第7話 机上の空論と思考停止

地球に接近してくる小惑星のうち、衝突の可能性が高いものが発見された場合、アメリカ空軍からの緊急通知が、センターの軌道担当に送られてくる。


それを受けて、衝突回避判断に必要な情報を提供し、接近解析を再計算することになっている。


米空軍からだけではなく、NASAからも、メールでその情報が俺宛に送られ続けていたのだ。


「OK! No problem. That doesn't matter」


「Really? Thank you very much」


そう、問題ない。


問題はないのだ、多分、きっと、絶対。


送られて来たメール、開くこともなく全部削除してたけど……。


やっぱり、一回くらいは確認しておいた方がよかったかな?


俺は念のため、削除したメールの復活を試みた。


既に、『ゴミ箱を空にする』ボタンを何度もクリックしてしまっている。


そう、何度も、何度も、だ。


そうでなければ、いともたやすく復元可能なのに……。


どうしてこうも、便利な世の中になってしまったのだろうか、便利になってしまった故の、不便さを俺は嘆いた。


いや、嘆いている場合ではない。


とにかく、メールの内容を確認しないことには、報告のしようもない。


仕事において、報連相は重要であるが、事実誤認があってはならないのも事実だ。


俺は、何としてでも、メールの復元に努めなくてはならない。


虚偽を報告するわけにはいかないのだ。


「あの、すいません」


大切な相談があって、声をかけているのに、こんな時でもあの女は分かってない。


「香奈『先輩』」


「なに?」


『先輩』付けでようやくふり向いた。


俺なんかより、ずっと小さい顔と体で、気だけはやたらめったら強い。


もし、この女にバレたら、どうなるんだろう。


「いえ、なんでもありません」


俺が仕事をするフリを始めたら、彼女は何の疑いもなく再び自分のことを始めた。


どういうことだ、本当にこいつは分かってない。


普通、自分が面倒を見るべき後輩が、必死の思いで声をかけたのに、あっさり無視して気づきもしないって、教育係として明らかに失格だ。


気がつけってーの! 


そこで一言声をかけてもらえたら、俺も素直に話せるのに、こいつはやっぱりバカだ。


だが、これは彼女のミスではない。俺のミスだ。それは認めよう。


だがしかし、この俺にミスがあったなんて、許されるわけがない、そんなことはありえない、俺にミスはない、ミスがミスしたのだ。


そもそも、向こうにしたって、どうして専用のホットラインがあるにも関わらす、俺の個人アドレスにメールを送ってきたりなんかしたんだ、ごく一般の、お客様窓口だぞ? 


向こうにもミスがあったワケだし、やっぱりこれは、俺のミスではない。


向こうにも、俺みたいなおっちょこちょいがいるってことだ、大変だな、こういうのって、人種も国境も関係ない。グローバルな問題だ。


しかも、『OK! That doesn't matter』と答えたことにしたって、『連絡は受け取った』という意味であって、『衝突の軌道計算に問題はなかった』という意味ではない。『これから資料を送ります』という意味だ。


俺は、そういうつもりで返事をしたのだから、It doesn't matter、問題ない。


向こうがどう誤解するかは、向こうの誤解しだい。


こんな重要な案件だ、あっちだって、返事がなければ、今度はきちんとホットラインの方に連絡してくるだろう。


専用ホットライン以外に送られてきたメールなら、イタズラと判断されても、致し方あるまい。


そうだそうだ、カルピスソーダ。


向こうがきちんと送りかえしてきたら、今度はそれには、きちんと対応しよう。


なにか聞かれたら、受け取っていないと答えればいい。


向こうのミスだ。


事実、俺はそのメールを開封していない。俺が知らなかったとうことは、事実なんだから。


目の前にあった、香奈先輩が、くるりとふり向いた。じっと俺の顔を見つめている。


何の用だ。


「どうか、しましたか?」


「そういえばさー」


そういえば? そう言えば、なに? 


もしかして、惑星衝突軌道確認のメール、来てたけど、あんたはもちろん知ってたよね、見てたよね? 


その件はもうこっちで処理してるけど、あんたも手伝う? 手伝いたかった?


「杉山の歓迎会って、してなかったよね、やりたい?」


「僕を本当に歓迎してくれる気持ちがあったらいいんですけどね」


彼女の目が、じっと俺を見ている。俺は、本当にここに歓迎されてるのか?


「いつにする?」


「そんなことより、先にしっかりと仕事が出来るようになるのが、先なんじゃないんですかね」


「もう全部知ってるし、分かってるんじゃなかったの?」


「当然ですよ! そんなの、当たり前じゃないですか!」


そこは強調しておかなければ。


俺はもう、全部、出来る。


問題は、ない。


「なにが食べたい? 和食系? 洋食系? 居酒屋みたいなところでも、大丈夫かしら?」


「そんなことを気にするより、ご自分の体重を気になさった方がいいと思いますよ。最近、ちょっと腹が出てきましたよね、背中の肉も、ウエストからはみ出てますし」


ガタリという音がした。


「テメーを送り込む、ブラックホールの位置はとっくに確認済みだ」


 この人は、俺の胸ぐらをつかんで首を絞めるのが趣味らしい。


「へー、ちなみに、どこなんですか?」


「いっかくじゅう座X-1、A0620-00、約2800光年離れた場所にある」


「へー、めちゃくちゃ遠いじゃないですか」


「もし、オリオン座のベテルギウスが爆発してブラックホール化すれば、そっちが約640光年、一気に2000光年近く、距離が縮まるな」


彼女がつかむ胸ぐらの その手に力がにぎりたち 我が息ですら 絶え絶えに


一句出来た。


「楽しみだよな、超新星爆発」


「楽しみですね、スーパーノバ」


チッという舌打ちとともに、やっと普通に息が出来るようになった。


だが、俺は今、そんなことはどうだっていい、ブラックホールの存在も、超新星爆発も、俺にとっては所詮机上の空論、遠いどこかの別世界の話し……。


そりゃ、隕石落下も壮大な自然災害すぎて、思考停止気味だけど。


新歓は、やってほしいな。

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