第10話 天才女優“金輝星”(2)

 翌日、朝鮮中の職場、学校、農場、漁場等々で、輝星の話題で持ちきりだったそうだ。娯楽のあまりないこの国で、TVの演劇中継は数少ない楽しみ(といえるのだろうか)の一つだった。

「ねえ、見た? 昨日のお芝居の中継」

「うん。将軍に花束を渡した娘、可愛かったね」

「何ていう名前なんだろう」

 人々のこうした会話の末に、新聞社や放送局、芸術団への問い合わせが殺到した。かつて無かったことだ。そして、生で輝星を見たいという声が多く寄せられ、当初2週間の公演を1ヶ月に延長するほどだった。そして、最初のTV中継には、その他大勢の扱いでクレジットされた輝星の名前は、2回目からは「村娘1」として独立して記載された。

 輝星の“人気”を認めた芸術団は、次の作品では、物語の物語展開上要となる人物の役を与えた。そして、この作品が上演、放映されると、観客及び視聴者は、輝星に注目した。彼女の一挙手一投足に人々は一喜一憂し、彼女が言った台詞は流行語になるほどだった。

 人々のこのような反響を見て、劇団側は公演を重ねるごとに輝星の出番を増やしていき、遂に主役級の俳優と肩を並べるほどの人気者になった。

 この状況は、お偉方も知ることとなり、次の公演では金輝星を主役にせよとのお達しがあった。ついでに演目も指定された。「金剛山のこだま」という親愛なる指導者同志自らが作ったとされている作品である。自身の生母の半生を描いたこの作品を指導者同志は輝星という女優で見たかったのかも知れない。

 芸術団メンバーにとっては何度も演じてきた演目だが、新入りの輝星にとっては初めての作品である。彼女が演じるのは射撃の得意な女性兵士である。

 戦後の日本に生まれ、軍隊とは無縁の生活をしてきた輝星にとって、この役は難しいようである。彼女は、時間さえあれば劇団内の資料室に籠もって関連書籍やビデオテープを見ていた。この国最高の芸術団だけあり所蔵されている資料は豊富である。ここに無いものを見たい場合は取り寄せも出来るが、輝星は外部の資料も参考にしていたようである。また、演技指導に来た現役の女性兵士について射撃も習った。毎日、彼女について練習を繰り返した輝星は一人前の射撃手を演じられるようになった。

 こうした彼女の努力の成果により「金剛山のこだま」はかつて無いほどの好評を得た。人々は、この物語がこれほど感動的な内容だったのかと感心したが、それは輝星の演技力によるところが大きかった。

 輝星は一応台本通りには演じるが、そこに書かれていないものまで表現してしまう。これまでの主人公は単に勇敢なだけだったが、彼女はその奥にある不安や弱さも演じきった。この女兵士は普通の女性たちと変わらない存在なのだ、ただ少し勇気を出したために立派な兵士になれた。彼女はそれを伝えたのである。結果、人々に主人公に対して親近感を抱くようになった。劇の内容を人々に近付けたといえるだろう。

 考えてみれば、輝星によってこの作品の作者である親愛なる指導者同志の究極的な目的が果たせたのではないだろうか。演劇等、芸術作品を通じて国民の心を掌握する。無意識のうちに輝星は体制に協力したことになってしまったのだった。

 続いて輝星は映画にも出るようになった。初出演作品は朝鮮で超有名な古典文学「春香伝」である。主役である春香は輝星が演じ、相手役の夢龍は日本帰りの二枚目俳優・鄭光男が担当した。鄭は国家一級俳優の称号を持つ若手俳優だが、そんな彼を相手に輝星は堂々たる演技を見せた。

 映画は舞台演劇と異なり、演者の細部までカメラを通じて観衆の前に晒される。画面いっぱいに映し出された輝星の表情は見る者の眼を離さなかった。特に春香が獄に繋がれているシーンでは、恋人・夢龍が必ず助けに来るという確信と、もしかするともう自分のことなど忘れているのだろうという疑心の入り混じった感情を表情と微妙な仕草で演じたのである。人々の心は春香と一体になった。こうした春香はこれまでなかったものである。


 毎日、オフの時間まで資料室に閉じこもって書物や関連資料を紐解きながら役作りをしている輝星は、他の団員たちとの個人的な付き合いはあまりなかったようだ。

 また彼女は、始業前の朝会から夕方の総括等々、日常の些事まで演技の参考にしているように見えた。ただ、その姿は女優・金輝星を演じているようにも思えた。もしかすると彼女の本当の姿は別にあるのかも知れない。このことに関しては、自分を含めたこの芸術団の団員、いやこの国の全ての人々に程度の差はあるにしろ言えるだろう。全てが統制されているこの国で本心を明かすのは危険なことなのだから。


 輝星の映画出演はその後も続いた。

 古典物語を題材にした活劇「洪吉童」では主人公の少年・吉童を演じ、現代ものの「我が家の事情」では新妻役を、「学校の英雄」では女学生役等、多様な役柄を演じ続けた。

 そして、共演者は毎回、鄭光男やかつて日本の劇団でも活躍していたベテラン俳優で国宝俳優の称号を持つ宋彗星等の実力派ばかりだったが、輝星の演技力は彼らに引けを取ることは決してなかった。

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