第5話 演劇少女“五十鈴ちゃん”(2)

 それから数日後、来客があった。五十鈴ちゃんに面会に来たそうだ。客と部長、五十鈴ちゃんの三人がしばらく何かを話し合っていたようだ。

 客が帰り、部長が席を外した時、五十鈴ちゃんがこう言った。

「劇団にスカウトされました。」

 後日、知ったことだが、彼女の一人芝居を親愛なる指導者同志すなわちこの国の2番目の権力者が偶然目にし、この国の最高峰の劇団に入るよう命じたのだった。

 1週間後、迎えに来た黒塗りの乗用車にのって五十鈴ちゃんは去って行った。その際、彼の妻は手作りのビーズの指輪をプレゼントした。自分のセーターについていたビーズをはずして作ったものだ。五十鈴ちゃんは喜んでその場で指に嵌めた。

 直接、五十鈴ちゃんと接したのは、この時が最後だった。


 それから、更に1年ぐらい経った頃だろうか。集合住宅にいたメンバーは、それぞれの“仕事”を得て外部に出ていった。

 といっても、そこも日本人ばかりが集まって住んでいて、近くにある職場も役付きの数名が朝鮮人で大部分が日本人という場所だった。それゆえ、各自、独立した家屋に暮らすようになったものの、毎日、顔を合わせていた。

 とある休日、彼が自宅の居間でTVを眺めていたところ、聞き覚えのある歌声が聞こえてきた。演劇の中継をしていたようだが、何とそこに五十鈴ちゃんが登場していたのである。

「おい、五十鈴ちゃんがTVに出ているぞ」

 彼は台所にいた妻を呼んだ。

「五十鈴ちゃん……」

 妻は画面に見いっていた。

 それは、僅か一シーンだった。村娘姿の彼女は民謡風の歌を歌いながら舞台中央に出てきて主人公に花束を渡した。たったこれだけなのに夫婦は画面に釘付けになってしまった。

 翌日、彼は退勤後、時間を作って、大工さん夫妻とママさんとドナちゃんに会い、五十鈴ちゃんのことを話した。皆、TVを見ていた。

「いい舞台だったね」

「うん、彼女は本当に第二の山田五十鈴になれるかも知れないね」

 各自感想を言い合いながら、彼女が元気でいることを喜んだ。

 それからというもの、集合住宅の面々はTVの演劇番組に注意するようになった。五十鈴ちゃんが出演するものを見逃さないようにするためだ。ビデオデッキなどというものが普及していないこの地のこと、一度見逃してしまうと次にいつ見られるか分からなかった。まして直接劇場に行って観覧などということは考えられなかったので尚更であった。

 当初は、その他大勢の一人として舞台に立っていた五十鈴ちゃんだが、出演するたびに出番が増えて行き、ついに主役を張るようになった。彼女の芸名は金輝星〈キムヒソン〉といった。

 金輝星の初の主演舞台は「金剛山のこだま」というこの国の定番作品だった。朝鮮戦争の時、活躍した女性戦士を描いた内容で、五十鈴ちゃんは主人公の女性兵士を演じた。ストーリー自体は、この国ではありきたりの自国の軍隊を讃えるものであったが、金輝星の存在が惹きつけられるのである。彼女の演技、アップで映された時の表情、台詞回し等々、どれも見逃せなかった。

 彼女の演劇が放映された翌日は、皆、必ず会って、その感想を言い合った。そして、彼女の成功を祈るのだった。

 女優・金輝星は、ここに住む他の日本人の間でも評判になった。だが、彼女も拉致されて連れてこられた日本人で、以前自分たちと共に暮らしていたということは言わなかった。口にしてはいけないような気がしたのである。

 金輝星の主演舞台は、その後も次々TVに登場した。活躍の場も広がり、映画やTVの連続ドラマにまで出演した。その内容も現代物から時代劇、役柄も現代娘から兵士、新妻、妓女、深窓の令嬢や少年役まで多種多様だった。

 そして遂に、女優として初の単独コンサートも開いた。これまで声楽家で独唱会を開いた人間は何人もいたが、非専門の歌手は前代未聞のことだった。

 集合住宅のメンバーは、TVを通じてそのコンサートを見たが、皆、懐かしさを感じていた。

 軍服や民族服、ワンピースや少しフリルの付いたブラウス姿で五十鈴ちゃんが歌ったのはこの国の定番ソング~軍歌や党や国家を讃えたものや民謡、彼女の出演したドラマの主題歌だが、曲のアレンジと振り付けがこれまでにないスタイルだった。この国の歌は唱歌や歌曲風で学校の音楽の時間で習うような退屈なすたいるだったが、それを彼女は歌謡曲風に歌ったのである。また、歌っている時の振り付けは日本の歌手たちを彷彿させた。

 五十鈴ちゃんの歌唱力は今一つだった。だが、その声を聴き、姿を見ていると心が弾んでくるのであった。

 TVでは中継されなかったが、アンコールの際は観客も共に歌い会場は大盛り上がりだったそうだ。

 コンサートを見終えた後、彼は不安にかられた。この国が否定している資本主義国家のような独唱会を行なって五十鈴ちゃんは大丈夫なのだろうかと。何事であれ検閲されるこの国で五十鈴ちゃんたちが勝手な内容で公演など行えるはず無いのだが…。

 このコンサートを最後に五十鈴ちゃんは姿を消してしまった。

 やはり、あのコンサートが拙かったのだろうか。だが、ゲストとして出た俳優たちは相変わらずTVに出ていた。もしかすると、金輝星は実は日本人であるということが露出してしまったのかも知れない。この国で日本人が表立って活動するのは難しいのだろう。何しろ日本を憎むように仕向けている国なのだから。

 集合住宅の仲間たちは、ただ五十鈴ちゃんの無事を祈るばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る