第15話 天才女優“金輝星”(7)

「独唱会…ですか?!」

 思いがけない団長の言葉に俺も輝星も目を丸くした。

 何と、輝星に単独コンサートをせよという通達が来たそうだ。

 これまで舞台や映画、TVドラマの中で歌うことはあったが、金輝星はあくまで女優であって歌手ではない。そんな彼女にコンサートとは…。

 俺のこうした気掛かりをよそに本人は、

「やってみます」

 と、いつもと同じように力強い声で応じた。

 これまで、彼女はどんな仕事でも引き受け~もっとも断ることは出来ないのだが~そして予想以上の成果を出してきた。

 おそらく今回も大丈夫であろう、裏方の俺たちはそう確信した。

 さっそく公演のためのスタッフが集められ、その準備が始まった。

 まず曲目の選定だった。これまで、輝星が舞台や映画等で歌った曲は全て行う。その他に民謡やよく知られている北のオリジナル曲も歌うことにした。演奏は第一交響楽団が担当することになっている。

 衣裳は軍歌調の曲の時は軍服を身に付け、主題歌や劇中歌の時は出演した作品の衣裳、その他の曲はこの国の女性歌手たち同様、民族服にした。

 輝星は、専門家の指導のもと歌の練習を始めた。

 公演まで一ヶ月余り。この間に全てを仕上げなくてはならない。主役の輝星はもちろんのこと、裏方の衣裳や大道具、小道具の担当者そして第一交響楽団メンバーも公演の成功を目指して力を尽くした。

 間もなく公演の日がやって来た。

 一回きりの公演で席も限られていたため、一般の人々はこのチケットを入手するのが困難だった。

幸いTVで生中継されることになった。

後日聞いた話によると、公演が始まる時間になると通りが無人になったそうだ。

 輝星はいつになく緊張しているようだった。それは、俺を含めたスタッフ全員も同じだった。

 開演時間となり幕が上がった。

 断髪にスカートの軍服を身につけた輝星が舞台中央に立ち、さっと敬礼をした。この颯爽とした女性兵士の挨拶は映画の一場面だった。

 オープニングは、「偉大なる元帥同志のうた」、続いて「親愛なる指導者同志に捧げる」。この二曲はこの国の国歌以上の存在で音楽公演の際は、必ず一番最初に演奏されるものである。

 前奏が始まり、輝星が歌い始めると客席から感嘆の声が上がった。これまでうんざりするほど聞かされていた歌とは同じ歌とは思えなかったのである。輝星はこの曲の世界を人々の前に描き出したのだ。それは体制側が押し付けようとする思想ではなく純粋なる物語の世界だった。

 続いて映画「金剛山のこだま」の主題歌及び挿入歌。主人公の思いを込めた歌声は映画の様々なシーンを見る者の前に描き出した。その後、「労農軍は行く」等、軍歌スタイルのテンポのよい歌を二、三曲歌った後、いったん舞台袖に引き上げた。

 素早く民族服に着替えた輝星は、今度は「アリラン」、「焼栗打令」、「桑の葉打令」等の民謡を数曲披露した。これまでの彼女が着たことの無いドレスのような民族服は在日のデザイナーによって特別に作られたものだ。それに合わせてヘアースタイルも結髪にして花を挿した。まさに歌姫である。観客はその華麗さに見とれていた。

 人々に余韻を残しつつ、公演第一部は終了となった。

 控え室に入った輝星は少し疲れた顔をしていたが、とても充実しているように見えた。

 第二部では、輝星が出演した映画やドラマの主題歌、挿入歌を中心に構成した。輝星は映画の時の衣裳で登場した。

 ゲストとして彼女と共演した鄭光男、宋彗星もステージに上がり、映画の名場面を再現したり、主題曲や挿入歌を合唱したりした。こうしたスタイルはこれまでなかったようで、観客は大喜びした。

 コンサートも終盤に近付き、最後の一曲を残すのみになった。エンディングはお決まりの「労農党賛歌」である。普通だと観客はこのあたりで帰りの準備を始めるのだが、輝星の力強く元気な歌声はそうはさせなかった。歌い終えた彼女は民族服の下裳を広げながら優雅な礼をした。

 幕は降りたが拍手は鳴り止まなかった。輝星は再びステージに姿を現し、民謡「焼栗打令」を歌った。そして手を振って幕後に去った。しかし拍手は鳴り止まず、彼女は再度幕前に出て歌う。これを何と三回も繰り返したのである。最後の曲「少年・田禹治」の主題歌の時には、観客が共に歌い始め、会場は大合唱となった。前代未聞のことだったそうだ。

 公演中、俺は舞台の袖から客席を眺めていた。老若男女、皆が幸福そうな表情で輝星を見ていた。

 公演終了後、関係者たちだけで総括を兼ねた慰労会をしたが、その席で俺は輝星にこのことを告げた。彼女はとても喜んだ。自分でもステージ上で観客たちの反応を感じていたと言った。これまで、出る作品、出る作品全て好評だったと言われても今一つ実感がわかなかったそうだ。それは俺も同じだった。だが、今日は実際にそれを確認出来た。

 俺はこの時、この国に来て初めてこの仕事をしていてよかったと思ったのだった。

 この独唱会は女優・金輝星の実質的な引退公演となった。これを最後に彼女は表舞台から姿を消したのであった。


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