第2話 37号の女⑵

 文化祭での韓国文化クラブの“ジョイント公演(?!)”は大成功だった。そして、これを機に両校は姉妹校となり交流をするようになった。

 様々な行事のあった2学期も終わり冬休みとなった。正月は故郷で過ごす水香は家族と共に韓国に帰った。終業式の日、クラスメートたちに3学期に会いましょうと言い残して。

 だが、3学期が始まっても彼女の姿は無かった。父親が韓国の本社勤務になったためだそうだ。

「このまま、日本の大学に進学して日本文学を研究したい。」と言っていたので、卒業まで一緒に学校生活を出来ると思っていたクラスメートたちはとても残念がった。

 一人の生徒が、彼女の家に手紙を送ってメールアドレスを教えてもらおうと言った。メールで互いの消息を伝え合おうということである。

さっそく担任の先生に水香の韓国の住所を聞いたが、学校に提出した書類には日本での居住地しか記載がなく本国のものは分からなかった。先生は彼女の父親の日本での勤務先に問い合わせようとしたが、そこは既に閉鎖されていて、結局、水香の居住地は分からず仕舞いだった。


 高校生グループに見送られた髪を束ねた女性は、有名な機械メーカーのオフィスのある駅近くのビルに入っていった。彼女は、数日前からこの機械メーカーで派遣社員として働いていた。

 勤務を始めたから何日も経っていないのに、その仕事ぶりは好評を得ていた

「今度来た派遣さん、ええと名前は何て言ったっけ…」

 一息入れようと飲料の自販機の前に来た男性社員が側にいた女性社員に話しかけた。

「新井かおりさん?」

「そうそう、新井さん。仕事の手際がいいよね」

「うん、資料作りなんて、すぐやっちゃうし」

 勤務初日、かおりの机の上には山のような書類が運ばれた。集計担当の社員が急病で休んでしまい、その仕事を彼女がすることになったのである。

 簡単に説明を受けた後、かおりはさっそく書類を分類し、パソコンに入力を始めた。タイピングの速度はとても早く、まもなくプリントしたものをクリップで綴じて部長に提出した。それは正確でとても見やすく仕上がっていた。いつもだめだしする部長も今回は

「うん、完璧だ」

と一発でOKを出した。

「いい人が来たって部長も大喜びしていたよ。」

 二人は自販機の前を立ち去りながら話を続けた。

「それにしても、似ているよな……」

 男性社員がしみじみとした口調で呟いた。

「って誰に?」

 女性社員は興味深そうに問い返す。

「沖縄のママに」

「沖縄営業所にいた時、通っていたスナックの?」

「うん。初日に紹介された時はびっくりしたよ」

「でも、沖縄のママさんは……」

「もっと年取っていた、っていっても三十代後半くらいだけどね。噂によるとかなりの女傑らしいよ」

 彼はママの武勇伝を語り始めた。

 土地柄、その店には米兵もよく来ていた。ある日やって来た若い米兵は店の女の子にやたらとからんできた。仕事が仕事だけに始めのうちは笑顔で応じていた彼女も度を越えた態度に困惑し始めた。そんな時、ママがやって来て強い口調の英語で注意した。それでも態度を改めない米兵をタクシーに乗せ、自身も同乗して基地に行き抗議をしたらしい。数日後、ママの店に軍のお偉いさんがやって来て謝罪したと言われている。

「自分で直接見たわけでも無いし、伝聞なので誇張もあるだろう。でも米軍を謝らせたということで話題になっていたよ」

 男性社員が話し終えると

「すごい人ね。でも新井さんとは性格が正反対ね。彼女は物静かでおとなしいから」

「そうだね。似ているのは外見だけだ」

 話が一段落すると二人はそれぞれの席に戻って行った。

 二人が言ったように、新井かおりは物静かな女性だった。話す時は穏やかで、仕事中は余計なことは言わなかった。ただ人付き合いは苦手なようで、昼休みに同僚たちが昼食に誘っても“お弁当を持ってきたので”と言って断り、勤務終了後の飲み会に誘っても“家に用事があって”とそそくさと帰っていった。

 ある日、男性社員の一人が昼休みの時間に外回りから戻ってきたことがあった。室内には新井かおりしかいなかった。彼女は読書をしているようだった。男性社員は彼女の読んでいる本が気になり、席を立った隙に机上を見ると簿記の参考書が置かれていた。

「資格試験の勉強をしているのか」

 だから昼休みにも勉強し、夕方も学校に行くために定刻になるとすぐに退勤するのだろうと推測した。

 4ヵ月後、契約期間の終了と共にかおりは会社を去っていった。

「残念だわ、彼女のおかげでどれだけ助かったか」

「部長も課長も彼女のいる間は、仕事が捗るといって機嫌が良かったけれど、これからは大変だな」

 かおりが辞めた後、社員たちは暫くの間、毎日ぼやいていた。

 会社側も彼女の能力を高く評価していて、契約期間の延長、いや正社員として雇いたいとまでいったのだが、かおりは丁重に断った。

「あれだけ有能な人だから、条件のいい仕事を見つけたのよ」

「いや、何か資格をとって独立するのかも知れないな」

 かおりについての様々な推測・憶測も暫くの間囁かれたのだった。


 十数年後、ビル近くに白髪混じりのショートカットの中年女性が立っていた。ディパックを背にスラックスに流行遅れのコートを纏った彼女は感慨深げな表情で上層階を見上げていた。

「そう言えば、例の機械メーカーのオフィス、ここにあったんだな」

 女性の脇を通り過ぎた二人組のビジネスマンの一人が言った。

 昨年、かつて新井かおりが働いていた会社がハッキングに遭うという事件があった。幸い、すぐに犯人は見つかり逮捕された。ただ、これがきっかけとなり、社内の不正が次々と発覚し、景気の後退も重なり、業績が悪化していった。日本国内はもとより海外にも多数あった支店、営業所の大半が閉鎖され、遂にここにあった東京本社もなくなり創業の地である大阪本社に統合されてしまった。

「栄枯盛衰というが、日本有数の会社もなぁ…。明日は我が身、他人事じゃないね」

「まったく!」

 ビジネスマンたちの会話は女性の耳にも入ってきた。

「そういえば、ハッキングをした奴はおもしろいことを言っていたな」

「うん、ここのパソコンには以前にもデータを盗られた形跡があったとか」

「会社側はこれについて何も言わなかったけど、どうだったのだろう?」

「さあな、ま、いろいろあったんだろう」

 彼らの会話が一段落したところで、女性もその場から去っていった

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