第二章 狂気の隆替

第11話 初対面

 第二章


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 実のところ、自分ぼくかいにはそれほど長い付き合いがあるわけじゃない。


 初めて誡と出会ったのは、自分ぼくらの一つ年下だった依琥乃が中学校に入学した日。つまり自分ぼくと誡が中学二年生になったばかりの春真っ只中だった。今から数えて約六年前のことになる。


 本来ならば自分ぼくと誡は知り合うはずもないほど住む世界のかけ離れた人間だった。同じ学校に通ってはいても、クラスが違ければ所属するグループの系統も違う。関わり合いになるはずもなかった。


 それを結び付けたのが伊神いがみ依琥乃いこのだ。


 自分ぼくは依琥乃の親戚として。

 誡は、依琥乃の親友として。


 親愛なる今は亡き大切な友人の紹介であの日出会い、そしてとある事件に遭遇した。


 そう。そうだ。依琥乃の死について考える手始めとして、あの時のことを思い出すのも悪くない。


 ことの始まりはいつも通り、依琥乃が言い出した指令だった。内容は事件を解明し解決すること。


 当時、県内では未成年者を狙った連続殺人事件が発生していた。


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 振り上げたやいばにまず映ったのは、唖然あぜんとした表情だった。

 次に映ったのは感情の別のない、ただ混乱だけを示す表情。

 そして、振り下げられる刃からは、明確な恐怖が刻まれた相貌そうぼうにじみだした。

 柄を握りしめた腕に力を込めながら、我は思う。

 

 あゝ、君死にたまふことなかれ。


 しかし飛び散る暖かな血液は、つまり願いの不成就を意味していた。


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 四月に入れば、昼間は暖かさに眠くなるほど。それでも朝は冬の寒さがしつこく残り、人々の体の芯を震わせにかかる。羽織ったカーディガンのボタンを留めて私は食パンをトースターにセットした。


 今年は冬の終わりが早かったせいか桜の六割ほどがすでに散り、深緑の葉が茂り始めていた。よくテレビでは入学式に合わせて咲き誇る桜の花びらが映し出されるけれど、私の住む九州にそんな季節感はすでに遠い。


 つい一週間前まで権勢をふるっていたピンクの花弁達は、今頃人々の足元でまばらな絨毯じゅうたんと化しているだろう。

 早朝ニュース番組のお天気お姉さんが東京では今が桜の見ごろだと告げている。満開になれば後は散っていくだけだ。首都圏もすぐ桃色の陽気の終わりを知るだろう。


 といっても、私は満開の桜よりも新芽の中に潜むように姿を見せるこの時期の桜の方が好みなので、他者のように花見シーズンの終わりを嘆いたりはしない。むしろ、舞い散る花びらを延々とぼんやり眺めていたい派である。


「あれ? おはよう。今日はいつもより起きて来るの早くはないかい?」


 ココアを淹れるためにお湯を沸かしていると、背後からそう声をかけられた。


 清潔なパジャマを着て、ずれた眼鏡に寝ぼけ眼でリビングに入って来た男の名は、陽苓ようれい征司せいじ。母の再婚相手であり、私の義理の父親だ。


「……おはよう義父とうさん。今日は依琥乃の入学式ですから。少し早めに目が覚めたのです。……コーヒー飲みますか」


 うんお願いと義父さんは言って、冷蔵庫から卵を取り出す。なにか作る気なのだろう。朝から料理とは相変わらず私と違って気力がある。見ると、持っている卵は二つある。私の分も焼いてくれるらしい。


 ならば、ココアよりも紅茶にするべきかもしれない。私は引き出しからティーパックとインスタントコーヒーを取り出した。シュガースティックは二本。ミルクは無しだ。


「依琥乃ちゃんって、確か一個下のお友達だったね。小学校は別だったはずだけど中学は一緒なのかい?」


「……ええ。距離は桜野さくらの中のほうが近いのですが、本人が上城かみしろ中がいいと」


「ああ、あの辺の子はどちらか選べるんだったね。そうか。あの子もとうとう中学生か」


 卵をかき混ぜながらしみじみと言う。依琥乃とはあまり面識はないはずだが、そんなことは関係ないのだろう。陽苓征司は理想を演じることに生きがいを感じる人間だ。今は理想の夫にお熱である。


