第16話 事件考察


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 目前に迫る拳を紙一重で躱す。下げた頭めがけて振り上げられる蹴り足に掴まり、相手の頭上を飛び越した。即座に手首をひねって身体を反転。次の攻撃に備えて身体を起こす。


 相対者に比べて私が勝っているのは速さだけだ。体力、技術、力、体格、智慧、そして頑強さ。全てにおいて劣っているならば、今ある武器でしのぐしか道は無い。


 床を蹴って駆ける。待ち構えていたように放たれた蹴りの下を潜り抜けて相手の胴体に一撃を加えようと――


「――――甘い」

 手刀が私の首元でピタリと止まる。


 一瞬の思考の空白。どっと噴出した汗と共に、私は拳を下ろした。


「…………降参、です」

「ふっ。そろそろ休憩だな」


 言って、私の師匠――祇遥ぎよう射牒いちょうは人を射すくめる眼光を和らげた。


 部屋を満たしていた闘気が完全に消え、今まで意識していなかった心臓の拍動が体中にうるさいほど強く響く。脳に酸素が足りず、私の呼吸は喘ぎを始めた。


 土曜日。あのまま仮眠室で休み、射牒さんと会う約束があった私は秘密基地に残った。


 更科君は始発のバスを待って自宅に帰ったはずだ。『じゃあ、自分ぼくもうわさ話の収集をしておくよ。あまり無茶しちゃ駄目だよ』と更科君は言っていたけれど、師匠とのトレーニングは「無茶」に入らないはずだから大丈夫。……大丈夫だろう。


「連続殺人事件について詳しく知りたい、などと連絡が来たときは、お前かその知り合いが事件に巻き込まれたのかと思ったぞ。

 ……まあいい。幸い今日は少し時間がある。最近できていなかったトレーニングもこなせたからな。――――ほら。シャワーを浴びに行くぞ。殺人事件の詳細など、乙女が汗だくでする話でもなかろうよ」


 タオルで汗を拭いながら笑みを浮かべて射牒いちょうさんが言う。その頬は運動のために若干赤くなっているが、息は上がっていない。二十八歳といえばそろそろ体力の曲がり角を過ぎていてもおかしくはないはず……。我が師匠ながら、この人は本当に人間なのかと疑ってしまう。まぁ、人外の師を持つ人間なんてそうそう居ないはずだが。


「今日は普段よりも攻め気味だったが、どうした? なにかいいことでもあったのか?」


「……いえ、特に記憶にありませんが」


「そうか。ふむ……。まあいい、ほらっ」


 身長の高い射牒さんに手を引かれて立ち上がる。確か百七十センチ以上あったはずだ。高身長の師匠は顔も整っていて、モデルに紛れていても不自然でないほどに美人だ。


 しかし仕事着であるスーツを脱げばこのように筋肉質であり、なによりあの猛禽類じみた鋭い目つきに大抵の男は声をかける度胸を失ってしまう。


 本人も仕事柄、恋愛を捨てている節があり、その達観した雰囲気がまた彼女から強さ以外の何かを遠ざけてしまっているのかもしれない。  


 鳶色とびいろがかった長い髪を細く一つにまとめた後ろ姿を追いかけ、私はシャワー室に入った。







「まずは各被害者の状況から説明したほうがいいだろう」


 仮眠室の隅にあるテーブルについた射牒さんは、私からコーヒーのカップを受け取りながらそう言った。スーツのズボンにワイシャツという半仕事ルックだ。この後も事件の調査があるだろうということは容易く想像できた。


 脇に大量の書類が準備されている。本来は部外者には見せてはいけない資料のはずだが、射牒さんは事件の解決のためなら警察の決まりを破ることをいとわない。それがたとえ法律に反していても、だ。


