第16話 天才女優“金輝星”(8)

 公演の翌日、団長は輝星を自身の執務室に呼び、37号室勤務になったことを告げた。彼女は「分かりました」と言って出て行った。

 ちょうど団長の隣にいた俺は

「37号室って…」

と囁いた。それを聞きつけた団長は

「ああ、指導者同志直属の慰問組織さ。だが、輝星は芸術班の方の勤務だから、これまで同様女優をしていればいいんだ。ちなみに君も37号室勤務になっているよ」

とからかうような口調で応えるのだった。

 どうやら団長は俺が輝星に気があるように思っているようだ。だが、俺は輝星には恋愛感情は抱いていない。ただ惹き付けられるのである、それは彼女が男でも同じであろう。大スターとかアイドルとか呼ばれている人々にはそうしたものがあるのかも知れない。

 芸術団での仕事の整理・引継ぎ等を終えて、俺と輝星は新しい職場に移った。それがどこかは今もって分からない。中央芸術団同様、職住が隣接していた。

 国外では37号室は指導者同志のいわゆるハーレムのように言われているが実際は少し違う。もちろん、そうした機能もあるが、他に専属芸術団の役割もしている。俺たちは芸術団の方である。こちらのグループには男のメンバーも存在する。北朝鮮内の文学・芸術の才能を持つ者は、性別、年齢、出身階級、学歴を問わず、ここに集められている。そのため、北の地元民もいる~というよりそちらの方が多い。後日、韓国で北朝鮮作家として初めてソラボル文学賞を受賞するようになる小説「笑春風」の作者も北朝鮮生まれでここに所属している男性作家である

 俺たちはここでも以前と同じようなことをした。ただ俺の方は輝星の専属プロデューサーのような形になった。

 ここでの初仕事は、ヨーロッパの某国代表団の前で「マクベス」の一場面を演じ、西洋歌曲を原語で歌うことだった。

 この37号室の芸術班は、偉大な首領と指導者同志の親族や北の最上流階級の人々、外国のVIP向けに公演活動をするのがその役割である。公演時間は夜のため、生活は昼夜逆転になってしまった。

 輝星は短い期間の間で、「マクベス」の英語の台詞を覚え、歌曲を原語で歌えるようになった。

 当日、彼女はマクベス夫人の衣裳を身に付けて舞台に立った。一場面とはいえ、たった一人で演じるのである。これまで通り、彼女は見事に演じた。歌曲の方も正確な発音で歌い上げた。代表団は彼女の舞台を絶賛したそうである。

 その後もシェークスピア作品を始めとした欧米や日本の劇を演じ、歌も外国のものばかりをうたい、その中には韓国や日本曲まであった。

 輝星は北の上流階級向けの公演の時は、何と韓国の懐メロや最新のヒット曲そして仇敵であるはずの“米帝”のポップスを歌ったのである。北の作品は一切なかった。北朝鮮のオリジナル作品は指導者同志のお気に召さないのだろうか。

 輝星のステージは、ここでも見る者皆を挽き付けた。東欧のある観客(?)は、彼女を自国の芸術団にスカウトしたいと言い出すほどだった。

 日本で刊行されている所謂“北朝鮮ヨイショ本”の中に北の芸術を褒める外国人の声が掲載されているが、俺はこれを嘘ともヤラセとも思わない。彼らはきっと輝星のステージを見たのだろう。

 輝星は最初の話通り、ステージ活動以外はやらなかった。もしかしたらコールガールのようなこともさせられるのではないかと心配したが、それは杞憂に終った。

 ある日、輝星は日本から来た日本人の訪問団の前で歌うことになった。北と日本の間には国交は無いが、日本人でも往来できるのである。

 いつものようにステージに立った輝星は、華麗なドレスを身に付け、日本の歌曲や歌謡曲を日本語で歌い始めた。日本の観客たちはその歌唱力と美しい発音の日本語に感心していた。しばらくすると観客の一人がステージに近付いてきた。公演場の職員によって制止されたが、その男はしきりに何かを訴えているようだった。ふと輝星を見ると顔が少しこわばっていた。自分の担当部分を歌い終えて楽屋に戻った彼女は涙を流していた。暫くの間、声も立てず泣く彼女に俺は言葉を掛けられなかった。それを拒む空気に包まれていたように感じられたからだ。

 翌日、輝星はいつもの彼女に戻っていた。彼女は昨夜のことは何も言わなかった。俺も敢えて聞かなかった

 

 輝星の37号室の勤務は半年にも満たなかった。

 ある朝、仕事場に行くと彼女の姿はなかった。既に別の部署に移ったと言われ、そこがどこか分からなかった。37号室関係者に聞いてみたが知らないと言われ、中央芸術団の団長に聞いても分からないと言われた。

 俺自身はその後も37号室で働いていたが、輝星がいなくなってからというもの、抜け殻のようになってしまった。そして、中央芸術団よりもはるかに多様なステージ作りが出来るここでの仕事にも興味を失くしてしまった。

 それに加え、ごく一部の人々のご機嫌取りのような公演作りに虚しささえ覚えるようになった。と同時に、一般国民には安手の芝居や音楽を押し付けておきながら自分たち上層部は高級芸術を楽しんでいる、この国のやり方に腹立たしさも感じた。が、自分にはどうにも出来なかった。



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