第45話 すすき花火
キィと揺れるブランコの影が交互に伸びる。怠そうに伸ばした脚が沈みかけの太陽を触った瞬間、柔らかな空気に包まれるように時間が止まり、自分が浮いているような感覚に陥る。息を吸う次の瞬間にはゆっくりと太陽から離れた脚が、重力に縛られて地面へと戻ってきた。
病み上がりの体には、夕方の涼し気な風が心地良い。隣でブランコを漕ぐ朱音の背中を見る度に、寝込んでいた数日間の様子を思い出す。朝から晩まで部屋に来ては体調を見て、食事を作ってくれていた。熱を出して寝込んだ子供を看病するように、丁寧に丁寧に。
過保護じゃないかと言う言葉は、どうしても喉から出せなかった。
あの朱音の弱々しい目を見たら。
誰だってそうだろう。あんな表情をされたら茶化せない。
「そろそろ時間ね」
その言葉に連動するようにポケットの中が震えた。ゆっくりとブランコを落ち着かせ、メッセージを確認する。
「一ノ瀬たち着いたって。ブランコにいるって返しておいた」
「ありがとう。久しぶりに夕焼けを見ているけど、思ったより日が短くなったよね」
「そうだな。もうだいぶ暗いし」
沈みかけの夕日も、今では空に色を残して殆ど姿が見えなくなっている。近くのベンチに置いたバケツも、夜の空気に溶け見え難くなっていた。
花火をするにはそろそろちょうど良い時間だ。
もう夏も終わりか……。しみじみとブランコを揺らしていると、公園の入り口方面から声が聞こえる。聞き覚えのある楽しそうなその声に、僕は顔を上げた。
「本当、元気ね」
金属の擦れる音と共に聞こえた、空気が漏れるような朱音の笑う声。
うん。一言相槌を打ち、声の方へ軽く手を上げた。頬を撫でる風の温度が夏の終わりの始まりを告げる、そんな気がした。
僕の寝込んでいる間に話が進んでいたようで、気づかないうちに花火の日程が再設定された。実は僕が倒れた数日後に、花火をする約束があったのだが、どうやら朱音が気を回し、日にちの調整を僕の代わりにしてくれていた。おかげで体調も良くなり、無理もなく花火が出来るわけだ。確かに、朧気ながら暇な日にちを聞かれたのだけは憶えている。
あの日は、花火の日程まで意識が行かなかったな。
結局、夏休みの終わりがすぐそこまで迫った八月末に決まって今に至る。
少しだけ、ここ数週間を振り返っていると、歩いてきた皆がベンチまで来ていた。こうやって久しぶりに会うと不思議と安心する顔ぶれだ。
一ノ瀬と一條が両手に大量の花火を持ち、その後ろには葉山と川口さんがビニール袋を持ちながらついてきていた。この四人が一緒に並んでいるのは、意外な気もするが一ノ瀬が言い始めだ、たぶん仲良かったんだろう。
「久しぶり」
なんて言えば良いか分からずに、当たり障りのない言葉が口から出る。
ここ最近は、朱音以外と喋っていなかったからな。久しぶりに人と会う感覚。このままの調子で学校が始まらなくて良かったと切実に思う。
「久しぶり。紫苑くん、もう元気になった?」
「篠崎、大丈夫か?」
一條と葉山から掛けられた言葉に、口を開けたまま固まっていた。そんなに気にかけてくれていたなんて思わなくて、ありがとうと返せば良いのか、心配かけてごめんと返せば良いのか。
戸惑っていると隣に立つ朱音に肘でつつかる。なんか言いなよと、ジトっとした視線を受けて焦りながら言葉を選ぶ。
「ありがとう。心配かけたな」
「五十嵐さんから話を聞いて驚いたよ。無理するなよ」
「本当、みんなびっくりしたんだからね。紫苑くん、無理しないでよ。私の誘いとか、体調悪かったら断ってくれて良いんだからね?」
「うん、大丈夫」
「それにしても……」
川口さんと一緒に花火をベンチに広げ終わった一ノ瀬が、オレンジの缶ジュースを渡してくる。ひんやりとした缶の質感が心地よい。
四人からの差し入れらしいジュースのプルタブを開けて口をつける。
「それにしてもさ、よく五十嵐さんは篠崎が寝込んでるって知ってたよな。美菜も驚いてたし、もしかして看病してた?」
一ノ瀬の言葉に僕と朱音が同時にむせる。なんて言おうか。
ここは朱音に任せて無言を決め込もうと思った。
「たまたま連絡したら寝込んでるって返ってきただけよ」
「うん、そういうこと」
