第12話 天才女優“金輝星”(4)

 船内で俺は人々の視線を感じた。「林社長の息子さんでしょ」と気安く声を掛けてくる人もいれば、俺から目を離さない人もいた。

 そうした人々から、俺は父と本妻さんについて改めて知るようになった。

 俺の知っている父・林長吉はハヤシ食材㈱の社長で朝鮮半島出身ということぐらいだが、在日社会、特に総盟すなわち在日本朝鮮人総聯盟の中では有名人だった。何の役職にも就いていないが、その経済力で総盟や在日社会を支えているのである。

妻すなわち本妻さんは総盟の婦人部会会長で凄腕の活動家だそうだ。才色兼備で押しの強い彼女は、口の悪い連中から総盟の閔妃~名前が閔明順なので~と呼ばれているそうだ。

 俺がこの船に乗ったのも“閔妃”に陥れられたのだろうとか、林社長も妾の子は可愛くないのだろうという無責任な話も耳に入ってきた。確かに父は自分の子供たちを民族学校に入れなかった。本妻さんのいうことはほとんど聞き入れる父だが、この件については断固として許さなかったそうだ。総盟員の子弟のほとんどが民族学校に通っているため、総盟幹部としての体面もある本妻さんはこのことをひどく気にしていた。たとえ愛人の子であっても本国に親族を送ることによって面目を立てたようである。

 俺は面と向かって言われない限りはこうした与太話には触れないようにしていた。

 ちなみに父が林長吉で義母(といっていいのだろうか)が閔明順であることは、俺の北朝鮮での生活に影響を与えた。この2人がバックにいることで俺はそれなりの生活を送ることが出来たといっても過言ではないのだから。

 船はまる一日以上掛けて北朝鮮の元山に到着した。出港した新潟と比べると寂れているが、日本や欧米のような国以外は発展途上国だと単純に思っていた当時の俺は、こんなものだろうと別に気にしなかった。“青年海外協力隊”にでもなったような気分だった。


 さて、社会主義を称しているにも関わらず、この国で一番ものを言うのは“金”だった。ちなみに二番目にものを言うのは、本人または親族の地位だ。

 このことは、北の地に着いてすぐに判明した。

 元山港に着き船から降りると、いきなり

「林哲男〈リムチョルラム〉同志ですね。こちらへ」

と、俺は他の乗客たちから引き離され、高級車に乗せられた。車は平壌へ向かって走っていった。俺だけ平壌に行けるのである。さっそく父の経済力が発揮されたようだ。この国で平壌に住めるのは“上層階級”だけだからだ。

 俺と一緒に船に乗った人々は、そのまま元山に留まり、数日後、各地方に送られたようだった。以前だと無条件に炭鉱や山間の農村に送られたが、“帰国者”が激減した昨今は、少しは個人の希望が出せるようになったらしい。

 勤め先と住居が決まるまで俺は平壌の高級ホテルに滞在した~2、3日くらいだったが。

 俺は中央芸術団で助監督として働くことになった。恐らく、父が俺に出来そうな仕事をということで、演劇サークルでの実績(?!)が考慮されたのであろう。住居は平壌市内中心部のマンションになった。

 このように他の帰国者とは比較にならない厚遇のおかげで、見ず知らずの土地だったが、俺は何とかやっていけた。


 さて、いつものように父が“定宿”にしているホテルに出向いた俺はロビーで父と落ち合った。

 例の如く、父の脇には案内員と称する見張りの男女二人組が張り付いていたので、まず彼らと共にホテル内の料理屋に行った。

 父の会社と朝鮮の関係部門の合弁企業が経営する店だった。父は出迎えた店員に一言、二言声を掛けた後、「私たちは9時までには戻りますので、それまでここで寛いでいて下さい」と、案内員たちに言って、俺と共に店を出た。

 本来ならば案内員たちは来訪者に張り付いていなければいけないのだが、金銭第一主義のこの国では簡単に追い払うことが出来る。相応のものを与えて、飲ませ、食わせ、遊ばせて(カラオケ、コンパニオン等々)やれば、数時間だが解放される。あの二人もこれから数時間、うまいものを食べ、うまい酒を飲み、コンパニオンたちと歌って踊って、この国の庶民では味わえない夢の時間を過ごすのだろう。

 料理屋を出た俺たち二人は父の部屋に行った。室内に入るとまず壁際にラジカセを置いて音楽をかけた。この辺りに盗聴器が仕掛けられているからだ。そして、窓際に椅子とテーブルを移して座り、ようやく話を切り出した。

 いつものように父は俺の手を取って詫び、絶対に日本に連れて帰るからなと言った後、それぞれの近況や様々なことを語り合った。

「…ところで、最近“帰国”した中に、演劇をしていた女子高生がいませんでしたか?」

 金輝星について知りたいと思っていた俺は訊ねてみた。

「どうだろう、俺は聞いたことがないなぁ」

と答えた後、思いついたように言葉を続けた。

「そういえば、この間、仕事で北陸方面を回っていた時、数年前、舞台監督と女優夫婦の娘が臨海学校中、海辺で行方不明となり遺体が未だに発見されないという事故というか事件があったという話を聞いたなぁ。演劇コンクールで何回も入賞し、女優志望の子だったそうだ」

 この時は聞き流していたが、日本に帰った後、これは大変なことなのだと知ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る