第6話 意図の相違
アースガード研究センターに、新人として入った俺には、三島香奈という教育係がいる。
この女がまた、クソがつくほど生意気だ。
どこに住んでいるのか知らないが、職場からの最寄り駅で、たまに同時に降りることがある。
チビだから人混みの中では見つけにくいが、同じ方向に歩く流れの中に、そのきゅっと縮こまったような背中を見つける時がある。
「おはようございます」
そう声をかけても、ちょっと頭を下げるくらいで返事の声も小さい。
職場に着くまでの行程でも、俺が人付き合いの義理人情から話しかけているのに、ろくに聞いてもいない。
センターの入り口をくぐったとたんに、もうシカトだ。
「あ、香奈ちゃん、おはよう」
「おはようございます、栗原さん」
先輩上司の栗原さんには、笑顔で愛想よく出来るのに、どうして俺に対しては、それが出来ないんだろう。
別にやってほしいワケではないが、こうも態度が違うと、余計に気になる。
彼女の方は普通に話しているのに、朝イチで声をかけられた栗原さんの方は、明らかにテンションが高くて、異常だ。
一生懸命、彼女の気を引こうと、何かをひっきりなしに話しかけている。
後輩で、指導すべき立場の俺を差し置いて、雑談とはどういうことだ。
「香奈っち、これどうするんだったっけ」
親しみを込めて、そう呼んでみた。
俺は、彼女に対し、親愛の情をもってして、そう呼んだんだ。
それは俺にとって、ちょっとした勇気のいる行為だった。
「は? 今なんつった? 『香奈っち』? なんだそれ」
淹れたての紅茶が入ったカップを手に、彼女の目にみるみる怒りの炎が宿る。
この極端に気の短い女との融和を図るために、俺がこんなに努力をしているのに、どうしてそれが分からないんだろう。
彼女は俺より一つ年上で、出身大学の偏差値は、俺とまあ肩を並べるレベルだった。
頭は悪くないはずなのに、根源的に察しが悪い。
「それ、昨日も説明したよね」
彼女の周囲から漂う香りはなんだろう。
今流行の洗濯用洗剤の芳香剤なのかと思って、昨日の帰り道、買い物のついでに寄ったドラッグストアで、片っ端から香り見本を嗅いでみたけど、どれも違った。
「香奈っちって、いいにおいするよねー」
彼女の手が、テーブルを叩きつける。
「おいコラ、真面目に仕事するきあんのかよ、テメー」
「これってさぁ、シャンプーのにおいなのかな?」
「セクハラで訴えるぞ、このボケ茄子、キモい!」
彼女の目が怒っている、真剣に。なぜだ?
「僕は、職場での人間関係を円滑にしようと、こうやって最大限の努力して、お互いの円滑なコミュニケーションを図ろうとしているんですけど、どうしてその意図が伝わらないんでしょうか」
「私は、あなたのことを必死で嫌いにならないように努力しているんですけど、どうしてその意図が伝わらないんでしょうか」
俺は親しみを込めて見つめているのに、彼女はため息をつく。
「今度から、『先輩』以外の呼び方で呼んでも、反応しないから。それくらいは守ってほしいんだけど」
「呼び方かよ、そんなくだらないことにこだわるなんて、生理前ですか? いいお薬、知ってますよ。問題の本質は、そこではないと思うんですけど」
ちょっとでも彼女に微笑んでほしくて、少しでも役に立ちたくて、一生懸命調べてきたのに、どうしてこうも露骨に嫌な顔をされるのか。
もしかしてこれが、理系女と文系男の、越えられない壁ってヤツなのか?
この俺の気持ちが分からない、女の気持ちが分からない。
栗原さんがやって来て、彼女の肩に手を置く。
「どれが分からないの? 俺が説明するよ」
そう言って、彼女に取って代わって説明されても、俺はそんなことはもう、全部分かってる。
「なんだ、言われなくても、もうちゃんと出来るじゃないか」
「もちろんですよ、ただ、最終確認をしておきたかっただけなんですけどね」
彼女の背中に聞こえるように、わざと大きな声を出す。
「もし、相性がよくないんだったら、俺が杉山くんの指導係になってもいいんだけど」
「いえ、大丈夫です。もうこれからは、ちゃんとします」
それだけは、勘弁してほしい。
何が楽しくて、こんなことをしているのか、分からなくなるじゃないか。
彼女の肩に触れた手で、同じように俺の肩に手を置いて、栗原さんが立ち上がった。
「ま、君の相談にものるよ」
そう言って、俺の目の前で彼女の隣に座った。
肩を寄せ合い、小声で何かを話していて、彼女はしきりに頭を下げている。
悩みや相談ごとがあるなら、俺にしてくれたっていいのに。
出会ってまだ間もないから、信頼がないってことなんだろうか。
いくら門外漢で、新人の俺とはいえ、今いる職場での居場所は確保しておきたい。
早く元の職場には帰りたいけど。
そんな姿を見せられると、さすがの俺でも、ちょっとさみしくなるじゃないか。
あぁ、どうしてこうも上手くうかないんだろう。
これだから、コミュ障の理系オタクは嫌いだ。悪いのは、全部お前ら。
また海外からのメールが来た。
何度送られても、この手のイタズラには、俺はもう騙されない。
統合宇宙運用センターからの緊急照会?
まぁ手の込んだタイトルを考えたもんだ。
本当に大事な用事なら、メールじゃなくて、電話にするだろ、しかもこんな一般も対象にしたメルアドに送ってくるか?
専用のメルアドは、ちゃんと他にあって、そこは個人管理のアドレスじゃなくって、センター内部で誰もが共有できるシステムになっている。
ホットラインだってある。目の前の、電話が鳴った。
「はい、こちら国際ユニオン宇宙防衛局、日本支部アースガード研究センターの、問い合わせ窓口担当、杉山です」
「Hello, This is United States Air Force. Do you Japanese Earth Guard?」
は? 久しぶりにネイティブの英語聞いた。アメリカ空軍がうちになんの用だ。
「No, Thank you」
こんなイタズラ電話は、ガチャ切りするに限る。
俺は、目の前の香奈先輩の小さな背中を見る。
彼女の細い肩と、ゆるくパーマのかかった髪を眺める。
ん? アメリカ空軍? そう言えば、何か言ってたな。
「Hello, This is United States Air Force. Do you Japanese Earth Guard?」
またかかってきた。アメリカ空軍。
俺は、引き出しにしまってあった資料を取り出す。
「Yes, This is Japanese Earth Guard Center」
そうだ、地球に接近してくる可能性の高い小惑星を発見した場合は、アメリカ空軍から、うちに軌道計算のための詳細なデータ照会があるんだった。
すっかり忘れてた。
そういえば、ずっとアメリカから、メールが送られて来てたな。
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