第14話 天才女優“金輝星”(6)

 巡回公演に参加せず平壌に残っていた金輝星に子供向けのTV番組の出演依頼が来た。既に“上”の許可を得ていたようで話は簡単に決まった。

 彼女が出演する番組は、子供向けのドラマで「少年 田禹治」というタイトルである。以前、彼女が出演した映画「洪吉童」と同じく活劇時代劇で、子供たちの喜びそうな特撮やアクションシーンの多い内容だった。また、この国特有の体制賛美等々が全く無い単純な勧善懲悪のドラマでもあった。日本では別に珍しくないが、この国でこうした作品は初めてではないだろうか。

 輝星はもちろん主人公の少年道士役だ。「洪吉童」の少年役が好評だったためのようだ。

 例の如く、さっそく役作りに取り組んだ輝星だが、今回はアクションシーンが多いため苦労しているようである。稽古場で文字通り飛んだり跳ねたりしていたが今一つ納得がいかない表情である。

 ちょうどその時、平壌で国際映画祭が行われていて、香港のアクション俳優もゲストとして来ていた。俺は、団長に彼に輝星の指導をしてもらえないかと相談してみた。団長はすぐに関係部門に掛け合ってくれたようで、翌日、香港俳優は夫人と共に芸術団に来てくれた。

 彼に会った途端、輝星の表情は明るくなった。それは、これまで見たことの無いものだった。

「ウォーリー=ラウさんですね、ファンです」

 通訳された輝星の言葉にラウは目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。まさか北朝鮮に自分のファンが存在するとは夢にも思わなかったようだ。彼は嬉しそうに手を差し出すと輝星と握手をした。

 そして、二人はすっかり意気投合し、アクション指導は順調に進んだ。

 指導が始まって4、5日経った頃のことだ。

いつも同行して来るラウ夫人が休憩中、通訳(兼見張り役)の女性が離れた隙に、輝星にそっと声を掛けた。

「あなた日本人でしょ?」

 日本語の問いに輝星の表情は一瞬強張ったように見えた。

「いえ、日本で生まれ育った朝鮮人です」

 俺は輝星が答える前に何故か日本語で言ってしまった。

「マリコサンハ、ニホンジンデス。ダカラ、ヒソンチャンニ、ニホンテキナモノヲカンジタノデショウ」

 ラウはたどたどしいが正確な日本語で応じた。

 ラウ夫妻が日本語を理解出来ることを知った俺は通訳員を断りたいと思った。駄目もとで団長に言って見たところ、あっさりと受け入れてもらえた。以後、俺たちは通訳を通さず日本語で会話をするようになった。

 ウォーリーは話すのは苦手なようだが、聞き取りは完璧だった。輝星が質問するとマリコ夫人の助けを借りながら正しく答えてくれた。

 ウォーリーは指導者としても優秀なようで輝星のアクションの上達はめざましかった。

そのことをウォーリーに言うと

「ヒソンチャンハ、サイコウノデシデス。サイノウモアルガ、ネッシンニドリョクモスル。トテモスバラシイハイユウニナルデショウ」

と輝星をべた褒めした。

 ウォーリーといる時の輝星は本当に楽しそうだった。ある日、二人は練習を兼ねてウォーリーが出演した映画の一シーンを演じた。カンフーの場面だったが、その時の輝星の表情は友人と戯れているように見えた。日本の学校でクラスメートたちと休み時間、こうやって過ごしていたのではないだろうか。彼女は昔のことを思い出しているのかも知れなかった。

 この様子を見ながらマリコ夫人は呟いた。

「ヒソンちゃんは、どうしても日本人としか思えないのよね」

 隣にいた俺は応えた。

「両親の一方が日本人で日本の学校に通い、日本社会で暮らしていたのだから日本人と変わらないでしょう」

「でも、あなたは在日だったと言われれば納得出来るけど、あの子はそうじゃないのよ」

 マリコ夫人と俺は何度となく、こうした会話を繰り返した。

 映画祭が終わり、ラウ夫妻も帰国することになった。

 帰国前日、俺は団長の許可を得てラウ夫妻と輝星と俺の4人で会食をすることにした。場所は平壌市内のホテル内の中華料理店だった。

 会食中、輝星はとても寂しがった。それはラウ夫妻も俺も同じだった。

「ヒソンチャン、イツカ、イッショニエイガヲトリマショウ。ニホンノサムライ、ニンジャガイイデスネ」

 ラウは明るい調子で言うと輝星が頷く。北朝鮮と香港で合作映画など出来るだろうか。いや、もしかすると出来るのでは…。

 何も知らなかった当時の俺は能天気にもこんなことを考えていた。

 夫妻が平壌を発った後、輝星はドラマスタッフたちと合流して撮影を始めた。今回も鄭光男、宋彗星と一緒だった。鄭は主人公の親友役、宋は師匠役である。

 このドラマの見せ場は輝星のアクションと共に最新の特撮シーンである。例の国際映画祭の時、日本の特撮チームも来ていて特撮の指導も受けていたそうである。

 第1回分の撮影が終わり、さっそくTVで放映された。

 俺と輝星、その他の団員たちは、芸術団の食堂のTVでドラマを視聴した。

「これ、日本で放送しても十分いけるんじゃないか」

 俺がこういうと他の団員も

「うん、このドラマ日本の放送局に売って稼ごうぜ」

と言って皆で笑った。

 だが、このドラマは日本で放映されるどころか、北朝鮮国内でもこの時以来、放映されることはなかった。

 取り敢えず、この時点では子供向けドラマ「少年・田禹治」も大成功し、子供たちの間では“田禹治ごっこ”が大流行したそうだ。

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