第17話 おかえりと料理と幸せの形

 自動ドアが開くと、お店の中からこの季節にしてはまだ肌寒いと感じる冷気が溢れだしてくる。

 店内はタイムセール目当ての主婦や、部活帰りの学生などで賑わっていた。



 僕らは夕食の食材を買いに、家から徒歩十分ほどの場所にあるスーパーに来ている。

 入り口でカゴを取り、青果コーナーへと足を運ぶと、メロンやオレンジ、バナナなど様々な果物の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 まだ、夕食のメニューを決めていない僕は、隣を歩く五十嵐に何が食べたいかを聞く。


「せっかく篠崎君が作ってくれるんだから、私は何でも良いわよ」

「何でもって言われると迷うな」

「五十嵐は何を作ろうとしてたんだ」

「……そこまでは何も考えてなかったわ」


 家を出てからスーパーに向かう途中、どちらが夕食を作るかで話し合いになっていた。

 おもてなしとして夕食を作ろうとする僕と、泊めてもらうのだから料理くらいさせて欲しいという五十嵐。

 結局今回は、僕が料理をし何かあったら五十嵐が手伝うということで落ち着いた。それにしても、お互い何を作ろうか全く考えてなかったというのは、変な部分で似ているなと感じる。

 何にしようかと考えていると、レモンのコーナーに書かれたポップが目に入った。

 僕はそのポップを指差しながら、


「じゃあ、パエリアはどうかな」

「美味しそうね。でも、作れるの? 大変そうだけど」

「前に一回だけ作ったことがあるから大丈夫、だと思う。まあ、味の保証は出来ないかな」

「作ったことあるんだ。それなら、パエリアにしましょう。材料は何を使うの」

「レモンと玉ねぎと、パプリカは……家に合ったから、後は魚介類とトマト缶があれば形にはなるかな。他にもサラダとかに入れたいものがあったら、適当にカゴに入れて」

「ええ、分かったわ」


 レモンを手に取った僕らは、野菜の青い匂いが漂う店の奥へと歩き、五十嵐と二人で並びながら、主婦に混じり野菜を選ぶ。


「どれが美味しいのかな」

「美味しい玉ねぎの選び方は、分からないな。とりあえずツヤとか綺麗なものを選べば良いんじゃないか」

「ふふ、適当ね。それならこの辺りかな」


 どれが美味しい野菜だろうかと言い合いながら、料理に必要そうなものを選んでは、カゴに入れる。

 玉ねぎにレタス、ブロッコリーやピーマン、トマト。ついでにミニトマトも、少し多めに選んだ。

 うわ、重い、こんなに多くの野菜を買うのはいつ以来だろう。

 左手に持っていたカゴを右手に持ち替えると、五十嵐との距離が手が触れられるほど縮まる。

 鮮魚コーナーに差し掛かった。野菜の青さから、生魚の青いにおいに変わった。


「海鮮で何か食べられないものは?」

「ないよ。篠崎君の好きなものを選んで」

「りょうかい」


 エビやアサリなど、自分の中にあるパエリアのイメージで選ぶ。

 見事に下処理が面倒そうなものばかりで、これは失敗出来ないなと思わず苦笑いし隣を向く。突然笑った僕に、小首をかしげながら訝しげな視線を送っていた。


「突然どうしたのよ。手に取ると笑っちゃうほどエビが好きなの?」

