第21話 天才女優“金輝星”番外編2

 クトケンがドアを開けると若い娘が立っていた。

―あの男、何か勘違ったみたいだ。

「部屋を間違えたのでしょう? 私は君に用事は無いよ」

 彼は日本語で言った後、簡単な英語でも同じことを言った。

「いえ、九東さまのお部屋に行くように言われました」

娘はアクセントはおかしいが正確な日本語で答えた。

「私は君には用がないのでお帰りなさい」

と彼が言うと娘は

「このまま帰ると叱られるのです」

と泣きそうになった。

 気の毒になったクトケンは、こう言った。

「分かった。では一緒に食事をしよう。このホテルの地下にはレストランがあるようだから」

 こうして二人は地下のレストランに行き、食事をすることになった。

 日本のファミレスを思わせるレストランの内装にクトケンはほっとした。連日、高級な場所での食事ばかりで少々疲れ気味だったのである。

 テーブルの上のメニューを見ると焼肉等の朝鮮料理の他に、ハンバーグやオムライス、カレーライス等の大衆的なメニューもあった。

 彼はハンバーグとパン、サラダ等々を注文した。

 すぐに料理は来た。

「さあ、食べて」

 娘はテーブルの上の箸を使って食べ始めた。日本同様、箸もあるとは気の利いた店だなとクトケンは感心した。彼自身も箸を使う。

「うまいだろう?」

 娘は頷きながら美味しそうに食べた。

 食べ終わるのを見計らって飲み物を注文し、そして、娘に訊ねた。

「さっきの舞台で歌っていた女の子、知っているかい?」

 運ばれてきたジュースを一口飲んだ娘は答えた。

「金輝星のことですか?」

「あの娘の名前はキムヒソンっていうのか。どんな娘なんだい?」

「もと中央芸術団の女優です。それ以外は知りません」

「そうか…」

 その後は他愛も無い雑談をし、デザートを食べて店を出た。

 彼が会計をしている時、娘とレストランの従業員が言いあっている声が聞こえた。

「どうしたんだい?」

 クトケンが娘に訊いた。

「これ買おうとしてお金払おうとしたけど駄目だって言われました」

「どういうことだ?」

 彼は今度は従業員に訊いた。

「当店では人民元か日本円しか使えないのです」

「そんな!」

自国の紙幣が使えないなんて。娘の手にはこの国の紙幣が何枚も握られていた。

 娘はカップ麺を買うつもりだったようだ。家族への土産にするつもりだと言った。

 彼はカップ麺とそばにあったレトルト食品を十個ほど買うと言って先程の食事と合わせて支払をした。

 袋に入れられたカップ麺を見ると、ハヤシ食材と書いてあった。

「この店はハヤシ食材と関係があるのですか?」

 彼は会計をしてくれた従業員に訊いた。

「はい、ハヤシ食材が経営しています」

 そうか日本の店なのか。彼は納得した。

 クトケンは食堂で買った品物の入った袋を渡して娘と別れ、自室に戻った。


 翌朝、昨夜、公演場の楽屋入口にいた男がクトケンの部屋にやって来た。

 彼は「ビデオテープを買いませんか」と言いながら、テープを部屋にあったデッキに入れた。

 朝鮮の時代劇のようなものが画面に映し出された。間もなく、少年姿の星香が出てきたのである。クトケンは画面に見入ってしまった。

「如何ですか? 五万円でいいですよ」

 男は法外な値段を言ってきた。クトケンは黙って画面を見続ける。男はそれを拒否ととったのだろう、

「三万円でいいです」

と値引きしてきた。クトケンが応じないので

「ではもう一本加えて二本で三万円では、どうですか」

と言った。クトケンはやっと返事をした。

「買うよ」

 実は画面に見入っていた彼は男が存在をすっかり忘れていた。三万円と言われた時、応じたのだった。

 帰国したクトケンは自宅に戻らず、荷物だけを送り、自身はテープを持って蒜田家に直行した。一刻も早く夫妻にテープを見せるために。


 クトケンが話し終えると、時代劇は終っていた。彼は、別のテープをデッキに入れ、再生ボタンを押した。

 画面に軍服姿の娘が登場した。

「星香だ!」

「ええ、間違いなく星ちゃんよ」

 コンサートのビデオのようで、画面の娘は次々と様々な曲を歌った。夫妻はじっと画面を見つめている。

 これが終ると最後の一本をデッキにいれた。クトケンが撮ったものだ。隠し撮りだったので画像は今一つだった。

「確かに星香だ」

「星ちゃん…」

 全てのテープを見終えた監督は言った。

「この娘は何処にいるんだ。今すぐ迎えに行かなくては」

「そうよ、ケンちゃん。星香のところに案内して」

 掴みかからんばかりの夫妻をひとまず落ち着かせたクトケンは、

「まず、北朝鮮に行って見ましょう」

と提案した。

 日本から北朝鮮には簡単に行かれない。クトケンが参加したような訪問団で行くのが一番簡単そうだったのでそうしたものを探したが、この時期には無かった。

 三人は関係部署を探しまわり、北朝鮮行きの団体を見つけ出し、入れてくれないか頼んだが駄目だった。

 また、観光ツアーなるものを発見し申し込んだが、何故か蒜田夫妻だけ入国許可が下りず参加出来なかった。こうしたことは、以後、何回もあった。

 そうしたなか、蒜田家に空き巣が入り、星香が出ているビデオテープが盗まれるという事件が起こった。

 三人は、誰かが蒜田夫妻を“金輝星”にあわせないようにしているのではないかと考えるようになった。それは、平壌にいる金輝星は輝田星香であることを示しているようだ。

 星香は生きている。彼らは安心すると同時に何としても彼女を日本に連れ戻さなくてはと決意するのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る