「だから別に一緒にいたとか、看病したとかじゃないの」
「お、おう、そっか。まあ何にせよ、五十嵐さんが教えてくれて良かったよ。みんなで夏休み最後に花火ができてさ」
そんな話をしている間に、後ろの方では水の入ったバケツや、ロウソクの用意が着々と準備されている。どうしたんだろう、今日はやけに準備が良いというか、至れり尽くせりというか、何も準備を手伝っていない僕が少しだけ居心地が悪いというか。朱音も何かしようかと手伝いに行って、戻ってきたし。
そんな風に後ろを気にしているのがバレたのか、一ノ瀬が気にするなと言って笑う。
「それより二人とも知ってるか?」
「何を?」
「葉山と川口さん、付き合ってるんだってよ。さっき聞いて、俺も美菜もびっくりしたわ。いつからだよって感じだけど……あれ? 二人とも全く驚いてないじゃん」
「いや、だって……なぁ?」
「うん、そうね」
「おい、圭。その二人は俺たちのこと知ってるぞ」
えっ、と気の抜けた声を出した一ノ瀬に僕らは頷く。
学園祭のときに紆余曲折あって、二人の間を取り持つことになったのが僕らだし、二人が付き合うことになった後、四人で会ったりしていた。あの日の幸せそうな顔を思い出す。その話はまた今度みんなで話すとして……。いまは花火だ。
気にするなと笑いながら、夏虫のようにゆらゆら揺れるロウソクの火の方へ歩みを進めた。並べられた花火の中から箱型の物を手に取り、葉山へと視線を送る。
「じゃあ始めよう。みんなちょっと離れて」
三角形になるように並べられた三つの花火。
点けようと、葉山が横に立つ。
「圭も手伝ってくれ、三人で一緒に点けよう」
「いま行く」
僕と葉山と一ノ瀬、三人で一個ずつ同時に花火をつけることにした。小さな箱から伸びた導火線に火をつける。ぽっと灯った火が、ゆっくりと導火線を黒く染めていく。始まった夏休み終了のカウントダウン。
急いで花火から距離をとり、川口さんの横に並んだ。みんな各々好きな位置に立ち、じっと夜の暗闇を見つめる。
シュッと炭酸が弾けるような音と共に上がる光の柱。夜が白に染まる。
伸びた光が弾けて、輝く光の粒が降り注ぐ。
「篠崎君、改めてだけど学祭の時はありがとうね」
「良いよ、僕はたいして何もしてないし」
「それでも、五十嵐さんと篠崎君のお陰でこんな幸せな夏休みが過ごせたんだもん」
「幸せそうで良かった。それだけで十分だよ、たぶん五十嵐も同じ気持ちだし」
花火が赤く染まる。柔らかな光の向こう側で、一ノ瀬たちが写真を撮ったり何か話したりしている。幸せで長閑な光景。そんな景色のなかで、振り向いた朱音と視線が絡み合う。一瞬だけ上がった口角を見て、視線が元に戻る。
「ところで五十嵐さんとは、最近どうなの?」
「どうって言われてもな」
「なんか二人で話す雰囲気変わったなって思ったんだけど、気のせい?」
「……少しだけ、本当に少しだけ近づけたと思う。今なら朱音のこと好きだって言えるし」
「なんか今日は素直」
「誰も聞いてないし、川口さんには色々とバレてるからさ、今更隠しても遅いっていうか」
「うん、応援してる。それと、そろそろ名前で呼んでくれても良いんだよ? いつまでも川口さんっていうの他人行儀っぽくない?」
「そうは言っても、もう慣れちゃったからな」
「んー、みんな副委員長だったり、苗字だったりなんだもん。そもそも私の名前分かる?」
「夕菜だろ」
「良かった良かった。これからはそっちで呼んでね」
かわぐ……夕菜の言葉に困ったように頷く。僕の頷きに答えるように風船から空気が抜けるような音を出して、目の前で噴き上がっていた光の柱が、地面に吸われて消えていった。
目の中に残る光の粒子が、夜の暗みの中を飛び交う。
「篠崎君、ここからが本番だよ。楽しもう」
「そうだな、この辺の花火も良い?」
「良いよ。ほらほら、これ持って五十嵐さんのところに行きなって」
「それは後でな、あいつも一條と話してるし。夕菜も葉山のところへ行かなくて良いのか?」
「じゃあ私も後にしよう。私もあの二人と話したいし」
そう言って夕菜が朱音たちの方へ花火を持って走っていくと、入れ替わる様に一ノ瀬と葉山が向かってきた。