 秘密漏示ろうじの禁止は公務員法の……区切りのいい……そう確か百条で、しっかり明文化されている。バレれば厳罰どころでは済まないだろう。


 それが射牒さんが成り上がりから若くして昇進できた理由であり、彼女がこれ以上、上を目指さないことに関係があるのだろう。


 私が向かいに座ったのを確認して射牒さんが話し始めた。


「現在まで確認されている被害者は四名。

 最初の事件は昨年の十二月四日、日曜日、子飼こかい商店街入り口。被害者は付近の中学に通う、鳴竹なるたけ千紘ちひろ十三歳、男。左の肩口から骨盤にかけて袈裟斬けさぎりにされ、出血多量でほぼ即死している。

 二件目は今年の一月十五日、日曜日。上通り裏手の上の裏通りで発見。市内の私立高校に通う十六歳女性、山澤やまざわ邦実くにみ。胴体を真横に切られ真っ二つの状態だった。死因はショック死だ。

 三件目が三月十一日、土曜日。国道三号線、植木うえき町付近。被害者は十五歳で中学生、室田むろた恭弥きょうや、男。骨盤辺りから心臓に向かって切り上げられ、即死状態で発見された。

 最後が四月一日、土曜日。場所は川尻かわしり大寺禅寺だいじぜんじ裏手。今度は右の肩口から真下に切り付けられショック死している。近辺の中学に通う十五歳、領良りょうりょうづか宗助そうすけ、男性」


 射牒さんが一枚ずつ死体の写真を出し、そのたびに用意していた地図を示す。


「……場所に一貫性がありませんね」


 現場は県内全域に広がっている。統一されておらず、関連性が感じられない。


「全て被害者の自宅近くだ。故に犯行現場からは犯人の居場所を特定できていない。

 犯行時刻は全て深夜一時から二時の間と推測される。人通りの少ない時間帯、場所ではあるが、死体は隠されもせず放置されていた。持ち物もそのままだ。物取りの可能性は今の所ないな。

 ああ、それと得物は日本刀と確定している。それも恐ろしく切れ味の良い逸品だ。しかも使用者の人斬りの腕も折り紙付きだそうだ」


 傷口を示されて確かめる。どの切り口も一撃でつけられている。写真を順に確認し、一つ疑問が浮かんだ。


「……最初から、やけに手馴れていませんか」


 初犯には大抵、粗が見受けられるはずだ。しかし写真の被害者は皆一様に一撃で命を奪われている。一人目から四人目まで、全員。


「ああ。だからこそこっちでも玄人の犯行という線で調べている。だが手口は素人のようでもあるのが不思議なんだがな。実際の被害者はもっと多いのかもしれない」


「……被害者の共通点は」


「いずれも中学や高校に通う未成年というだけだ。交友関係を調べ尽くしたが接点が見つかっていない。全員が違う学校に通い、部活や塾、生活圏、全てにおいて関連性が皆無だ」


「……つまり、まだ容疑者を特定できていないのですね」


 事実確認をすると射牒さんは歯を食いしばって眉間のしわを深くした。


「――――そうだ。一向に容疑者らしき人物が浮かび上がらない。その動機すら不明だ。得物の特徴からも捜査を進めているがそちらもほぼ空振り。捜査本部は通り魔の仕業ではないかと考え出している」


 言われて、私は死体の写真をもう一度確認する。よほど切れ味の良い刃物で切られたとしか考えられない大胆な切り口。骨すら砕いて――いや、切り伏せて――得物は被害者の身体を引き裂いている。


「……通り魔の所業とするには違和感がありませんか」


「私もそう思っている。だが、上の方針には表面上逆らえん」


 表面下で独自に動き過ぎな警部補が唇を噛む。いかに射牒さんといえど、いつでも好きに動けるわけではない。今こうしている時間だってこの人にとっては貴重なものだ。上司と方針が合致していなければ、それだけ射牒さんの行動は制限される。


 だから射牒さんは私のような「信用できる部外者」に協力を仰ぐことすらする。


 時折ブラックコーヒーで渇きを癒しながら、射牒さんが続けた。


「殺人事件のほとんどは所詮しょせん物取りや知人による犯行でしかない。そうでなければ通り魔だ、という考え方は一理ある。

 しかしどうもこの事件、通り魔らしくない。人を殺すという行為にはそれ相応の理由があるはずだ。通り魔ならば、己の欲を満たすというより周囲や社会に対しての何らかなサインを含む場合が多い。だがこの犯行にそういったものがないように思われる。