 そのためか、母さんにも良き母であることを望んでいる。義父さんに依存している母さんはその期待に応えようと表面上良き妻、良き母であろうと努めている。


 義父さんは、我が子を殺そうとまでした女性が良き母としてある様子を大いに楽しんでいる。義父さんは同時に「愚か者」を救済する自分を愛しているのだ。


 我が家族は誰も私を見ていないし、むしろ誰も己の幸せ以外考えていない。歯車は大きくずれているが、不思議と一家は平和に暮らしていた。


 狂っていても、異常でも、再婚する前よりよほど居心地がいい。少なくとも表面上は立派に理想の「家族」である。


 これはひとえ征司せいじの功績だ。だから私は彼をきちんとこう呼ぶ。義父とうさん、と。


 食パンが焼きあがると同時に義父さんがかき混ぜた卵を熱したフライパンに流し込む。どうやら今朝はスクランブルエッグのようだ。陽苓夫婦は小食なので朝は卵一個で済ますことができる。ちなみに私は、少なくとも二人よりパン一枚分は大喰らいだった。


「……母さんはまだ寝ているのですか」


「そうだなぁ、たぶん昼頃までは寝ているだろう」


「はあ……」


 卵が焼き終わりそうだったので、皿を2枚用意する。それぞれ半分ずつ盛られていくのを横目で見ながら紅茶とコーヒーにお湯を注ぐ。朝食の準備が完了した。


 テーブルに着くとお天気のコーナーはすでに終わり、ここ最近の事件を伝えるニュースへと移っていた。


 いつかの中継の模様が映し出されている。商店街から場面が移る。次はよく見知った場所だ。そびえ立つ城と、様々な店が立ち並ぶ巨大アーケード。県の中心街である。


 映像が切り替えられる。次に映ったのは夜の交差点だった。場所はよくわからない。すぐ近くを国道が走っている。


 もう一度映像が変わり、それで中継は終わりのようだった。


「これで四人目か……」


 義父さんが呟く。


 県内では去年のくれから、未成年を狙った殺傷事件が起きている。警察は連続殺人事件として犯人を追っているらしいが、未だに成果はない。被害者の共通点は未成年ということのみ。目撃者がおらず捜査は難航しているらしい。


 いや、殺害方法に共通点はあるのだが、それはテレビで報じられていない。警察関係者しか知らない情報だ。


 ちなみに私は師匠から伝えられている。そんな簡単に外部に情報漏えいしていいのだろうかと疑問が浮かぶが、私も未成年である以上、無関係というわけではないので許容範囲なのだろう。


「誡、最近は物騒だから、十分用心したほうがいい」


 そう言う割にこの家には門限がない。数日留守にしていてもとがめられることはなかった。学校のほうがよほど子供の安全対策に必死である。


 この男、私がどこかでのたれ死ねば今度は「悲劇の父親」という新ジャンルを開拓するだけなのだろう。


 私が二本分の砂糖をかき混ぜていると、義父さんは、ああと思いついたように付け加えた。


「もちろん、依琥乃ちゃんにも気を付けるようにいうんだよ」


 残念ながら依琥乃ちゃんはそんな繊細な少女ではなかったが、私は口をつぐんで頷くにとどめた。


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 伊神いがみ依琥乃いこのという女の子を一言で言い表すことは難しい。というか、言葉で表現できる類の人間ではない、というのが実際のところ自分ぼくの感想だった。


 だがそれは内面の話だ。性格や性質を考えずに外側だけ――つまり彼女をとりまく外的要因のみに絞れば、依琥乃のことは比較的簡単に説明できる。


 図像学者の両親を持ち、家は比較的裕福。そして生まれつき身体が弱く、今も病院通いが欠かせないし、実際に入院することも少なくない。


 そのためか運動は苦手で、一人窓辺で本を読む姿が似合う。夕焼けに照らされた端正な顔立ちに風になびく艶やかな黒髪。さぞ絵になることだろう。


 深窓の令嬢。


 およその人間が依琥乃を見てそんな言葉を思い浮かべる。


 もっとも、彼女の中身はそんな大人しいものでは決してないけど。


 とにかく伊神いがみ依琥乃いこのは身体が弱い。その上体力も皆無と言っていい。

 だから、「友人を紹介する」と指定されたその日にこんなメールが届いても、自分ぼくはそれほど驚かなかった。


『入学式疲れた。 

   あとよろしくね』






 携帯を仕舞って、僕は上靴から学校指定の白い運動靴に履き替えた。


 依琥乃は紹介したいと言っていた「陽苓ようれいかい」という人物を中庭に待たせているという。


 昇降口から生徒の教室がある校舎の裏に回り、外トイレを過ぎて中庭へと入る。

 中庭は教室のある校舎と、職員室や音楽室などの特別教室からなる校舎に挟まれた位置にある。そのため一日の半分以上の時間、日が当たらない場所だ。活気立った校舎に見下ろされながら、この場所はこんなにも寒々しかった。


 春と言ってもまだ寒さが残る。思わず学ランの袖を引っ張りつつ周囲を見渡すが。


「あれっ……」


 式が終わりほとんどの生徒がすでに帰宅しているせいもあるのだろうが、中庭には人影がない。


 ……もう時間のはずだけど、まだ来てないのかな?