「どうもしないわ。というか、好きで手に持ったら笑っちゃうって、少し危ないやつだろ」

「そうかしら、篠崎君ならそれくらいしそうだけど。『このエビ、良い目をしてるな』とか思っていそう」

「ああ、『尻尾の角度が最高だ』とかな。って、思わないです。そもそも、そんな部分の見分けなんてつかないからな。僕のイメージってどうなっているんだよ」

「さあ、どうなってるのかしらね」


 もしかしたら、相当危ないやつって思われていないかと、心配をしつつも五十嵐が楽しそうにしているのを見て、まあ良いかと考えるのをやめた。

 そんなことより、お腹空いたな。

 遠くから漂う、試食コーナーの匂いに誘われそうになるが我慢。


「そこのお二人さん」


 我慢。我慢。


「お二人さん、試食していきませんか」


 袖を引っ張られ止まると、声の方を指している五十嵐。

 指先に視線を向けると、ホットプレートが置かれた小さなテーブル。その脇に立つ、試食販売員のおばさんと目が合う。

 「お二人さん、どう?」と、トレーを手に持ち笑いかけてきた。


「僕ですか」

「そうよ。あらやだ、美男美女のカップルじゃない。これ、一ついかが?」

「ど、どうも。それじゃあ、いただきます」

「新商品のベーコンなの。ほら、彼女さんもどうぞ」

「ありがとうございます。……彼女」


 戸惑う五十嵐を横目に、受け取った一口大に切られたベーコンを口へと運ぶ。息を吸うとふわっと、脂とは違う香りがした。


「あ、普通のとは違う」

「美味しいでしょ、これ桜のチップで燻してあってね。ほかにもクルミやヒッコリーなんかもあるから、お一つどうですか」

「そうだな。朝食に良さそうだし、それを貰います。っていうかヒッコリーってなんだ」

「ありがとう。はい、どうぞ。おばちゃんもヒッコリーってよく分かってないのよ」

「クルミ科ペカン属の木のことみたいね。ほら」


 差し出されたスマホの検索画面を、おばさんと一緒にのぞき込む。

 ペカンってなんだよ。響きが何とも間抜けな感じがする。そもそも、ヒッコリーもあれだが。


「ペカン、ペカン、ペリカン、ペカン」

「どうしたのよ、篠崎君。やっぱり頭、可笑しくなったのかしら」

「やっぱりって言うな。いつも通りまともですよ。まあ、何でペカンなんだろうなって思っただけだから。なんか書いてある?」

「いえ、書いてないわ。っていうかもうそこからは、自分で調べてよ」

「……はい。調べます」

「あら、彼氏君はもう尻に敷かれ始めているのかしら」


 彼氏では無いんだけどなと思うが否定せずに、ははは、と情けない声を上げつつ話を受け流す。


「そろそろ行くか」

「そうね。行きましょ」

「おばさん、ありがとうございます。またいつか」

「お幸せにね」


 小さく手を振りながら試食コーナーを離れ、飲み物、冷凍食品、アイスと見て回る。

 飲み物……冷食……アイス……はっ、アイス。

 アイスを買い忘れるところだった。

 帰ってすぐ食べる分、食後、風呂上り、寝る前。そうだ、明日の朝のも買っておこう。

 いつもより少し多く、そして少し豪華なものを選び、満足する。右手のカゴの中から、ヒンヤリと漂う冷気。今夜の楽しみが増えた。

 