二人から燃え尽きた花火を受け取り、水の入ったバケツへ放り込む。とぷん、バケツから漏れる柔らかい音。
「よっしゃ、花火しようぜ。どれやる?」
「圭は元気だな。じゃあ、俺はこれにしようかな」
「正直どれが何か分からないから、僕はこれにする」
葉山が手持ち花火に火をつける。涼し気な音が鳴り、緑の火花が金平糖のように散る。その隣で僕も火をつけて、ぼうっと眺める。ススキの様に噴き出す白い光を見ながら、くるくると手首を回す。
闇夜に浮かぶ光の輪。
その輪の中に、遠くで花火を遊ぶ朱音たち三人がいた。このまま写真を撮れないだろうか。綺麗だな。頭が空っぽになる。
「こうやってると花火してるって感じがするな」
一ノ瀬が広げた両手に花火を持って、くるくると回っている。はしゃぐ姿を見て笑う葉山が、俺も、と言いながら両手に花火を持って走り出す。
「ちょっと圭、危ないから」
「葉山君も何してるの」
一條と夕菜の呆れた声を聞きながら、一人で新しい花火に火をつけると、激しい破裂音が鳴り出す。花火の音と、うわっと漏れた声に皆の視線が向けられる。
「なにこれ、めっちゃ音が鳴るんだけど」
弾ける火花と共に叫んだ僕の声が、皆の笑い声の中に溶けていった。自分の焦り具合に思わず僕も笑っていた。目に涙が浮かぶ。
良いな、こういうの。
もっと遊ぶか。僕も二人のもとへ走り出す。
朱音が何か言っているが、今は気にしないで笑って受け流す。
夜空に浮かんだ光の環。その下で複数の火花が舞い踊っていた。
皆ではしゃいだ後、ゆっくりとした時間が流れる。
さっきまでの笑い声や、花火の明るさは穏やかになり、また三人で静かに花火へ火をつける。
「取り合えず今日は、葉山と夕菜が幸せそうなのを確認出来て良かった」
「そもそも俺は、お前らが付き合ってるのも知らなかったからな。教えてくれても良いのに」
「圭にも言ったつもりだったんだけどな」
一ノ瀬も皆に言ってないことがあるんじゃないのかと、心の中で突っ込みを入れる。
新しい花火に火をつけた葉山が口を開く。
「今日はそんなことよりも、篠崎だよ」
「僕?」
「そうそう、五十嵐さんとは仲良くなれたか」
「お前もか葉山。みんな気になるのか?」
「気になるっていうか、何て言うかな、もどかしいんだよ。圭もそう思うだろう」
「まぁな。学校外でも会ってる俺からしたら、凄く仲良くて信頼しあっているように見えるのに、どこか距離があるって言うか」
「それだな。お互いのことを理解しあってる分、お互いに傷つかないようにって感じかな。俺も圭よりは学校外で篠崎たちと一緒にいるわけじゃないけど、そう思う」
核心をついているような話だった。信頼も理解も大分しているはず。ただ二人が思っているほど、僕たちは距離が離れていないし、お互いを傷つけあっている。弱い部分を互いに守りあっているような気もする。
特にみんなに対しては色々隠しているわけだし。
「それに関しては、二人が心配する必要ないよ。僕と五十嵐の間には、そこまで距離が無いし、僕はあいつを大切に思っている」
「……五十嵐さんのこと、好きか?」
葉山の言葉と同時に手に持っていた花火が消える。
音の無い一瞬に火薬の香りと、視界を隠すように漂う煙だけが残っていた。
「うん、好きだよ」
呟いた僕の言葉は灰色の曖昧な煙に隠され、どこへ向かったのか、誰に届いたのか分からなくなった。
優しそうに微笑んだ二人が立ち上がって何処かへ向かう。
声が聞こえる。
楽しそうな声。
その中で僕は自分の呟いた、好きの言葉を噛み締めていた。
重く、硬い想い。
「どうしたのよ、なんか悩んでるの」
聞きなれた声に顔を上げる。
戸惑ったような表情を浮かべる朱音がいた。
「悩んでは無いな。朱音こそどうしたんだ?」
「あのカップル二組に追い出されてね」
「あぁ、そういうこと」
「隣良いかしら」
「うん」
隣にしゃがんだ朱音が、手に持った花火に火をつける。
綺麗だよねと漏らした言葉に、気の抜けた相槌を打つ。残り少なくなった花火が、夏の終わりを目前まで連れて来ていた。
伝えよう、夏が終わる前に。花火の残り香が消える前に。
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