第8話 演劇少女“五十鈴ちゃん”(5)

 その時、部屋の外から男女の怒鳴り声が聴こえて来た。

「何で会わせないんだ。彼らはもともと私を訪ねて来たんだぞ」

「娘に会わせろ!」

「まぁ落ち着いて」

 この部屋に用事のある人々のようだ。警護員との押し問答が続く中、ドアが開いて三名の男女がなだれ込んできた。

「竹山議員!」

「先生、はるこさん!」

 室内の三人は同時に叫び立ち上がった。

 三人の中で一番年の若い男が公安課員に近付き、

「何であんたがここにいるんだ」

と掴みかかるように一喝した。竹山議員だった。普段の優男ぶりからは想像できない光景である。議員になる前から拉致問題に熱心に取り組んできた彼は、拉致問題解決議員会のメンバーであり、元拉致担当大臣・外川サトミ女史の盟友の一人である。昨日、細江会長が連絡を取った国会議員はこの人物だった。

 竹山議員と入れ替わるようにドアのもとに走ったのは五十鈴ちゃんだった。そこには初老の夫婦が立っていた。劇団を主宰する有名な演出家・蒜田とその妻で大物女優の蒜田はるこだった。

「せいか!」

「せいちゃん」

 二人は五十鈴ちゃんを抱きしめた。

 蒜田夫妻はある事件によって家族全員を殺害された五十鈴ちゃんこと輝田星香(きだせいか)を引き取り、家族同然に暮らしていた。高校生の時、突然、行方不明になった娘を二人はずっと探し続けていた。そして北による拉致の可能性が疑われるようになると関係団体等を訪ねて救出を要請したのだった。

 細江会長から連絡を受けた後、竹山議員はちょうど都内にいた蒜田夫妻と連絡を取り、この場に駆けつけたのである。

「星ちゃん、生きていたんだね」

「これからは、一緒に暮らしましょう。」

 夫婦は娘を連れて帰るつもりなのである。

「先生、はるこさん、私はもう一緒には生活出来ないのです……」

「そんなことはないだろう? 私たちは家族なのだから一緒に暮らすことに何の支障があるだろう」

 夫婦はこの時が来るのをずっと待っていたのだ、何十年も…。

 その時、公安課員が割って入ってきた。

「涙の再会はこれくらいでいいだろう」

「おい、話はまだ済んでいないぞ」

 背後から竹山議員が怒鳴る。

「取り敢えずこの子は連れて行く。私たちの娘なのだから」

 監督は強い調子で言い放ち、はるこ夫人は星香の肩を抱いている。三人は出入口に向かうが公安課員が邪魔をする。そこに竹山議員が入り、

「数十年ぶりに再会したんだ、まずは家族水入らずにしたところで別に問題はないだろう」

と三人を外に出そうとする。それに細江と彼が加わって事態は収拾が付かなくなった。

 結局、その日は五十鈴ちゃんが公安の元へ身を寄せることになって一段落した。

「輝田さん、私たちはあなたがこれから日本で平穏に暮らせるようにします。ですから、どうか諦めことなく、そして自暴自棄にならず御自愛ください」

 こう言いながら竹山議員は五十鈴ちゃん、いや星香さんの手を握った。

「…私たちはあなたを二度も見捨てることは致しません」


 翌日、蒜田夫妻のもとにも竹山議員のところにもそして細江会長にも五十鈴ちゃんこと輝田星香から連絡はなかった。彼と細江会長、竹山議員、蒜田夫妻は警視庁に出向いたが、そのようなことは知らないとすっとぼけられるだけだった。輝田星香の行方は再び分からなくなってしまったのである。。

 その後、竹山議員を始めとする関係者たちの努力にも関わらず彼女の消息は一向につかめなかった。

「やっと一緒に暮らせるようになったというのに…」

 蒜田夫妻はがっくりと肩を落とした。

 その日の翌日、竹山議員は細江会長の事務所に行き、会長を相手に今回の当局のやり方に対し一頻り怒りの言葉を吐き続けたのだった。その場にちょうど彼も居合わせ、一言一言に頷いた。

 ところで、彼が五十鈴ちゃんの本名を知った時、あることを考えた。

 五十鈴ちゃんは、“金輝星”という名は親愛なる指導者同志がつけたと言っていた。スター女優に相応しい名前だが、本名を彷彿させる名前でもある。このような名前を付けた日本人を北は工作員として敢えて日本に潜入させた。これは日本国に対する挑戦ではなかったのか。北当局は工作活動と共に日本の諜報活動のレベルも調べていたのかも知れない…。五十鈴ちゃんが“投降”した現在、彼女の存在は北にとっても日本にとっても邪魔に違いない。

 考えがここに到った時、彼は五十鈴ちゃんの身が危ないと感じた。


 数日後、彼は新聞の三面記事を見てゾッとした。

『海岸に女性の死体』の見出しに続いて、“身元は特定失踪者とされていた輝田星香さんと判明”と書かれていた。

 竹山議員の言葉とは異なり、日本政府は彼女を二度見捨てたのだった。

 国にとって一介の庶民の生命など塵と同じ存在なのだろうか。体制とはかかわりなく、国家というものはそういうものなのか。

 他国に入り込んで少女を誘拐して工作員にする国もあれば、国民が攫われても救出どころか、放り出してしまう国も存在する。どちらも人間を軽んじている点では変わりがないではないか!

 割り切れない思いだが、彼にはどうすることも出来ない。自身の無力さを改めて痛感するのだった。

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