「これ一週間分?」


 隣から聞こえる、アイスと同じように冷たい声。


「今日の分だけど」

「え、嘘でしょ」

「いや、嘘じゃないから。そうだ、明日の朝食で食べたいのがあれば買っておいて。僕は朝起きれないと思うし、勝手に作ってもらうことになるはずだから」

「んー、分かったわ。少し待ってて」


 それから数分後、五十嵐はいくつか食材をカゴに入れ、戻ってきた。

 五十嵐が新しく持ってきたカゴを受け取り、僕は夕食の時間帯で列が伸びたレジに並ぶ。手に持つときに見えた心配そうな顔。


「これは私が払うから良いわよ」

「別にお金の心配はいらないって。結衣さんからもう貰ってるって、母さんから連絡来てたから。だから早く支払い済ませて、帰ろう。お腹空いた」

「そういうことなら、安心したわ。そうね、早く帰ろう」


 支払いを済ませた僕らは、それぞれ食材の入った袋を一つずつ持ち、スーパーを出る。

 外はもう暗く、背後の夕日は地平線の向こうに消えかけていた。

 黒、藍、紫。夕焼けの代わりに、空に浮かぶ綺麗なグラデーション。

 もう直ぐ家だ。

 食材片手に一緒に帰る姿を映す、近づいたり離れたりする微かな影は、身長差をを認識させる。

 家族みたいだ。

 ふと浮かんだ言葉が頭の中で反響し、走り出しそうになった。




「ただいま」


 いつもと同じ挨拶。誰も居ない家。

 だが、いつもと違う点があった。


「おかえり」


 後ろから聞こえる声。


「た、ただいま」


 誰かに『ただいま』と言う、むずがゆいような感覚を久しぶりに覚える。

 五十嵐は笑いを堪えるように肩を震わせつつ、戸惑っている僕の横を通りリビングへと進む。リビングへの扉を開ける前に、何かを思い出したように振り返り、恥ずかしそうに一言。


「ただいま。篠崎君」

「おかえりなさい」


 僕の返事に満足したのか、純粋に嬉しそうな笑顔を見せ、部屋の中に入っていった。

 子どもみたいだな。

 



 僕は五十嵐を追うようにリビングに入り、さっそく夕飯の準備に取り掛かる。

 シャツの袖をめくり、手を洗い、買った食材をキッチンに並べた。野菜を洗い、貝の砂抜きをする。さて、始めようか。ざっくりと調理計画を立て、顔を上げると椅子に座る五十嵐と目が合う。


「ゆっくりしていて」

「ねえ、やっぱり手伝うことはないかしら」

「そうだな、野菜切ってくれる」

「分かったわ」

「確か、エプロンはそこにあるから」


 デニムのエプロンを付け、髪を結った五十嵐が隣に並ぶ。野菜を切り始めた姿を横目に、魚介の下処理を行う。その間、隣から聞こえるタンタンという心地良い音だけが響く。

 フライパンの用意をし、オリーブオイルと刻んだニンニクを入れ火にかける。

 パチ、パチと音を立て始めると、香ばしい匂いが広がった。


「良い匂い」

「良い匂いだよな。そうだ、そこのイカを取ってくれるか」

「これね。はい」

「ありがとう」


 受け取ったイカをフライパンに入れ、焦げ目を付けると一度取り出し、野菜、米の順番でフライパンで炒める。充分に火が通るのを確認すると、イカやエビなどを入れ煮込み始めた。

 後は様子を見ながら待つだけとなり、一息つく。


「誰かと料理を作るって悪くないな」

「そうね、私も不思議な感じがするわ。まあ、邪魔って言われなくて安心したわ」

「邪魔なわけないって。そうだ、こう並んで料理してると、あれをしたくなるよな」

「あれって?」

「こちらが十分間煮込んだものです」

「わー美味しそう。って、どこの料理番組よ。わざわざ、空のフライパンを出さなくていいから」


 全くおいしそうに聞こえない声。このくだらない茶番に付き合ってくれた五十嵐に満足した僕は、取り出したフライパンを棚に戻し、シンクに洗い物を纏める。


「まな板とか、もう使わないの頂戴」

「これかな、どうぞ」

「ありがとう。悪いんだけど、僕が洗っている間に、後ろの空いてるスペースで盛り付けしておいてくれるか」

「分かった」


 美味しく出来たかなと考えていると、スポンジを動かしていた手が止まっているのに気づく。


「しっかり作れたかな」

「大丈夫よ。それに、味よりも作ってくれるっていう、その気持ちの方が嬉しいわけだし」

「そういうものなのか」

「そういうものよ」


 フライパンから漂う美味しそうな香りが、狭いキッチンに広がると共に、幸せも広がる。

 洗う手を止め振り返る。後ろで盛り付けている姿を見ていると、笑みがこぼれた。こういうのも悪くない。

 自分の中にある不安が一つだけ、料理の湯気と一緒に昇華されたようだった。

 綺麗に盛り付けられる料理。

 これが、僕が目を逸らし続けていた、幸せの形なのかもしれない。

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