第7話 演劇少女“五十鈴ちゃん”(4)
その翌日、彼は滞在先に五十鈴ちゃんを迎えに行った。特定失踪者問題研究会の細江会長も一緒だった。
彼が細江会長と知り合ったのは帰国して間もない頃だった。その頃、彼の元には連日メディアを始めとして政治家、運動家等々、様々な人々が“取材”に訪れていた。その大半は興味本位としか思えない内容だったが中には真摯なものもあった。細江はそうした数少ない取材者だった。
細江は彼に会うとまず、自分は被害者家族と共に北に拉致されたと思われる人々の救出活動に携わっていると自己紹介した。そして、多くの写真や資料を見せながら日本から拉致されたのではないかと思われる事例について説明し、出来れば自分たちの活動に協力しれくれないかと頼むのだった。そして、写真の中に北で会った人物はいないか訊ねた。彼の見覚えのある顔が何人かいたがその時は何も答えなかった。民間人に話していいものかと思ったことと細江が信頼に足る人物か判断できなかったためである。
細江は面会してくれたことに対し鄭重に礼を言い、労いの言葉を述べた。そして
「かの地にいらっしゃることを知りながら救出出来なくて申し訳ありません」
と謝罪した。
この言葉を聞いて彼はこの人物は信用できると思い、以後、彼の活動に協力するようになった。それは自身が帰国出来た時にやろうと思っていたことでもあったのである。
今回の五十鈴ちゃんの件も細江なら善処してくれるだろうと考えて協力を頼んだのである。
この日の五十鈴ちゃんも特に“若作り”していなかった。それでも実年齢より若く見えるだろう。そんな彼女は今は吹っ切れたようなよい顔つきになっていた。そんな彼女に細江は優しく声を掛けた。
「昨夜、電話であらましの事情は聞きました。長い間、さぞかし辛い思いをされたことでしょう。今後は母国で心安らかに暮らせるようにしましょう」
「ありがとうございます。よろしくおねがいします」
こう言いながら五十鈴ちゃんは頭を下げた。
タクシーに乗った三人が向かったのは永田町だった。拉致対策室の職員と会うためだ。担当者とそして拉致問題に力を注いでいる国会議員を交えて五十鈴ちゃんの今後について話し合うのである。
いくらも経たないうちに目的地に着いた。車から降りた3人は対策室のある建物に入り、まず荷物検査及びボディチェックを受けた。そして受付で来意を告げ入館証を受け取ると、幾つかある応接室の一つに通された。
三人はソファーに座った。しばらくすると短いノックの音に続いてドアが開き、中肉中背のスーツ姿の中年男が入ってきた。空いている席に座ると自己紹介をした。
「警視庁公安課の……。」
「公安って、私が面会を求めたのは対策室の方ですよ!」
予想外の展開に驚いた細江会長は叫びながら思わず立ち上がった。
「まあ、お掛けください。私は、その対策室から言われて来たのですよ。」
公安課員は落ち着いた口調で応じた。
会長を座らせた後、公安課員は、五十鈴ちゃんに向かって訊問調で話しかけた。
「あんたが工作員・金輝星か?」
「何て言い方するんだ。この人は拉致被害者だぞ」
会長は声を荒たげた。今度は立ち上がらなかったが。
「この女が拉致被害者という確証はない。だが、北の工作員であるという情報は多々ある。」
会長はまた何かを言おうとしたが、その前に五十鈴ちゃんが口を開いた。
「はい。工作員として工作活動の補助をしてきました」
そして、これまで彼女がしてきたことを全て話した。
「……罪は償うつもりです」
彼女が話終えると、初めて彼が言葉を発した。
「これまでのことは彼女の意志とは無関係に行ったことです。あの体制の中で生きていくためには他の選択肢はないのです。彼女は拉致被害者の一人です。どうか寛大な措置を」
「日本政府は彼女を始めとする拉致被害者を救うためにこれまで何をしましたか。彼女が罪を犯したとしても、その責任の半分は彼女たちを放置した日本政府にもあるでしょう」
会長も五十鈴ちゃんを弁護した。
公安課員は二人の意見など無視して、五十鈴ちゃんに話しかけた。
「罪を償う気があるのなら、これまでの経験を生かして今度は祖国・日本のために働いてみないか?」
言葉が終わるや否や会長は、怒りを含んだ声で言った。
「まさか彼女に二重スパイをやれというのではないだろうな」
公安課員は今度も会長を無視して五十鈴ちゃんに問いかけた。この男の眼中には細江も彼も存在していないようだ。
「ただ、あんたに命じられた任務の内容をそのまま、こちらに教えてくれればいいんだよ」
五十鈴ちゃんは動揺していたようだった。改めて考えて見ればこれまで彼女のしてきたことは、恐ろしいことだったのである。贖罪の気持ちでいっぱいになったのは当然だろう。
「分かりました。後ほど具体的な指示をお願いします」
彼女はきっぱりとした口調で応えた。一瞬、あの何ともいえない寂しげな表情が浮かんだ。
「五十鈴ちゃん!」
彼は絶望的な気持ちになった。目の前にいるたった一人の仲間も救えなかったのだ。
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