 中庭は木々や池跡のせいで見通しが悪い。ちなみに池跡とは、昔は池があったであろうという風のくぼみの周りを岩が囲っている空間だ。今は完全に水が抜いてあるため生徒の遊び場と化している。


 中庭の真ん中に設置された池跡を避けて、死角になっていた反対側へと回る。


「うわっ」


 居た。人が。立木に寄りかかり目を閉じている、少女が。


 自分ぼくの声にも反応せず彫刻のように佇んでいる。


 彼女が「陽苓ようれいかい」なのだろうか。名前からして、てっきり男子なのだと思ってたんだけど。辺りを見渡すが、やはり他に人はいない。せめて背格好だけでも依琥乃に確かめておけばよかった。


 ぴくりともしない少女を、失礼なことだと分かりつつもつい観察してしまう。


 女子中学生の平均を余裕で下回っているであろう小柄な身体。肩にかからない程度に、若干乱雑に切りそろえられた黒髪。目を閉じていても、思わず見惚みとれてしまうほど整った容姿だと分かってしまう。しかしその幼げな顔立ちに似合わない、近寄りがたい雰囲気が少女にはあった。


 制服のセーラー服をうちの生徒にしては珍しく着崩さず型どおりに着ている。それはなんだか彼女に似合っていて、どうしてだろう、自分ぼくは思わず居住まいを正した。


 なんとなく、真面目な子なんだろうかと考える。依琥乃の親友というから覚悟して来たけど、そんな心配はなかったかもしれない。


 じろじろと不躾ぶしつけに見ていたせいで視線でも感じたのだろうか。少女が微かに動いた。組んだ腕はそのままに、ゆっくりと目が開き、彷徨う視線が自分ぼくを捉える。


 若干茶色がかった透明な瞳が僕を見つめた。吊り目なのに覇気が無く、目尻が若干垂れてすら見える。何を考えているのか表情からは読み取れない。完全な無表情で、ただなんとなく眠そうだ、ということしか伝わってこない。


 彼女はなにも言わずに、じっと自分ぼくを見ている。仕方ないから自分ぼくは確認をとることにした。


「えっと……君が陽苓誡さん? かな」


「…………そうですが」


 うわぁ、テンション低いな。もしや警戒されているんだろうか。それにしては瞳に意思がないというか、力が入っていない佇まいというか……。なんだか不思議な子だ。


「……なにか御用ですか」


 静かにそう訊かれた。なんだか、会話の調子がワンテンポずれたような感覚を覚える。それは少女が一拍置いて喋りだすせいなのかもしれない。耳に届いたのは澄んだ声音に似合わない、言葉のニュアンスがぎりぎり伝わる程度の抑えた抑揚だった。


「依琥乃から紹介されるはずだった者だけど」


 よく考えればマヌケな発言だけど、そう答えるしかなかった。依琥乃は自分ぼくに友人を紹介するとしか言っていなかったからだ。本当は依琥乃が間に入っていろいろ説明するはずだったのだろう。


 しかし今、依琥乃は疲労で欠席している(たぶん今頃家で寝ている)。さっき貰ったメールにも『後のことは誡に訊け』としか書いていなかった。だから、自分ぼくからはこれ以上なにも言えない。なんの御用があるのか分からないのは自分ぼくのほうなのだ。


 幸い彼女はそれだけで全部把握してくれたらしい。頷いて地面に直置きしていたバッグから携帯を取り出した。意外に手馴れた様子で操作し始める。


 ちなみに我が校は他校の例に漏れず携帯電話は持ち込み禁止だ。しかしそれは校則上だけで、実際は授業中に使用しない限りほとんどの教師から黙認されている。


 ――ん? 今バッグの中に不穏で物騒な物が見えた気がするけど……気のせいか?


「……あなたが依琥乃の言っていた幼馴染ですか」


 携帯をいじりながら聞いてくる。メールを確認しているらしい。彼女の目線が画面と自分ぼくとの間を行き来する。自分ぼくの特徴でも書いてあるんだろうか。内容が気になる。


「ああ。自分ぼくが確かに更科さらしな奏繁そうはんです、よろしく。ええっと、陽苓ようれいさん」


「……更科君ですね。わかりました。……陽苓誡です。呼び方はご自由に。……『陽苓』は呼び難いでしょうから」


「じゃあ、誡さんでいいかな」


 同級生の女子を呼び捨てはさすがに気恥ずかしい。


「ええ、……なんとでも」


 とどこおりなく自己紹介が終わる。やっぱり思っていたよりも普通の子だ。そんなことを考えていたのは自分ぼくだけじゃなかったらしい。


「……依琥乃の親戚と聞いて想像していた人物像と違いました。……もう少し頭のネジが間違った方に取り付けられた人がいらっしゃると」


「同じくだよ……」


 依琥乃に対する認識は、あまりかけ離れていないらしかった。


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