと頼み込んだが、拒まれた。
「あの娘は駄目です。他にいい子はたくさん居ますよ」
楽屋の出入口にいた男は意味有り気な笑顔で、日本語で言うのだった。
夕食会が終わり、ホテルの部屋に戻ると間もなく彼の部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「ルームサービスなんて呼んでいないのに」
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