 だからと言って愉快犯や劇場型にありがちな過剰性は遺体に見受けられない。

 もはやこれらの死体は自己完結し過ぎている。まるで殺すという事そのものが理由であるかのようだ」


 人間は人を殺すことに感情を必要とする。例えば怨恨、猜疑心、妬み、それと怒り。あらゆる負の感情が、人間に人間を殺させる引き金となる。そういった感情は否応なく死体の状態に現れるはずだが、写真の遺体にはそれが無い。


「……そうか」


 違和感の正体はこれか。


「……


 だから射牒さんは、「殺すことが目的」と言ったのか。


「その通りだよ、誡。この遺体には致命傷の一撃以外が存在しないんだ。身体どころか顔にも怪我がない。この遺体からは何の感情も見えてこない。

 金も取らず、外界に向けたアピールも無い。つまり、殺すという行為自体に価値観が見出されている。類すれば典型的なサディストはこれだ。だがおかしい。サディストならば相手をもっと傷つけ、その苦しむさまを楽しむものだ。しかしコイツにはそれがない。

 犯人は一撃で、被害者の生命を奪うことに専念している。だからといって、その後に死体を弄ぶこともしていない。快楽性と自己満足。そのどちらも傷口に反映されていないんだ」


 死体の細部を写した写真を私に見せる。確かに、命を奪った切創せっそう以外、被害者の身体には生前のものと思われるあざ以外には擦り傷一つ見当たらない。


「……確実な死をもたらす。それだけが目的のような」


「ああ。自らを神だなんだとのたまい人を殺すやからもいるにはいる。死を開放と言い換えて他人を殺すありがた迷惑な輩もな。一種の異常者だ。そう考えれば確かに話は単純になる。私の周りもそういう考えだ。特に被害者には虐待の跡があったからな」


 私の使用済みスティックシュガーの空き紙袋を手に取って、射牒さんがそれを真ん中から開いた。筒が細長い短冊状の用紙へと変貌する。


「だが、私にはどうもそうは思えんのだ」


 仕事用のバックから取り出されたのは、ジェルインクのボールペンだった。


「これは勘でしかないが、恐らくこの加害者にとって被害者の死は戦果ではなく、ただの結果に過ぎない」


 砂糖の付いた紙に大きく書かれたのは「殺害」の文字。射牒さんはその下に「目的」と書いて、二十線でそれを消した。そして代わりに「結果」と書く。砂糖に滲んだその文字は、今度はぐるぐると線で囲まれる。最後に、「殺害」から伸ばされた矢印が「目的」を突き抜けて、「結果」に辿りついた。


「この事件は人間の切望のために起きた、ごく当たり前の殺人だ。加害者は己の目的のために動いている。そして、未だに事件が続いていることをかんがみるに、加害者はまだ目的を遂げていない」


 つまりだ、と射牒さんが用紙をコーヒーに浸した。生暖かい液体を吸って、紙は見る見るうちに黒く染まっていく。


「続くぞ、この殺し」


 ……予感はしていた。四件続いた時点で警察がなんの手がかりも掴めていないのだ。確実に次がある。そのくらいは予測がつく。


 そして何より、依琥乃が私達に解決を要求してきたのだ。


 ここで動かなければ殺人は止まらない。


 ブラックコーヒーから引き揚げられた用紙から、ぽたりと幾滴かの雫が落ちる。射牒さんがその様子をじっと見つめている。


 手がかりは無いに等しい。それでも私達は犯人を探さなければならない。


「誡。少しいいか」

「……なんでしょうか」

「あれを」


 仕事の話をする鋭い目つきのまま、射牒さんが私の奥を指さした。何か重要なものがあるのかと振り返る。しかし後方から聞こえたのは、予想していなかった言葉だった。


「ティッシュペーパーを一枚取ってくれると、助かる」


 目を閉じる。連ねていた思考を一時放棄する。口から温められた空気が大きく漏れるのを感じながら、私は無言でティッシュを箱ごと師へと差し出した。


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